第79話:また来てくださいね
「帰る」
おれはそう言った。
「え」
「明日、帰る」
*
残らない、とは言わなかった。
言えば、なぜと聞かれる。聞かれて、答えられる言葉をおれは持っていない。
持っていないから、帰ると言った。
斥候には帰る用がある。それは嘘ではない。
少年は、しばらく黙っていた。
「そうですか」
それだけだった。
引き止められると思っていた。
ヴァレリーの提案を、この少年は喜びとともに頭に思い描いたに違いない。
部屋のことも、朝の日のことも、畑が近いことも。
「お仕事ですもんね」
少年は言った。
「引き止めたら、困りますよね」
おれは、その言い方に覚えがあった。去年もそうだった。
この少年は、相手が困ることを見つけると、そこから先を言わなくなる。
*
一夜が明けた。
ヴァレリーは何も言わなかった。
昨日あれだけ言って、今日は一言もない。敷居の手前に立って、帰る支度の話が済むのを待っていた。
あの男は、おれが残らないことを知っていたのだと思う。
知っていて、言った。それが何のためだったのかは、いまも分からない。
*
外には馬が支度されていた。
鞍に袋が二つ括りつけてあった。開けると、干した肉と、麦の粉と、塩が入っていた。十日ぶんある。
脇に、あの老人が立っていた。
この老人が支度をさせたのだと、そのとき分かった。
誰に聞いたわけでもない。ただ、袋の括り方が、書類の角の揃え方と似ていると感じた。
おれは礼を言った。老人は頭を下げた。
それだけで、何も言わなかった。
*
門の外まで、少年が出てきた。
王が門まで出るのは、どの国でも普通ではない。この国であってもだ。
「気をつけて帰ってください」
「ああ」
「道は、直っています。橋も」
「見た」
「そうですか」
少年は嬉しそうだった。
「向こうに着いたら、何を食べますか」
「隊の飯だ」
「おいしいですか」
「まずい」
少年は笑った。
*
おれは馬に乗った。
乗ってから、去年のことを思い出した。あのときもおれは馬の上にいて、この少年を見下ろして、もう会わないほうがいいと言った。次はたぶん戦場だ、とも言った。
同じことを、もう一度言おうとした。
言えなかった。
去年は言えた。あのときのおれは、連れてこられて、帰されただけである。
今年は、自分の足で来た。来て、この少年を誘った。
もう会わないほうがいい、と言う筋が、おれにはない。
*
「ミカさん」
少年が言った。
「また来てくださいね」
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おれは手綱を引いた。
街道に出るまで、振り返らなかった。振り返れば、まだ立っているだろうと思った。
それを見たくなかった。
*
半日ほど行って、荷車の列とすれ違った。南へ行く車である。麦を積んでいる。御者は誰もこちらを見なかった。
おれは、報告すべきことを頭の中で並べ始めた。
乾き。
夏の一日。
村ごとに違わないこと。
倉が十四棟あること。
門番が二人しかいないこと。
二十年直らなかったものが直っていること。
麦が出て、石と鉄が入ること。
数が合えば商いが終わること。
全部、数になる。
数なら、誰に読まれても話がずれない。
*
迷ったのは二つ。
一つは、粥。
もう一つは、おれがこの国の王を東へ誘ったこと。
*
書かなければ、斥候ではない。
書けば、おれがどうなるかは分からない。
分からないが、それはおれの都合である。
都合で省いた報告を、あの砦で会った将も『一つも省くな』と言った。
だから書く。




