重ね合わせの殺人2.1
2.
毛布を払い飛ばして七月二日の証拠を探した。カレンダー、ネットニュース、学生ポータル。すべてにおいて、七月二日が表示されていた。
勘違いではなくて、同じ日が繰り返されている。
僕は悩み、悩んで、赤崎准教授の研究室を訪ねることにした。
赤崎准教授の専門は時間と空間だった。同じ日が繰り返される原因として、時間が関係していそうだと、そう思ってのことだった。
早朝から、アポイントを取らずに、研究室を訪ねた。赤崎准教授は嫌な顔を一つせず研究室へ迎え入れてくれた。自然の真理を観察するような眼差しは、研究者独特のものかもしれない。親しみやすい准教授だった。
来客用のテーブルへつく許可を得る。それから今の状況をできるだけ簡潔に話すよう努めた。状況が評価できていないので、必要な情報を選定する難しさがあった。
「要件は分かった。時間に関する不思議なことが起きていると。繰り返したのは今日で何度目のことかね」
「三回目です」
准教授は机の隅に積まれた裏紙を一枚取って、メモを取った。
「違う点は。些細なことでもいい」
「一言一句まで覚えていませんが、大筋は再現されたみたいに繰り返されます」
「細かい点では違うということだね」
「授業を飛んでここへ来たのは違う点です」
「感心しない。飽くまで教員の立場の、一応の言葉ですが」
赤崎准教授は青ペンを持ったまま「何が起きているんでしょうね」と俯瞰した。ぞんざいにされていないことが分かって僕は安心する。
「人は世界の何を見ているんだろう? これは質問だ」
脈絡ない唐突な質問に反応が遅れる。
「光の反射、あるいは発光によって物体を見ています」
「もっと本質的なところでは」
僕は可視光と網膜の話を思い出そうとした。生物は専門ではなかったので、大雑把なことしか思い出せなかった。
回答すべきことを逡巡していると、赤崎准教授は「存在は波によって記述される」と言った。
「シュレディンガー方程式ですか」
「惜しい」
そう言って赤崎准教授は紙へ一本の線を引いた。線の先に矢印が加えられ、下に時間らしいtが書かれる。
「我々が観察できる物質は、すべて一本の線の周りを振動することが分かっている」
矢印の線に三角関数で記述される波が加えられた。オーソドックスな正弦波だった。
「これは、人も横軸tの周囲を振動することで、世界に存在することを意味している」
「すみません……まだ理解できていません」
「例えとしては、よくテレビがある。テレビはそこら中に飛んでいる電波を受信することで、画面に内容を映し出すことができる。そのイメージを我々、人間に当てはめると分かりやすい。宇宙空間には一つの電波のようなものが存在していて、その信号を受信することで、人は、物質はその時間とその空間に、情報をもって存在することができる」
「宇宙と人間の波が共通しているからその場に存在する、その認識で合っていますか」
「だいたいは」
赤崎准教授は声を上げて笑った。
「死とは何か」
「生命活動が止まることです」
「振動していた波が発散することが死の定義とすることもできる」
そう言って紙面上の正弦波を、途中から四十五度の方向へ一直線に引っ張った。振動していたtの軸から遠ざかるように描かれる。
「もし君が死んだとする。すると、このどこかへ飛んでいった線のように、君は現在のその時間、空間から遠ざかっていく」
「別の時間、空間の存在は……」
「その通り。ここに描かれているように、時間軸は宇宙にこの一つしか存在しない。式からもそれが予言されている。加えて、この飛んでいった線は二度と元の時間軸に戻ってくることはない。つまりどういうことか分かるかね」
「この世界から消えていきます。他の軸に辿りつくことも不可能です」
「それが死というわけだ。時間軸から外れた瞬間、君は世界から消える。ただ注意したいのは、外れた先のことを、この時間軸から直接観測している人間には知る術がない。また問題点として、死によって身体が残る理由の説明が不十分でもある。並行世界を提唱する者もいるが、証拠が出てこない」
僕は今の話から推察されることを考えていた。
死ぬことで人はt軸から離れていくことになる。しかし、これだと、同じ日が繰り返される説明にはなっていなかった。むしろ、波の進行方向が逆行したと考えるほうが状況をよく説明できている。
僕はこの話の立脚点が分からなかったので質問した。
「さっき、二度と元の時間に戻ってくることはないって仰ってました」
「そこだ。君の現象はその矛盾に行きつく。時間は一方的だ。不可逆性が示されている。逆再生されることはない」
その言葉は右へ進んで行く波が突如左へ進みだすことがないと言っていた。僕の直感は否定された。
「恐らく君はどこかで死んでいる」
「そういうことに、なりますよね。離れていく直線が何らかの原因で曲げられた可能性は考えていました」
時間が戻ったのなら、それは軸から外れて、円を描くように過去の地点に戻って来なければならない。同じことを赤崎准教授は紙に描いた。
「どうしてここに戻って来られるかだが。それは分からない」
ボールペンで紙を叩いた。青いインクが二つ紙面ににじんだ。
「円になることは、やはり正しいことですか」僕は質問する。
「飽くまで想像だ。実際はまったく違った、なんてこともある。しかし、それ以外の説明の方が苦労しそうなのが第一感だ」
「どうすればこの現象が終わるのかも……」
「そうか。君はそれを聞きに来たのか」
赤崎准教授は驚くように動きを止めた。
「君、名前は?」
「鉢木透です」
「学籍番号は」
「260×××××です」
「何か分かったら明日までに連絡するから、待っていなさい」
「……恐らく、明日は来ないと思います」
赤崎准教授は「ああ、失敬」と口を曲げ、唇を転がすように噛んでいた。
「それなら今日中に連絡しよう。電話番号は」
「紙に書いていいですか」
「構わない」
ボールペンを貰い、僕は図の下に自分の電話番号を書いた。
「何か分かったらお願いします」
そう言って研究室を後にした。




