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白王と黒王  作者: ブルースライム
第2章:アイゼンヴァルト王国

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第73話:味は保証しないよ

 朝、村に入った。


 二十軒ほどの村である。井戸が二つ。柵はない。道の両側に家が並んで、その先で道がまた畑になる。


     *


 煙の匂いがした。


 それだけだった。


 人の住む村には、ほかにも匂いがある。家畜と、汚れ水と、飯の匂いである。おれの村にもあった。二十軒あれば、必ずある。


 ここには、煙しかなかった。


     *


 三軒目の前で、男と鉢合わせた。


 水桶を持っていた。桶を置いて、こちらを見た。逃げなかった。声も上げなかった。


「東の人かい」


「そうだ」


 おれは答えた。


 斥候は嘘をつく。つくのが仕事である。この時は、なぜかつかなかった。


「寒いだろう」


 男は桶を持ち直して、家のほうへ手を向けた。


「入りな」


 家に入った。


 土間があって、その先に板の間がある。囲炉裏に火が入っていた。


     *


 女がいた。年寄りが一人いた。子供が一人いた。


 四人である。


 誰も驚かなかった。


 女が立って、奥へ行った。


 戻ってきたときに、椀を持っていた。


 粥だった。麦の粥に、干した菜が入っている。


 椀は一つだった。


     *


「味は保証しないよ」


 おれは椀を持った。


 持って、四人を見た。


 四人とも座っていた。座って、こちらを見ていた。


 誰の前にも、椀がなかった。


 鍋には、まだ残っていた。


 一人ぶんではない。五人でも六人でも足りる量が、火にかかっていた。


 毎朝、炊いているのだと思った。


 炊いて、誰も食べない。それでも炊く。


     *


 おれは食べた。


 うまかった。


 斥候は敵地の食い物を口にしない。それも仕事のうちである。おれはこの時も、それを破った。


 破ったことに気づいたのは、椀が空になってからだった。


     *


「おかわりは」


「いや」


「遠慮するな」


 女は奥へ行きかけて、戻ってきた。


     *


「やはり、食わないんだな」


 おれは聞いた。


 去年、おれを運んだ兵は、五日のあいだ一度も食わなかった。王に聞いたら、みんなそうだと言われた。


 答えは知っている。知っていて聞いた。


     *


 四人とも、答えなかった。


 答えなかったのは、答えられないからではないと思った。答えたくないという顔でもなかった。


 聞かれると思っていなかった、という顔だった。


     *


 年寄りが口を開いた。


     *


「必要がのうなりました」


 早口ではなかった。それでも、その先が少し分からなかった。


 分からないまま、続きを待った。


「夏に、村の者がみな、同じようになりまして」


「同じ、とは」


 年寄りは口を開けた。


 開けて、そのままだった。


 声が出てこないのではない。息は入っている。唇も動いている。動いているのに、言葉にならない。


     *


 おれは待った。


 三つ数えるほど待って、年寄りは口を閉じた。


 閉じて、別のことを言った。


「蔵が開いております」


「蔵?」


「はい」


 年寄りは、祈るように手を合わせた。


     *


「先の陛下も、蔵はお開けくださいました。毎年、開けてくださいました」


「では」


「毎年、春の前に足りのうなりました」


「今は」


「今の陛下は、よくしてくださいます」


 おれはその顔を見た。


 嘘をついている顔ではなかった。命じられて言っている顔でもなかった。


 自分の村の話をする顔だった。


     *


「誰も飢えません」


 女が言った。


「もう飢えません」


 同じ言葉を、二人が言った。


     *


 おれは囲炉裏の火を見ていた。


 火が入っているのに、この部屋は温かくない。四人とも、火のそばに寄っていない。


     *


 男が茶を持ってきた。


 置くときに、指が見えた。


 左手の、小指がなかった。


 切り口が乾いていた。血は出ていない。塞がってもいない。


     *


 おれは目を逸らさなかった。


 斥候は見る。それが仕事である。


     *


 男は、自分の手を見た。


「これは」


 声が変わった。


「治らないんだよ」


 部屋が静かになった。


 男は手を引いた。引いて、袖の中に入れた。


     *


「すまんな」


 おれは何も言わなかった。


「つまらないことを言った。忘れてくれ」


 三人とも、その男を見なかった。


 見ないようにしているのでもなかった。見る理由がない、という座り方だった。


     *


 おれは年寄りの手を見た。それから女の手を見た。


 年寄りは、右の耳がなかった。髪で隠れていて、座っている向きでは見えない。


 女は両手とも揃っていた。ただ、手首から先の色が、腕と違っていた。


     *


 子供だけが、どこも欠けていなかった。


 欠けていないのが、いちばん怖かった。


     *


 おれは立った。


 礼を言った。西で使われる言い回しを敢えて選んだ。


 四人とも、頭を下げた。


     *


 土間で草鞋を履いていると、子供が来た。


 六つか七つである。


 おれの手を見ていた。


「その手」


 子供は言った。


「あったかいの?」


     *


 外に出た。


 道に人が出ていた。桶を提げた者が二人。薪を抱えた者が一人。


 みな、会釈をした。


     *


 半刻ほど歩いて、おれは道を外れた。


 外れて、林に入って、吐こうとした。


 出なかった。


 去年は、出た。あのときは玉座の間で、人の見ている前で、二度出た。


     *


 粥は、うまかった。


 うまかったことが、いちばん駄目だった。

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