第86話:力の代償
「エルヴィーン参謀。軍医殿がお見えです」
書記がそう言って、下がった。
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レンツは綴りを抱えて入ってきた。
脇に挟むのでも、両手で捧げるのでもない。胸の前で、片腕を回して抱えている。書庫から城まで、そうやって歩いてきたのだろう。
私は卓を空けさせた。
「置け」
「は」
置かれた綴りの端が、揃っていなかった。私はそれを見た。見てから、自分がそこを見たことに気づいた。
この男は端を揃える。三度、それを見ている。揃えなかったのは、揃える気にならなかったからだ。
「読んだか」
「読みました」
「写しは」
「取っておりませんが」
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私は綴りを開いた。
四の巻、八の章、三の項。百六十年前に落ちた項である。十二行あった。一行目は知っている。いま回っているものだ。二行目から下は、初めて見る。
私は端から読んだ。読み終えて、初めから読んだ。二度目に読んだのは、書いた者が何を書かなかったかを見るためである。
書かなかったことが、一つあった。
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なぜ、中心なる者は長く生きぬのか。
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条文は、長く生きず、としか書いていない。三日から百日。それだけである。理由は一行もない。
「軍医」
「はい」
「これを読んで、何を思った」
レンツは、少し黙った。
「二百日を超えております」
それは私も数えた。夏の一日から数えて、二百日あまり。記録の最も長いものの、倍である。
「ほかには」
「ございません」
「ないのか」
「私は医者でございます。三日で死ぬ者と、百日で死ぬ者がおり、その差が何かは書いてございません。書いていないものを、私は読めません」
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この男は、そこで止まる。
止まるのが、この男の質である。三行の報告を二十年書ける者は、そこで止まれる者だけだ。
私は止まらない。止まらないのが、私の役目である。
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卓に三つ並べた。
左に、この綴り。真ん中に、七件の写し。右に、斥候の報告書。二枚しかない、数だけの報告書である。私は端を揃えた。
三つに、同じ言葉が出てくる。中心なる者。
条文は、こう言う。中心なる者は、いずれも生者なり。いずれも年少なり。その日より長く生きず。
七件は、こう言う。四名、九名、十一名、十九名、二十三名、二十八名、十六名。いずれも一村を出でず。
斥候は、こう言う。二十万。七ヶ月。少年は食い、水を飲み、育っている。
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私は紙を取って、三つの数を並べた。
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二十八と、二十万。
百日と、二百十日。
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どちらも、後ろが大きい。
同じだけ大きいのではない。二十八から二十万は七千倍で、百日から二百十日は二倍である。桁が違う。
しかし、向きは同じである。
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私は筆を止めた。止めてから、置いた。置いてから、また取った。
向きが同じであるということは、二つが一つの量で結ばれているということである。
起こす者が多いほど、長く生きる。
いや、違う。順が逆である。
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長く生きるほど、多く起こす。
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私は書いた。
中心なる者は、力を使う。使えば減る。減りきれば死ぬ。
三日で死んだ者は、三日ぶんを一度に使った。
百日生きた者は、薄く長く使った。
いずれも、使い切って死んでいる。
だから短命なのである。病でも、呪いでもない。使った量だけ、生きる長さが減る。
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書いてから、私は一度、目を閉じた。
筋が通る。条文が書かなかった一行が、これで埋まる。
書いた者は、なぜ死ぬのかを知らなかった。数えただけである。数えた者に理由は書けない。
「軍医」
「はい」
「読め」
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レンツは私の紙を取った。取って、読んだ。読み終えて、私を見た。
「筋は通っております」
「そうだ」
「ただ」
「ただ、何だ」
「二十万を起こして、二百十日でございます」
私は待った。
「二十八名を起こした者が、百日でございました」
レンツは言った。
「二十万は、二十八の七千倍にございます。ならばその者は、とうに」
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「死んでいるはずだ」
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私はそう言った。
言ってから、それが自分の説を殺す一言であることに気づいた。
気づいて、それでも書いた紙を破らなかった。
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破らなかった理由は、二つある。
一つは、筋が通っているからだ。
使った量だけ減る。それ以外に、三日と百日を同時に説明できるものを、私は持っていない。
もう一つは、この説が正しければ、待てばよいからである。
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待てばよい。
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二十万を起こした者が、七千倍を使った者が、まだ立って歩き、飯を食っている。
ならばその者は、あと幾日ももたない。
兵を出さずに済む。
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私は紙の端を揃えた。
「軍医」
「はい」
「明朝、陛下に上げる」
「は」
「お前も来い。同じものを、別に読んだ者が要る」
レンツは、そこで初めて口を開いた。
「参謀」
「なんだ」
「その説には、名がございますか」
私は少し考えた。
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「代償、でよかろう」




