第80話:数だけを書きました
斥候が戻った。
二十三日目である。往きに十日、向こうに四日、帰りに九日。予定より二日早い。
報告書が先に上がってきた。二枚。字は下手だが、行が曲がっていない。書き慣れていない者が、丁寧に書いた字である。
私は二枚を三度読んで、それから本人を呼べと言った。
*
「陛下。斥候は三番隊の下士官にございます」
エルヴィーンが言った。
「知っている」
「王が直に会われる階級では」
「その階級の者が、二十三日で二十万人を数えてきた」
エルヴィーンは黙った。この男は階級の話をしているのではない。私が階級を無視することを気にしている。
人は多数の無能と少数の有能に分類される。
故に、有能とだけ接しさえすれば大抵のことは事足りる。
有能無能以外の要素はすべて記号に過ぎない。
*
入ってきた男は、痩せていた。
十八だと聞いていたが、もう少し上に見えた。日に焼けていて、頬が落ちている。二十三日、まともに食っていない顔だ。
「ミカと申します。三番隊の斥候。十八であります」
声は落ち着いていた。
「読んだ」
私は二枚を卓に置いた。
「数しか書いていないな」
「はい」
「なぜだ」
「数なら、誰に読まれても話がずれませんので」
私は少し黙った。この男が誰に教わったのかは知らん。だが、同じことを言った者はそう多くない。
「読み上げろ」
*
「西の民は、夏の一日に、全員が同じようになりました。以後、日を追って乾いております」
「一日か」
「はい」
「なぜそう言える」
「乾き方が、村ごとに違いませんでした」
ミカは言った。
「半日離れた村の年寄りと、こちらの子供が、同じところまで来ておりました。一人ずつ死ぬ国なら、先に死んだ者から先に乾きます。並べればばらばらになります」
「ならなかったのだな」
「なりませんでした」
私は指を折った。夏から、いまが冬。七ヶ月ある。
「七ヶ月ぶんか」
「はい」
エルヴィーンが息を吸った。メルダースは動かなかった。この者は帳簿で先にそこへ着いている。
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「続けろ」
「倉が十四棟。門の外にございます。六棟の扉が開いておりました」
「中は」
「麦です。天井まで」
「麦が出ていく先は」
「南へ。荷車が十二台の列で。入れ違いに、石と材木と鉄が入っておりました」
私は帳簿の綴りを見た。二十万の国が、二十一万人分を売って、それでも蔵に残っている。売った金は消えていない。石になって戻っている。
「橋を見たか」
「見ました」
「どうだった」
「去年、板が三枚割れていて、上流を半日回りました。今年は荷車が二台すれ違えます」
二十年、あの国は橋を直せなかった。直せない理由を、私は知っている。
金がないからではない。
取れば、どこかで人が飢えるからだ。四十年、あの老人はそれで動けなかった。
いまは飢える者がいない。
*
「兵は」
「門番が二人おりました」
「二人」
「はい」
「それだけか」
「壁の内側で、武器を持った者を五人見ました。王都に、二十三日で五人であります」
「守りがないということでございますか」
エルヴィーンが口を開いた。
「いえ」
ミカは、そこで初めて言葉を選んだ。
「守る者しかおりませんでした」
*
部屋が静かになった。
「通りにおります。畑におります。堰で石を積んでおります。橋を架けております。倉で麦を担いでおります」
ミカは続けた。
「二十万が、疲れず、眠らず、命じられたことをしております」
「それを兵と呼ぶか」
「呼びません」
「では」
「呼ぶ言葉を、自分は知りません」
私はその答えを、悪くないと思った。
*
「王には会ったか」
「会いました」
「生きていたか」
ミカは、一度だけ息を継いだ。
「食事は取っておりました」
「食っただけでは分からん」
「噛む回数が一定しておりませんでした。途中で水を飲みます。硬いところで手間取って、指を使います」
私は顔を上げた。
「よく見たな」
「斥候でありますので」
「歳は」
「十七かと」
「去年は十六と言ったな」
「はい」
「では、育っている」
「背が少し伸びておりました。それだけです」
それだけ、という言い方が引っかかった。引っかかったが、そこは書かれていない。
書かれていないことを詰めるのは、後でいい。
「以上か」
「いえ」
*
「報告書に書かなかったことが、二つあります。書け、と言われて書きました。二枚は全部本当です。ただ、書かなかったものが二つあります」
「言え」
「一つは、村で粥を食いました」
エルヴィーンが息を吐いた。
「粥か」
「はい」
「なぜ書かなかった」
「書けば、そちらを聞かれます。斥候が敵地で物を食ったというだけで、話が全部そちらへ行きます」
私はうなずいた。
この者は、自分の落ち度で二十三日ぶんの数が潰れるのを嫌ったのだ。書かなかったのは、隠したかったからではない。
「毒は」
「入っておりませんでした」
「では、いい」
「は」
「次からは書け。書いたうえで、数を先に置け」
「承知いたしました」
*
「もう一つは」
*
ミカは、そこで背筋を伸ばした。
「自分は……あの王を誘いました」
エルヴィーンが動いた。私は手を上げて止めた。
「何だと?」
「おれと、来ないか、と」
「どこへだ」
「東へ」
私は卓を見た。二枚の紙が置いてある。数しか書いていない紙だ。
「向こうは何と」
「笑顔で、行ってみたいです、と」
「それだけか」
「泊まりは許してもらえるかどうか、と考えておりました」
私は少し笑った。笑ってから、笑ったことに自分で驚いた。
「なぜ誘った」
「分かりません」
「分からんで他国の王を誘うか」
「はい」
ミカは顔を上げなかった。下げてもいなかった。ただ、そこに立っていた。
「処分は、いかようにも」
「要らん」
「陛下。これは」
エルヴィーンが言った。
「何も、起きていない」
私は言った。
「起きていないことを裁く決まりが、うちにはあったか」
エルヴィーンは答えなかった。
「下がれ」
*
ミカは一礼して、扉のところまで下がった。
下がってから、止まった。
「陛下」
「まだあるか」
「あの国には、足をお運びにならぬがよろしいかと」
前回と同じか。
*
扉が閉まった。
私は二枚の紙を、もう一度めくった。
数は合っている。合っているが、合っていないものが一つ残った。
七ヶ月である。夏の一日に始まって、七ヶ月続いている。
「メルダース」
「はい」
「同じことが、前にもあったはずだ」
*
「二百年ぶんを出せ」




