第78話:許してもらえるかどうか
「おれと、来ないか」
言ってしまってから、おれは自分の声を聞いた。
斥候が敵国の王に何を言ったのかを、後ろから聞いているようだった。
「どこへですか」
「東だ」
*
少年は、目を丸くした。それから、笑った。
「いいんですか」
「何がだ」
「他の国の者を入れて、怒られませんか」
おれは答えなかった。
「行ってみたいです」
少年は言った。
「ミカさんの家も見たいですし、屋根が急なのを見てみたいです。雪が積もるんですよね」
「積もる」
「歌も、誰かに教えてもらえるかもしれません」
少年は、荷造りの話をしていた。
「ただ」
少年は少し考えた。
「泊まりは、許してもらえるかどうか」
*
おれは、その言葉を聞き返さなかった。
そして思った。
やはり、大きく、救いがたいくらいに、ずれている。
脇で、老人が書類の角を揃えた。揃え終えて、また揃えた。同じ束を二度揃える意味は、おれには分からない。
*
「そうじゃない」
おれは言った。
「そうじゃない、というのは」
少年は、印を置いた。こちらを見ている。まっすぐ見ている。
おれが何を言っても、そのまま受け取る顔だった。
おれは口の中が乾いているのに気づいた。
「あんたは」
「はい」
「あんたは、ここに」
*
「陛下」
声は、扉のほうから来た。
ヴァレリーが立っていた。いつからそこにいたのか、分からなかった。扉が開く音を、おれは聞いていない。
「お話の途中に、失礼をいたします」
こちらを見ている。目を逸らさない。
「ミカ殿は、陛下をお誘いになっておられます」
「はい」
「陛下は、行ってみたいと仰せになりました」
「はい」
「では、話が早うございます」
ヴァレリーは、おれを見た。
*
「それよりもミカ殿」
「あなたが、この国に、残ればよい」
*
部屋の音が、なくなった。
書類を整えていた老人が、口を開いた。
開いたが、そのままだった。息はしている。唇も動いている。
動いているのに、言葉にならない。
それから口を閉じて、また書類の角を揃えた。
少年が言った。
「それは、いいですね」
立ち上がった。椅子が鳴った。
「ミカさん、ここにいてくれるんですか」
おれは答えなかった。
「部屋を用意します。西南棟が空いています。窓が広くて、朝に日が入ります。畑も近いので、歩けます」
少年は、もう住まいの話をしていた。
「私、聞きたいことがたくさんあるんです。去年は四日しかなくて、途中で終わってしまいましたから」
*
おれは椅子の背を掴んでいた。掴んでいることに気づかなかった。
残る?
この国に、残る?
残るというのは、ここで暮らすということだ。
そこまで来て、足の裏から何かが上がってきた。
村の人々の姿が思い浮かんだ。
小指のない男。右の耳のない年寄り。手首から先の色が違う女。そして、どこも欠けていない子供。粥を炊いて、誰も食わなかった。
おれがこの国に残る。
おれが。あいつらみたいに。
喉が動いた。
吐くものは、何もなかった。
*
「ミカさん」
少年が、こちらへ来ようとした。
*
おれは、後ろへ下がった。
*
下がってから、去年もこれをやったことを思い出した。
あのときは、少年が手を伸ばしてきて、おれは壁まで下がった。
*
今日は、壁がなかった。




