第87話:数だけが、合わない
朝、二人が来た。
参謀と、軍医である。参謀が紙を持ち、軍医が綴りを抱えている。抱え方が下手だった。
私は卓を空けさせた。メルダースが左に立った。この者には昨夜のうちに、境の六枚と書状を戻させてある。
「置け」
*
卓に四つ並んだ。
百六十年前の綴り。七件の写し。斥候の報告書。そして参謀の紙が一枚。参謀が端を揃えた。
「読む」
*
綴りを開いた。
十二行ある。一行目は、いま回っているものだ。二行目から下は、百六十年前に落ちている。
私は端から読んだ。二度は読まなかった。一度で足りた。
書いた者の名がない。筆跡が三つある。
観察した者、決めた者、そして最後の一行を書いた者。
最後の一行だけ、墨の色が違う。
*
生者を退去せしむるは、これを見せぬためなり。
*
その余白に、書き入れがあった。
*
見たる者は、二度と同じようには働かぬ。
*
私は、そこで一度、顔を上げた。
「軍医」
「はい」
「お前は、これを読んだな」
「読みました」
「では、二度と同じようには働かぬのか」
レンツは答えなかった。答えないのが答えである。この男は嘘をつくのが下手だ。
*
「参謀」
「はい」
「お前の紙を読む」
*
一枚だった。
使った量だけ、生きる長さが減る。
三日で死んだ者は一度に使い、百日生きた者は薄く長く使った。
いずれも使い切って死んだ。だから短命なのである。
「名は」
「代償と」
「悪くない」
悪くはない。条文が書かなかった一行が、これで埋まる。数えた者に理由は書けない。理由を書くのは、数えなかった者の仕事である。
「それで」
私は言った。
「この説でいくと、あの少年はどうなる」
*
参謀は、すぐには答えなかった。
答えないのではない。
答えを持っていて、それが自分の説を殺すことを知っている顔だった。
「死んでおります」
「いつだ」
「二百日を待たずに」
「いま何日だ」
「二百十日を過ぎております」
*
部屋が静かになった。
メルダースが息を吸った。この者が音を立てるのは珍しい。
「軍医」
「はい」
「斥候は、少年が飯を食っていたと言った」
「申しました」
「噛む回数が一定していなかった、とも言った」
「はい」
「それは生きているということか」
「そう申し上げるほかに、判じようがございません」
*
私は卓を見た。
四つ並んでいる。
二百年ぶんの記録と、百六十年前の条文と、二十三日で数えてきた斥候の報告と、参謀が一晩で書いた紙。
どれも、正しい。
正しくて、合わない。
*
「並べろ」
私は言った。
「合っているものと、合っていないものを分けろ」
参謀は紙を裏返して、書いた。
*
合うもの。中心なる者が、生者であること。
合うもの。年少であること。
合うもの。始まりが、村であること。
*
合わぬもの。及ぶ範囲。一村に対し、一国。
合わぬもの。日数。百日に対し、二百十日。
*
「間はどうした」
「書きませんでした」
「なぜだ」
「十九年から三十六年にございます。幅が広すぎます」
参謀は言った。
「三十一年がその中に入るのは、合っていると申すには足りませぬ」
私はうなずいた。この男は、合っていないものを合っていると言わない。
だから合っていると言ったものは、そのぶん重い。
*
私は三つを見た。生者である。年少である。始まりは村である。
どれも、数ではない。
数で合っているものは、一つもない。人数も、日数も、間も。合っているのは、その者が何であるか、それだけである。
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「参謀」
「はい」
「この記録は、今度のものと同じ事か」
「同じ事にございます」
「なぜ言い切る」
「人が合っております。生者であること、年少であること、村から始まったこと。三つとも合って、なお別の事であるとは申せませぬ」
「では、数はなぜ合わぬ」
「分かりかねます」
軍医が口を開いた。
「一つだけ、申し上げられます」
「言え」
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「合わぬ二つは、実は一つにございます」
レンツは言った。
「二十万を起こして、なお二百十日生きております。参謀の説でまいりますなら、二十万を使った者は、その日のうちに死んでおらねばなりませぬ」
「その一事だけが、記録にも、参謀の説にも、収まりませぬ」
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私は指で卓を二度叩いた。
人については、記録どおりである。数だけが、合わない。
「メルダース」
「はい」
「議を開く」
「何名を」
「各方面司令官、主計監、軍監、書記。外務長官も呼べ。四の巻の八の章を読んだ者はすべて」
「十一名。承知しました」
「念のため、ブリッツも混ぜておけ。迅雷の名は西にも届いている。場合によっては切り札になる」
「十二名になりますが」
「構わぬ」
*
同じ事で、数が合わぬ。
ならば、過去の七度とは違う何かが起きている。
*
「動かねば、飲まれるやもしれぬ」
*
言ってから、誰にも聞かせるつもりがなかったことに気づいた。
三人とも、聞こえた顔をしていた。
私は綴りを閉じた。閉じてから、指で押さえた。
この紙を読んだ者は、二度と同じようには働かぬという。
まずそこから破ることにしよう。




