第97話:二度である
紐を解いた。
六行あった。
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三十一年前の件につき、当時の在職者より聴取す。
処置十六名のほか、現場に一名あり。女。当時十くらい。
当該下士官、処置を命ぜられたるも、これを行わず。徒歩にて帰す。
息あり。食を摂り、寒さを訴う。
ひと月ののち、病により死亡と聞き及ぶ。
右、当該下士官は軍規によらず、半月ののちに当人を訪ねている。
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わたしは、六行目をもう一度読んだ。
軍医殿には、行った、としか言っていない。
なぜ行ったかは聞かれなかった。聞かれなかったので、答えていない。
それでもこの一行は書かれている。
三十一年、誰も読まなかった。
読まれるように書いてもらいたいと思ったことは、一度もない。ただ、いつか誰かが読むのだろうと思っていた。
読まれた。
書かれてみると、五行までは、わたしがやったことである。
六行目だけが、わたしのことである。
わたしは綴りを畳んで、懐に入れた。
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小屋へ行った。
削りかけの石が一つある。参謀殿が来たときに当てていたものだ。
左の面が浅い。息が短かったところである。
三十一年で、こういう石は一つもない。
わたしはそれを持った。
いちばん手前の列の端へ行った。ここは、次に誰か埋めたら置く場所である。
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置いた。
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下は掘っていない。誰も埋まっていない。
石は、埋めた場所に置く。三十一年、それだけを守ってきた。
今日は守らなかった。
列を端から見た。
間隔は合っている。向きも合っている。
字はない。この墓地の石には、どれも字がない。ゆえに、どれが誰かを知っているのはわたしだけである。
いま、一つだけ、わたしにも分からないものが混じった。
どこで死んだかを知らない者の石が、掘っていない土の上に載っている。
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坂を下りた。
鍬も鑿も持たずに下りたのは、三十一年で初めてである。
参謀本部で、名を告げた。待たされなかった。
「ハルトマン下士官」
「はい」
「早いな」
「お受けします」
参謀殿は書きかけの紙を脇へ寄せて、端を揃えた。
「理由を言え」
「ございません」
参謀殿は、しばらく何も言わなかった。
「明日も同じか」
「はい」
「明後日も同じか」
「はい」
「それでよい」
参謀殿は紙を戻して、また端を揃えた。
二度揃えた。一度目で揃っていたはずである。
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「回収したものは、その場で焼く」
「はい」
「焼けば、置く相手がいない。そう言ったな」
「申しました」
「いまも同じか」
「同じでございます」
「それもよい」
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部屋を出た。
廊下は暗かった。灯りを入れる刻限ではない。
三十一年前に、一度、背いた。
今日、もう一度、背いた。
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二度である。
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もう、背かない。




