第2話 女幽霊、大学についてくる➄
駅へ向かう途中、透は小さなカフェの前で足を止めた。
店先には季節限定メニューの写真が飾られている。
その一つに、澪がすぐ反応した。
「あっ!」
写真に大きく写っているのは、苺を使ったパフェだった。
透明な器に赤い苺と白いクリームが重なり、上にはアイスが載っている。朝の情報番組で見たものと似た、分かりやすく甘そうなデザートだ。
「これ! おいしそう!」
「好きなのか?」
「分かんない。でも食べたい!」
澪は写真の前へ浮かび、顔を近づけた。
目を輝かせる様子は、ショーウィンドウを覗き込む普通の少女と何ら変わらない。
透は店内を見た。
まだ夕方には少し早い時間で、席はそれほど埋まっていない。帰宅を急ぐ理由もないし、昼食から時間が経っているので、何か甘い物を食べてもいい頃合いだった。
「……入るか」
「えっ?」
「俺もちょうど何か食べたかった」
「本当!?」
「ただし、食べるのは俺だぞ」
「分かってるって!」
澪は嬉しそうに笑った。
透はその横を通り、店の扉を開けた。
店内へ入ると、甘い香りがした。
もっとも、澪にはそれが分からない。
そのことを改めて意識すると、少しだけ複雑な気分になったが、透は何も言わずに空いている席へ向かった。
注文した苺のパフェが運ばれてくると、澪はすぐに透の向かい側へ浮かんだ。
「わあ……!」
写真で見た時より、ずっと嬉しそうな顔だった。
「すごい。苺いっぱい!」
「そうだな」
「ねえ、上のクリーム、どんな味?」
「まだ食べてない」
「じゃあ食べて!」
「急かすな」
透はスプーンを取り、クリームと苺を一緒に口へ運んだ。
冷たいアイスの甘さに、苺の酸味が重なる。クリームは見た目ほど重くなく、下の方には砕いた菓子が入っているらしい。
「……甘い。苺は少し酸っぱいな」
「それで?」
「クリームは軽め。アイスは普通のバニラ」
「おいしい?」
「ああ」
そう答えると、澪は満足そうに笑った。
「いいなあ……」
その声を聞いて、透はスプーンを持つ手を僅かに止めた。
羨ましいと言われても、分けてやることはできない。
彼女は料理を持つことも、味わうこともできない。今こうして目の前にあるパフェへ手を伸ばしたとしても、指先は何の抵抗もなくすり抜けるだけだ。
透には、その不自由さを解決する方法がなかった。
「……好きかも」
澪がぽつりと言った。
「何が?」
「これ。苺のパフェ」
「食べてないだろ」
「そうだけど、見てるだけで嬉しいし。透が説明してくれると、何となく食べてる気分になるんだよね」
澪はもう一度パフェを眺めた。
「昔の私は何が好きだったのか覚えてないけど、今の私はこれが好きってことにしようかな」
透は澪を見る。
本人は明るい口調で言っているが、その言葉には少しだけ重みがあった。
過去の記憶がないということは、自分が何を好きだったのかさえ分からないということだ。けれど、だからといって、今の彼女が何も好きになれないわけではない。
ここで見つけたものを、これからの自分の好きなものにしていけばいい。
透には、そういう考え方も悪くないように感じられた。
「いいんじゃないか」
「え?」
「好きなら、それでいいだろ」
澪は少し驚いたように目を瞬かせ、それから笑った。
「……うん!」
透は再びパフェを口へ運んだ。
自分一人で食べているだけなのに、妙に誰かと食事をしているような気分になる。
向かい側にいる少女は、スプーンも器も持てない。
それでも彼女が楽しそうにしているなら、今日ここへ寄った意味くらいはあったのだろう。
別に、大したことをしたわけではない。
帰り道で少し寄り道をしただけだ。
「透、下の方は何入ってる?」
「まだ食べてない」
「じゃあ早く!」
「お前、食レポになると容赦ないな」
「だって気になるんだもん!」
澪が笑う。
透も小さく息を吐き、スプーンを器の下へ進めた。
どうやら、今日の夕食は軽めでよさそうだった。
◇
カフェを出る頃には、夕方の空が少しずつ赤くなり始めていた。
