第5話 技能習得に向けて
「アンリ。どうして、またこんなことをしたの」
目を覚ますと、セレナが鍋を抱えて立っていた。
怒鳴ってはいない。それがかえって堪えた。鍋は、寝る前には棚の上にあった。今朝は寝台の下から見つかったらしい。
食器6枚、木の匙とフォークが3本ずつ、着替えと下着、薪を束ねる縄など。昨夜、僕が場所を変えた物は74個。隠蔽の経験値に換算すれば、1480だ。
「ごめんなさい」
頭を下げる。謝罪は本心だった。だが、もうしないとは言えなかった。
「昨日も約束したでしょう」
「……うん」
「困るの。朝から全部探さないといけないし、刃物までなくなったら危ないのよ」
部屋の隅で、モンドが居心地悪そうにこちらを見ていた。セレナの言うことが正しいと分かっているため、簡単には庇えないらしい。
それでも、僕が項垂れたまま黙っていると、とうとう口を挟んだ。
「もう、そのくらいにしてやったらどうだ」
「あなたは甘すぎます」
「物を壊したわけじゃない。盗んだわけでもない。子供の遊びだろう」
セレナは反論しかけ、鍋を抱く腕から力を抜いた。
「……そうね。ごめんなさい。お母さんも、少し怒りすぎたわ」
僕の前へしゃがみ、乱れた髪を整える。
「でも、もう隠さないでね」
「うん。ごめん」
嘘をついた。
隠蔽技能を習得するには、物を他人から隠し、見つけられる必要がある。見つからないままでは「隠した」という結果が確定しないのか、経験値にならない。
1つにつき20。
習得に必要なのは19800。
数字だけ見れば、74個を毎日隠せば二週間ほどで届く。
だが、隠蔽は習得して終わりではなかった。
『魔の森』で野営地を隠すには、森にいる魔物の探知を上回らなければならない。最も高い個体は探知Lv6。安全を取るなら、隠蔽はLv7以上必要だった。
そのために必要な経験値は126万を超える。
さらに、隠蔽を一度使うたびにMPを1消費する。僕の最大MPは326。全てを使えば経験値は稼げるが、潜伏や他の技能を育てられない。
半分を隠蔽、残りを潜伏へ回した場合、Lv7までおよそ1年。Lv10には何年もかかる。
先は長かった。
だから、子供のいたずらで済む今を無駄にはできない。
昼前、セレナが洗濯へ出た隙に、僕は家の物を可能な限り移動させた。
今度は刃物に触れない。水桶や食器も、使う時にすぐ見つけられる場所へ置く。
困らせていることに変わりはない。
それでも、少しでも被害を減らしたかった。
家を抜け、村外れの大木へ向かう。根元の草を踏み、モンドが薪割りに使う短刀を構えた。幹には、僕がつけた浅い傷が幾重にも残っている。
「ふっ」
両手で振り下ろす。
刃が樹皮へ食い込み、硬い衝撃が手首から肩まで突き抜けた。
一回。
二回。
三回。
短剣技能を得るには、短い刃物で攻撃を当て続ける必要がある。一撃につき経験値は1。
毎日100回。それでも二歳の身体には過酷だった。20回を越えるころには持っていられなくなる。50回で掌が熱を持ち、70回を越えると刃を持ち上げるたびに全身が痛んだ。
休んでは振り、また休む。
100回目を打ち込んだ時には、腕が自分のものではないように震えていた。
短刀を草の上へ置き、大木へよじ登る。枝に腹を預けると、汗ばんだ頬を風が撫でた。遠くから、セレナの声が聞こえる。
「アンリ! どこにいるの!」
家へ戻り、隠された物を見つけたのだろう。
僕は目を閉じ、潜伏を意識した。
MPが一つ減る。
身体の輪郭が薄くなり、葉擦れの音へ溶けていくような感覚がした。
10秒。
それが、今の僕が身を隠せる時間だった。
切れれば、また発動する。
10秒ごとにMPを1消費し、誰かが僕を探している間、経験値が20ずつ積み上がる。下から見れば、枝には誰もいないように見えるはずだった。
「アンリ!」
声が近づいた。
セレナが木の下まで来て、周囲を見回す。
僕は息を止めた。
見つけてほしくない。
けれど、見つけられなければ彼女は探し続ける。
矛盾した願いを抱えたまま、技能を発動し続けた。
MPが尽きたころ、身体の輪郭が戻った。
セレナはすでにいなかった。
枝の上から村を見下ろす。藁葺きの屋根。土壁の家。森を警戒する柵と見張り台。いつか、この村の人たちも西の都市へ行ければいい。
百年前に失った故郷をもう一度見られればいい。
そんなことを考えながら、僕は木から下りた。
技能育成を始めて二週間。
隠蔽と潜伏は、ようやくLv2へ上がった。
けれど喜びも束の間――その翌朝、隠蔽の意味を、僕は初めて知ることになる。




