第90話:額が出る
議を出て、参謀本部へ戻った。
卓の上に、朝のまま紙が置いてある。私は端を揃えた。
七件の写しと、境の報せと、斥候の報告書。三つは揃った。
四枚目が揃わない。
私が書いた一枚である。
使った量だけ、生きる長さが減る。
一晩で書いた。書いたときは、これで説明がついたと思った。
いまは、二十万という数の隣に置くと、紙のほうが薄い。
分かりかねます、と私は言った。十二名の前で言った。
三年、あの部屋でその言葉を使ったことがない。使わずに済むように、前の晩に調べる。それが私の仕事である。
*
扉が鳴った。
ライマー老だった。供を連れていない。紙も持っていない。
「参謀殿。少しばかり、数を頂きたいのですがのぉ」
「どうぞ」
「戦のことは、私にはさっぱりでしてな」
老人は椅子に座り、膝の上で手を組んだ。そこから出てきた問いは、七つあった。
「西へ出すとして、兵は何名でございましょう」
「一万二千」
「一万二千。境から王都までは」
「馬で四日。歩兵を入れて十二日」
「十二日。冬でございますな」
「そうだ」
「では十六日と見ておきましょう。糧秣は一日あたり」
私は答えた。
老人は書き取らない。うなずいて、次を聞く。聞き終えた数を、どこにも書かずに置いていく。
三つ目のあたりで、私はこの老人が何をしているのかに気づいた。
この者は、私の答えを検めていない。答えの速さを検めている。すぐ出る数と、少し止まる数を、分けている。
「戻りは、同じ日数で」
「同じではない」
「と、申しますと」
「戻るときは、荷が増える」
「なるほど。さすれば何が増えます?」
「傷を負った者と、死んだ者である」
「そちらは、置いてはこられませぬかなぁ」
「置いてはこられぬ」
「そうですのぉ」
老人は、そこで初めて指を動かした。膝の上で、二度。
「もう一つだけ。西に入りましてから、火を使いますか」
僅かだが返答に窮した。
「なぜそれを聞く」
「油は嵩みますのでなぁ。ほかの何より嵩みます」
私は答えなかった。
答えなかったが、老人はうなずいた。うなずいて、腰を上げた。
「三日ほど頂きます」
「三日で出るのか」
「出ますとも。私が三日と申し上げたら、三日でございますぞ」
老人は出ていった。
私は、揃えた紙をもう一度揃えた。
*
三日後、額が出た。
一枚である。上から下まで数字で、間に人の話が一行もない。
冬の十六日と、戻りの十九日と、一万二千の口と、馬の飼葉と、油。
いちばん下に、王国の一年の歳入に対する割合が書いてある。
私は数字を追った。追いながら、この老人は西を見ていないのだと思った。
見ていない者が、見てきた者の報告から、油の量まで引き出している。
斥候は火のことを一行も書いていない。書いていないものを、この老人は聞いて取った。
私は、その一枚を卓に置いて、しばらく見ていた。
議で決まったのは、待たぬ、ということだけである。
いつ、何名で、どこから入るかは、まだ何も決まっていない。
決まっていないが、額が出た。
*
額が出ると、動かせなくなる。
これだけ用意したものを、やはりやめる、と言うには、やめるための理由が要る。決めたときより重い理由が要る。
あの老人は、それを知っていて三日で出したのだと思う。
三日は、早すぎもせず、遅すぎもしない。早ければ用意していたと見え、遅ければ渋ったと見える。
*
窓の下で声がした。ブリッツである。
この男は、あの議で一言も喋らなかった。私はそれが気に入らない。
喋られるのも気に入らないが、喋らないのはもっと気に入らない。
「参謀殿。呼びました?」
「呼んでおらん」
「あれ。じゃあ勘ですね」
そう言うと窓枠に肘をついた。ここは二階である。何に乗っているのかは聞かないことにした。
「昨日の議っすけど」
「なんだ」
「俺、途中で数えるのやめました」
「何を数えていた」
「あの中で、あの紙を読んだ人が何人いるのかを」
私は男を見た。
「四人である」
「うす。四人でした」
「なぜやめた」
「四人だと分かった時点で、あとは決まってたんで」
男は肘を外して、下りていった。足音がしなかった。
*
私は卓に戻り、額の紙の隣に、自分の一枚を置いた。
二十万を使って、減っていない。ならば、何を使っている。
私はそう聞いた。あの部屋で、王に向かってそう聞かれ、そう答えた。
いま、その問いを見ている。
*
この問いには、使っている、が入っている。
*
私は紙の端を揃えた。
揃えてから、まだ揃っていないものが、紙ではないほうにあるのだと思った。




