重ね合わせの殺人5.2
ノックすると、赤崎准教授が神経質そうな表情で扉の向こうから顔を出した。
「何事ですか」
僕はノックが強くなっていたことに気が付いて「すみません」と謝罪する。
「聞いていただきたい話があります」
「とりあえず入りなさい」
赤崎准教授は、七月二日を繰り返していることは知らない様子だった。その話をした七月二日は今朝の時点で存在しなかったことになっていった。焦りが一から説明しなければならないことにもどかしさを覚えさせる。
僕は大きく呼吸をして頭の中を空にした。
研究室に入ると、赤崎准教授がお茶を用意しているところだった。
「ありがとうございます」
そう言うと、「座りなさい」と当然のことを指摘するように指示がされた。
場が整えられる。
「要件を話してください」
そう説明を求められた。
僕は七月二日を繰り返していることから説明をした。存在の波の話をして、死から波動が曲線を描くことを紙へ図示した。
「恐らく、自分ともう一人の知人が死んでいることが原因で、曲線が描かれるのだと思います」
これは三度目の夜に意見が一致した部分だった。
赤崎准教授は紙面へ視線だけを下ろしながら考え込む。
「ここへ来たのはその知人から逃げるためですか」
僕は繰り返す理由について議論されると思っていたので、虚を突かれた。
「そう、だと思います」
「それなら、君がここへ来ることを、知人は予測していると考えたほうがいい」
言われてみればそうだと、僕ははっとした。
「鍵を閉めなさい。それで済みます」
僕は席から立ち、すぐ後ろにあった鍵を閉める。
「死んだときの記憶は」
「ありません」
「原因が死に関係することも不確かってことだね」
「状況からその可能性が高いと勝手に思っているだけかもしれません」
「私もその可能性が高いと、勝手に考えているが」
赤崎准教授が考え出すと、僕は待っているしかなかった。話のテーマだけは把握したかったものの、その質問を躊躇する。回答の準備は諦めた。
「しかし、死んだときの記憶がないのは不思議じゃないか」
「多世界解釈だと考えています」
「都合よく解釈すれば」
僕はt軸に平行となるように一本の線を引いた。
「この線を境界に、世界の在り方が変化するんだと思います」
「それだと、この線を越えなければ存在を証明できない」
「他に可能性が挙げられれば否定します」
「私も君の意見には賛成している」
赤崎准教授は立ち上がり、「日付が周期になっている可能性か」と歩き出した。
僕は「死後、繰り返しのタイミングでしょうか」とためらいながら質問した。零時になった瞬間、描かれた円が前日の、つまり二十四時に着地する。そうでなくても、日付によって、何かしらの繰り返すルールが定められている。
「人工物ですからね」
そう否定しながら、赤崎准教授は他のデスクにあったモニターの操作を始めた。
「もう一人というのは、誰かね」
「雨坂さんです」
続けて学部、学科、学年の情報を伝える。
「問題は発散する速度か」
そう呟いて、赤崎准教授は引き出しを開けた。見ているとナイフが取り出されたようだった。金属光沢を調べているのか、刃の先端を観察している。
「あの、それは……」
「果物を切るためのナイフだが」
さっきのことを思い出し、用途が別の目的にあるような警戒が全身に広がった。まさかと、殺される未来が予知される。
「果物はこの部屋にありますか」
「冷蔵庫の中に入ってる」
「会話の流れが不自然です」
「君の質問に答えているだけだが」
「納得できる説明がされていません」
確信に変わった。ナイフの用途は他のなにでもなく自分へと向けられている。それが決定的だった。
僕はすぐさま逃げるためのシミュレートをした。鍵を閉めたことを思い出して、下唇を噛む。退路は自分で封鎖していた。もしかすると、その時点で、殺害されることが決まっていたのかもしれない。
初動は……。
赤崎准教授から「すまないとは思っている」と謝罪された。
「しかし、君に起きていることは極めて稀な現象だということも理解して欲しい」
「納得できません」
「今日という日が繰り返されれば問題ない」
僕は説得が不可能と見て、逃げだすことだけに集中した。赤崎准教授とはテーブルを挟んで向かい合っている。向こうが動き出せば、すぐに逃げられるよう警戒を続けた。
「君は逃げ出すことができない」
「この状況が不利だとは思っていません」
「ここのロックを電子に切り替えさせてもらった」
「ああ……」
デスクへ向かったときに、電子ロックへ切り替えられたのだろう。逃げる方法は、逃げようとしたときには、完全に失っていた。
「おとなしく指示に従いなさい」
そのとき、部屋のドアがノックされた。
僕は咄嗟に振り向いて来訪者を確認した。ドアに設けられたガラスから雨坂の姿が見える。
なにかを話していたが、雨坂の声は聞こえてこなかった。代わりにガラスの向こうでメモが向けられていた。ざっと目を通し、上から順に指示へ従うことに決める。
確かに、この方法なら……。
打開させられる。そんな安心が押し寄せてきた。
最初の指示は、僕と赤崎准教授が雨坂のスマートフォンレンズへ収まるよう、位置を移動することだった。
「雨坂がすぐそこへ来ています」
後は状況を説明さえすればいい。
「同じ現象を経験したと言った人かね」
「彼女は状況を把握しているそうです」
赤崎准教授を一考させるに至れた。
「話を続けなさい」
「この現象を繰り返すためには、雨坂も殺害しなければなりません」
僕は相手の反応がないのを見て、
「雨坂にこの状況を知られた以上、彼女を殺害することは不可能になっています。ここで僕だけを殺害しても、殺害した事実は消えないということです」
そう自分で言いながら、その意味を納得する。
赤崎准教授は口を開けたまま立っていた。僕はこの場の最適解を知っている。その最適解を赤崎准教授も探しているような沈黙だった。
「今、ここで解放いただくことが、この場の最善だと提示します」
冷静さがあれば、簡単な理屈だった。ここで僕が殺されることは、僕の人生が途切れることでもあり、赤崎准教授の今度の生活が失われることでもある。お互いに得をしない選択は誰でも避けたい。
赤崎准教授の様子がみるみると落胆へ変わっていく。このことを知っているのは僕と雨坂だけで、それが交渉となった。
赤崎准教授はマウスを操作し、「行きなさい」と力なく言った。電子ロックが解除されたようだった。
鍵を確認して、開錠する。研究室を出た。
雨坂が「よくできた」と賞賛する。その後ろで、警察官の恰好をした男性が二人、待機していた。
僕は状況を把握する。ここまではメモには書かれていなかったと、そう雨坂を問い詰めたい気持ちを抑え、「あとはお願いします」とこの場を去った。




