重ね合わせの殺人1.3
正午に食堂へ行こうとすると座席が学生で埋め尽くされる。人込みは得意ではなかったので、食堂を避け、キャンパスの書店で文庫本を眺めていた。
ラインナップはよく読むジャンルとは違っていて、新鮮さがある。殺人だとか、物騒なワードはなくて、紅葉や若葉が身近になるような落ち着きがあった。
着信音が鳴る。
本を戻して画面を確認した。
雨坂からだった。
「今、どこ?」
声量を抑えた質問から相当不機嫌なことが分かる。
その理由が見つかなくて、嫌な予感が募っていった。
書店で通話するのは迷惑だと思い、僕は入口へ急いだ。
「キャンパスの書店だけど」
雨坂は沈黙した。
「今日の私の拍手を無駄にしないで」
刺すような冷たい声。覚えのない棘に背中が冷たくなる。
「すっぽかすつもり?」
「すっぽかすって……まさか」
僕は周囲を見回して、場所を移動した。
そう言えば七月二日は雨坂とオーケストラを鑑賞する約束があった。しかし、それは昨日のことで、今日の話ではなかった。
曜日の間違いだけではなくて、日にちまでも間違えている可能性が過ぎる。
「忘れてたの?」
そう問い詰められる。僕は「日付に、気が付かなかった」と素直に白状した。
「とにかく、すぐ来る」
そう言われ通話が切られた。
僕は一旦状況を整理すると、次にはキャンパスを走り出していた。
雨坂との付き合いは高校のときからだった。きっかけは教室でミステリーを読んでいたことだった。「古典ミステリーだよね」そう声を掛けられ、ページを逆さまから覗き込まれると「誰が犯人だと思う?」と聞かれた。暫定的な犯人と推理を話したら、初対面でありながら「甘いなあ。嗅覚が悪い」と呆れられたのを覚えている。
それ以来、ミステリーの話題で話すことが増え、偶然同じ大学に進学したこともあって交流が続いていた。
七月上旬はすでに夏だった。木々が作った影を通っても、汗が出てきて、合流した後のことが憂鬱になる。
雨坂の機嫌はずっと心配だった。キャンパスを走っている人が珍しかろうが、構っていられなかった。
正門で日傘を差す雨坂が目に入る。その姿は、昨日の記憶と一致していた。
「今日のお昼、案内してくれるんだよね」
僕は息を切らしながら「え、知らないけど」と答えた。
雨坂の目が鋭くなる。僕は勘が悪かったことを察して、「そういえば、そうだった、ような」と誤魔化す。
カールさせた黒髪と清涼感のあるコーデも、怒らせると猛禽へ変わる。この目には逆らえなかった。
「ような、じゃなくて、最初からそうだった。二言は無い」
強引だった。
そんなことが言えるはずもなく、僕は諦め、折れることにする。
「第一項、人は極力怒らせないこと。これは前にも言った」
そう言って雨坂は「行こ」と先に歩き出した。
「気を付ける」
そう付いて行きながら、痛い出費だと心の中で思った。
昼食は、前から気になってはいたものの、一人では行きづらかった飲食店を選んだ。
その後、電車に乗り、コンサート会場へ行く。人生で初めての経験だったはずが、昨日の演奏が最後まで再現された。
そして夕食も、僕は奢らされた。
雨坂はアルコールに強いので、ワインをかなりのペースで飲んでいた。自分だけは動けるよう、注意を配りながら、僕は相手をしていた。
店を出たとき、ほどほどに酔っているのが分かった。
二人とも大学から近い駅に住んでいたので、電車へ乗り戻ってくる。
雨坂と別れるとき「どうしてその服を選んだの」と聞かれた。
雨坂は酔うと抑揚がなくなる。だからこういうとき感情がなかなか読み取れなかったりする。
「似合ってなかった?」
「うん、似合ってない」
そう言って僕たちは別れた。
家に帰ってきて僕はシャワーにも入らず眠りに落ちた。
翌朝。
スマートフォンで日時を確認する。
日付は七月二日だった。




