重ね合わせの殺人3
3.
大学の裏口から路地へ行くと、個人経営のカフェがある。ここは雨坂の行きつけで、話をするときはこのカフェを利用した。
最近は近況を話すことが多く、ミステリーを書くための相談が最頻値だった。雨坂が分からなくて、僕が知っていることは、たいして役に立たない。雨坂がテーブルで潰れている間は外を眺めていた。辛うじてできるのは、雨坂を客観的視点からフォローすることだった。
今日は、七月二日を繰り返していることについて話すつもりだった。それ以外は、話す気になれなかった。
雨坂も七月二日が三回目だと言った。それは僕が直面している問題と同じ現象だった。
「鉢木くんって、私と必ず違うものを選ぶよね」
「注文の話? 意識してなかった」
先に雨坂が注文をするので、無意識に別のドリンクを言っている可能性はあった。
店内ではピアノ曲が流れている。原曲よりもテンポが下げられていた。
「繰り返していたこと、気が付かなかったんだ」雨坂は言った。
「雨坂も同じだったとは、まったく」
「観測者がイレギュラーを作り続けるから、周囲への意識がおろそかになる」
「この状況で周囲を観察できるほうが、異常だけど」
「そういうところ。観察は誰でも日常的にするものだよ。その人にとって必要な情報が収集のバラつきになる。あるなしクイズの問題は振り分ける人の目しだい」
七月二日だったことが頭にあれば、捉え方も違っていただろうかと僕は考えた。
「午前中は繰り返したんだ。でも、午後になると再現されなかった」
僕は「イレギュラーを作り続けた人がいたから」と少しだけ笑う。
雨坂の表情が転々と変わっていった。最後には穏やかな表情に落ち着いたみたいだった。
「そうだね。鉢木くんに関することだけ、なにもかも、違った」
僕は、雨坂の変化には気が付かなかった。完全とは言わないまでも、だいたいのところで七月二日を繰り返していると思っていた。
それは雨坂が言うように、僕自身が、積極的に七月二日を再現しようとしなかったからかもしれない。自分が再現から外れたから、それに合わせて周囲が変化した。
そう認識していた。
「赤崎准教授の話、聞かせてくれる?」
「紙とペンは持ってる?」
雨坂は「タブレットならある」と言って、タッチペンと一緒にタブレットを出した。
僕はどちらかと言うと、高校のときから、変わらず紙のノートを好んでいた。シャープペンシルと鉛筆の論争に、大学ではタッチペンが参入する。
後から追加されると優勢になる傾向があるみたいで、板書するとき、学生の間ではタブレットが多数派だった。
適当に線を引いたり、消したりして使い方を確かめる。
赤崎准教授から聞いた話を、同じ図を使って説明した。
「この話はどこまで信じられそう?」
雨坂は口元に手をやって考え込んでいた。危険物に触れるかのような警戒が伝わってくる。半信半疑になるのは理解できた。
「本来ならこの線みたいに、真っすぐと離れていくんだよね」
「一般的に分かっている範囲では。今は感覚よりも事実が優先されるケースだと思う」
雨坂は「状況としてはこっちなんだ」と半円を指した。
「赤崎准教授の話だと鉢木くん死んでるみたいだけど」
「みたいだね。この半円の経路をなぞって過去に戻るなら、一度死んで、周期から外れないといけない」
「それって私も死んでいるってことだよね」
「うん、まあ」
七月二日を繰り返すなら死んでいる。僕も雨坂も七月二日を繰り返している。したがって僕と雨坂は死んでいる。
雨坂は「現実的な反応」と言った。
「現実的なのかな……」
それを言うなら取り乱さない雨坂も並みではなかった。
「重ね合わせの原理は? 高校のときの」
雨坂が指摘する。
重ね合わせの原理は波と波が重なったとき、足し算で大きくなったり小さくなったりする原理のことを言った。しかし、それは、唐突にこんな円を描いたりはしない。波の進行方向が曲がるときは、障害物が想定された。
重ね合わせの原理……。
「条件を変えると回路図が変化することはある」
「分からないけど、可能性としてはありそうって話?」
「似ている現象があるって意味では」
僕と雨坂が死ぬことによって、二つの波が重なり合い、円を描きだした。僕と雨坂の存在が分数になっていればあり得る話かもしれない。
「死んだ理由は?」
雨坂はそう言い、自分で答えを探すように考えにふける。
アールグレイの香りを確かめたのは異なる刺激を求めたからかもしれない。
「二人とも仲良く病死かな」そう雨坂は悪戯な笑みを浮かべた。
「ええと、なんの」僕は聞き返す。
「当たり前。確認作業」
そう言って雨坂の視線が動き出す。僕はただ、雨坂の導く答えを待っていた。細部を詰めていく才能は高校の時からお互いに変わっていない。僕は直感で考えていて、雨坂は論理的に考えている。
「二人とも事故に巻き込まれた」