駅へ向かう道を歩きながら、澪は何度も今日の出来事を口にしていた。大学の広さ、悠斗のこと、講義の長さ、それから苺のパフェ。特に最後の話になると、彼女の声は自然と弾んだ。
透は相槌を打ちながら歩いていたが、何度目かのパフェの話で、とうとう苦笑した。
「そんなに気に入ったのか」
「うん。あれ、また見たい」
「見たいだけでいいのか?」
「……本当は食べたいけどね」
澪は少しだけ笑った。
それから、自分の手へ視線を落とす。
半透明の指先を開き、握り、もう一度開いた。
「ねえ、透」
「何だ」
「私って、やっぱり何にも触れられないんだよね」
「今のところはな」
「透にも?」
「ああ」
澪は透の横へ近づき、彼の腕へそっと手を伸ばした。
指先が服の袖へ重なり、そのまますり抜ける。
透には何の感触もなかった。
澪も結果は分かっていたらしく、驚くことなく手を引っ込めた。
「……変なの」
「今さらだろ」
「そうなんだけどさ」
澪は少し考えるように自分の手を見つめた。
「見えるし、喋れるし、こうして一緒に歩けるのに、触れないんだよね」
透は返事をしなかった。
それは事実だった。
彼女はすぐ隣にいる。
話しかければ答えるし、表情も普通の人間と変わらない。今日一日付き合ってみて、幽霊であることを忘れそうになる場面も何度かあった。
それなのに、触れることだけはできない。
その違いを、透はこれまで深く考えていなかった。
ただ、今の澪の声を聞いていると、彼女にとっては自分が想像していた以上に大きな問題なのかもしれない。
「まあ、触れなくても困らないことは多いだろ」
「……うん」
「大学だって来られたし、パフェも見られた」
「そうだけど」
澪は少し口を尖らせた。
「透って、そういうところ本当に現実的だよね」
「現実的じゃない状況だからな」
「それはそうだけど!」
澪は笑った。
その笑顔を見て、透も少しだけ肩の力を抜いた。
触れられないことを、今すぐどうにかする方法はない。
ならば、できることから考えるしかないだろう。
少なくとも今日一日、澪は楽しそうだった。
それなら、しばらくは同じように過ごせばいい。
透はそう考え、駅へ向かって歩き出した。
隣では澪が、まだ自分の手を見つめている。
その視線が何を意味するのか、透には分からなかった。
ただ、彼女が何かを考えていることだけは、その表情から伝わってきた。
「……ねえ、透」
「今度は何だ」
「幽霊ってさ、普通の人にはできないこと、いっぱいあるんだよね?」
「壁を抜けたり、浮いたり?」
「それもだけど」
澪は少しだけ笑った。
「もっと、こう……幽霊らしいこと!」
「人を怖がらせる以外で頼む」
「もう! そればっかり!」
いつもの調子で言い返してきたものの、澪はその後もしばらく考え込んでいた。
透は特に気にせず、改札へ向かう。
少なくとも、今日のところは大きな問題もなく大学へ連れていくことができた。
朝はどうなることかと思ったが、澪も一応は約束を守っていたし、悠斗にも何も説明せずに済んだ。
あとは帰って夕食を取り、明日の準備をして寝るだけだ。
そう考えている透の隣で、澪が小さく呟いた。
「……そっか。そういうのもあるのか」
透は顔を向ける。
「何が?」
「んー? まだ秘密」
「ろくなことじゃなさそうだな」
「失礼な!」
澪は頬を膨らませた後、すぐに笑った。
「帰ったら、ちょっと試してみたいことがあるんだ」
「俺を怖がらせるやつなら却下だぞ」
「違うってば!」
そう言いながら、澪は透の少し前へ浮かんでいく。
その後ろ姿を見て、透は小さく息を吐いた。
何を思いついたのかは知らないが、どうせまた面倒なことに巻き込まれるのだろう。
ただ、今日一日を振り返れば、澪が楽しそうにしていた時間は悪いものではなかった。
だから、今すぐ追及する必要もない。
透はそう判断し、彼女の後を追うように歩き続けた。
この時の透は、まだ知らなかった。
澪が思いついた「幽霊らしいこと」が、二人の生活を根底から変えるきっかけになることを。
読んでいただきありがとうございます!
今のところ1日2〜3投稿を考えています。
もしよろしければ、また来ていただけると大変喜びます。
それでは、次の話で!




