第91話(幕間):小倅
*レオニード五世のイメージイラストを後書きに追加しました。
朝、麦の報せが来た。
先月の二百荷が届き、値は先々月より上がっている。
買っているのは南の連邦で、そのさらに向こうから、余が買っている。
「もう二百荷、買え」
「値が上がっております」
「上がっておるから買うのだ。下がってから買う者は、なぜ下がったかを知らぬままになる」
*
朝議に出た。
東の卓に十九名。余が座るまで誰も座らぬ。座ってからも、余が物を言うまでは誰も口を開かぬ。
うんざりする習いだが、直させると別のものが崩れるので放ってある。
「西の話をせよ」
宰相が立った。
「アイゼンヴァルトが、境に兵を集めております」
「数は」
「一万二千と見ております。冬に出す構えかと」
「冬にか」
余は笑った。
「小倅め。冬に出すか」
卓は静かだった。
誰も咎めぬ。咎めた者はこの二十年ひとりもおらぬ。あれを小倅と呼んでよいのは大陸で余ひとりだと、皆が承知しておる。承知しておるというより、諦めておる。
「皇帝陛下」
東方軍の将が言った。
「同盟の返答は、いかがなさいます」
「まだ出さぬ」
「夏から四度目の催促にございます」
「四度も寄越すか。よほど困っておるな」
「では」
「困っておるうちは、返事の値が上がる」
将は座った。
卓を見た。綺羅星のごとく揃っておる。揃っておるが、決めるのは余である。
それでよい。決めた者が責を負う。負う者が一人であれば、話は速い。
「商務」
「はい」
「西の麦は、いつまで出る」
「出続けております。刈り入れは去年の夏の一度きりのはずが、蔵から出る量が減りませぬ」
「減らぬか」
「減りませぬ」
「それは、蔵が大きいのか。作り続けておるのか」
「そこまでは」
「調べよ。急がずともよい」
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朝議を終えて、庭へ出た。
冬である。この国の冬は長い。
四十三年前、痩せた土地で人を養う術を学びに西へ行った。半年おった。
あの国は貧しかった。
畑は石が多く、麦は細く、それでも人が飢えずにおった。差配が良かったのである。その国が、いま大陸で一番麦を出す。
あの半年で、兄ができた。
二つ上の王子だった。
余が兄と呼び、あちらは面倒くさそうに返事をした。何もかもが逆の男である。余は思う前に動き、あの男は動く前に十年考えた。
*
二十年前、あの国が潰れかけた。
余は兵を出した。国の益ではない。卓の全員が反対し、それでも出した。西は残った。
それきり、あの男は余に何も頼まなくなった。
十二年前、境が動いたと聞いた。五つの村が持っていかれた。千二百人と聞いた。
使者は来なかった。
来れば、余は出した。出したことを、あの男は知っておる。
知っておるから、頼めぬ。
頼めば、二十年前のあれが取引になってしまう。誇りの高い男ほど、そうなる。
余は、それを分かって待っていた。
待っていて、村を五つ見過ごした。
*
庭の池に薄い氷が張っている。杖の先で突いた。割れた。
あの男が、王座を譲ったという。
十七の少年に譲って、退いてなお、その少年の下におるという。
四十年、誰にも頭を下げなかった男がである。
ゆえに余が測っておるのは、少年ではない。
あの男が何を見てそうしたのかである。
力に縛られておるだけなら、世界はあれを許さぬ。余も許さぬ。
あの男が、少年に何かを見たのなら。
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そのときは、待つ。
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部屋へ戻り、麦の紙をもう一度見た。
二十万の国が、二十万人ぶんを売って、なお蔵に残しておる。
誰も食っておらぬ、ということである。
紙を伏せた。
*
あの男から手紙は来ておらぬ。
来ぬことで、余は全部読んできた。
二十年前、礼状は来なかった。来ないのが礼だと分かった。
十二年前、使者は来なかった。来ないのが誇りだと分かった。
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今度も来ぬ。
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なぜなのか、分からぬ。