「その可能性が高いと思う」僕は肯定した。
それしか考えられなくて思考を放棄していたぐらいだった。
「時刻は二人で行動した午後の間。場所は不定……。十分そうだよね」
困って雨坂を見ていると「七月二日を終わせるだけだったら」と説明してくれた。
僕は「この状況からもう」と理解を示す。
僕たちが同時に事故に巻き込まれるには、その時刻、その場所に、ジャストで居合わせなければならない。一回目、二回目の両日とも僕たちはコンサートに行っている。そのどこかで事故にあっているなら、予定の変更だけで繰り返しを避けることができた。
「この波から外れて死んじゃうと、その後の世界って案外分からないものなんだ」
雨坂はリラックスして言った。
「死んだときの記憶なんて実際にないよね」
「聞いた話だと、外れた後の世界を観測できるのは、この世界にいる限り不可能って話だった。パラレルワールドが正解だと思う」
「実際に死んでいることが事実の世界と、私たちが生きていて同じ日を繰り返す世界?」
僕は肯定しながら振動する波の上へ、t軸に平行となるよう一本の線を引いた。
「今、引いた線よりも僕たちが下にいる場合、死を経験することになる。この線を越えた世界が僕たちが経験してきた世界。死ぬ瞬間の記憶がないのは、僕たちがこの線の上にいたから。推測だけど」
「私たちは死んだことさえ自覚できないんだ」
雨坂は首を引っ込めて、放心的に考え事をしていた。
僕は図を見ながら、発散するタイミングと角度について考え、黙っていた。
僕たちが死ぬ瞬間、もっと言えばそのいくらか前に、世界は分岐する。本来の世界では僕たちは死んでいて、分岐した別の世界では、死んだことを理解できず、何事もなく時間が進み、やがて終わりを迎える。
「鉢木くんは納得してる?」
雨坂が最初にしてきた質問だった。
「この現象を説明しようとした点では」
「納得は思考の終着だけどね。赤崎准教授を催促するしかないのかな」
前提としてこの理屈が信用できるかどうか。飽くまで推論であって、決定的な証拠が出てきたわけではなかった。どの情報を取捨選択し、そしてそこからどんな結論を導き出すのか。雨坂が気にしているように、この前提条件にはかなりぐらつきがあった。
「ひとまず、事故死の可能性を検証するのが先そうだよね。一つ一つ調べていって、病死、事故死、自殺、他殺の可能性を排除する」
「ちょっと待った。検証って」
「死因だけど」
話が続いていたことに僕は驚く。この後の時間の過ごし方を変えれば明日がやってくる。検証せずとも、この件は今日で終わるはずだった。
僕は雨坂の考えていそうなことを整理した。興味本位、そんな言葉が思いつく。雨坂と一緒にいると、粘着性が理解の深さに影響していることを知ることがある。
「一つだけあり得ない可能性がある」
僕は切り替えて話を合わせることにした。
「どれのこと」
「自殺」
「否定できる理由は」
「しないから」
「それは感情論」
それでも自殺はしないと思った。どんなに悲しい事実を知らされても、自殺を決めるようなことはなかった。
「自殺する人は、唐突に死にたいと思うらしいから、侮れないよ」
「日々の積み重ねが、突発的な感情を抑止する」
「その積み重ねが突然、崩れ出した」
「この僕が?」
「あるいは私が」
もし雨坂が死んだとしたら……。
すぐに後を追うなんてことをするだろうか。それは直面してみないと分からないことだった。
ただ、それは再び七月二日を繰り返したとき考えるべきで、このまま何事もなく明日を迎えることができれば、考える必要性はなかった。
僕たちは一回目と二回目でコンサートへ行き、家へ帰って来るまでのどこかで事故に巻き込まれた。話はこれで終わる。
簡単な食事をして僕たちはカフェで解散することにした。
そして動こうにもむやみに動けない残りの半日を過ごす。
夜になると着信音が鳴った。出てみれば赤崎准教授からだった。
「今すぐ私のところへ来なさい。今朝のことについて話したいことがある」
そう言われ僕は研究室へと向かった。
聞けば「誰かの波と干渉して、君の一日が繰り返された可能性がある」とのことだった。身に起きたことを公にすべきだとして、今後の予定が質問される。
僕は突然のことで実感と重要性が分からず「考えておきます」と答えた。赤崎准教授は心中を察してくれたように「もし明日も同じ日を繰り返すようだったら、私に経緯を話しなさい」と穏やかに言った。
僕は研究室を後にした。
夜の空さのせいか自分の感情がつかめないまま帰路につく。
するとサイレンが聞こえてきて、音が近辺で止まった。気になって騒ぎの方へ向かってみると駅に警察車両と救急車が停車していた。
周囲の人に状況を尋ねる。
電車内でナイフを持った男が暴れ出したとのことだった。
時刻を確認する。僕たちが酔いながら乗っていた電車の時刻と一致していた。




