第84話:二までしかない
「レンツ様。記名が終わりましたらお入りください」
六棟目に入ったのは、聴取の三日あとである。
書庫の者は四人から二人に減っていた。一人は病で、もう一人は本来の持ち場へ戻された。
だが原本が出るかどうかは、人数の問題ではない。
六棟目と七棟目は、法令の綴りである。軍務規程は四つの巻に分かれている。
一の巻が編制、二の巻が糧秣、三の巻が賞罰、四の巻が雑則だ。
雑則というのは、どこにも入らないものを入れる場所である。
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六棟目には、いま回っている軍務規程がある。
四の巻を出させた。八の章を開く。一の項、二の項。次の頁は、九の章。行軍中の水源について。
半月前に参謀へ申し上げたとおりである。
書庫の者は、私が命令書を出すのを見ていた。畳んだ跡が四つついている。参謀の字である。
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一、軍務規程 四-八-三の原本を探索のこと。
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「四-八-三」
「そうだ」
「三はございません」
「承知している」
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この者は半月、私に付いている。ないものを探していることを、とうに分かっている。
境から上がってきた六枚は、規定によりと書いて、番号を添えている。
誰も、開いていない。
私は写しの束を出して、八月の一件を抜いた。
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規定により火を用う。
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番号は書いていない。
規定により、とだけ書いてある。
番号を入れたのは、その次の者だった。十月の三名の記録に、初めて四-八-三と入っている。
最初の者は、番号を書かなかった。書けなかったのだろう。
ただ、規定により、と書いた。次の者が、様式に流すときに番号を入れた。
どこから取ったのか。
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私は七棟目へ移った。
書庫の者は残りたがったが、六棟目にはもう用がない。ないものは、何度開けても出ない。
七棟目は、廃止された規程の綴りである。
軍務規程は五十年に一度、全体を改める。改めるときに、使わなくなった条項を落とす。落とした条項は捨てずに、こちらの棟へ移す。
二百年ぶんが、年代順に並んでいた。
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四日かかった。
五度目の改定、いまから百六十年前の綴りに、それはあった。
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四の巻 八の章 三の項
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私は、その頁で手を止めた。
条文が、いま回っているものより長い。いま回っているのは一行である。
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同種の事案に際しては、生者を現場より退去せしめたる上、処置にあたるべし。
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こちらは、その一行のあとに続きがあった。
私は数えた。十二行ある。
落とされたのは、条項ではない。
条項の後ろの十一行だけが落とされて、一行目が残った。
残った一行が、いまも回っている。
そして落としたときに、項番も落とした。
だから四の八は、二までしかない。だから六枚の記録は、ないものを引いている。
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私はしばらく、その頁を見ていた。
書庫の者が、後ろから覗いた。
「ございましたか」
「ある」
「では、写しを」
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私は返事をしなかった。
十一行を読んだ。読んで、閉じた。
それから、綴りを抱えて立ち上がった。
「写しは取らん」
「軍医殿」
「これは、私が持って上がる」
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書庫を出て、坂を下りて、川を渡った。
城の門で、私は一度立ち止まった。立ち止まった理由は、自分でも分からなかった。
二十年、私は三行の報告を書いてきた。三行で足りないものを、先月から二度、書いている。
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今度のものは、写しを取ることさえできなかった。




