第73話:味は保証しないよ
朝、村に入った。
二十軒ほどの村である。井戸が二つ。柵はない。道の両側に家が並んで、その先で道がまた畑になる。
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煙の匂いがした。
それだけだった。
人の住む村には、ほかにも匂いがある。家畜と、汚れ水と、飯の匂いである。おれの村にもあった。二十軒あれば、必ずある。
ここには、煙しかなかった。
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三軒目の前で、男と鉢合わせた。
水桶を持っていた。桶を置いて、こちらを見た。逃げなかった。声も上げなかった。
「東の人かい」
「そうだ」
おれは答えた。
斥候は嘘をつく。つくのが仕事である。この時は、なぜかつかなかった。
「寒いだろう」
男は桶を持ち直して、家のほうへ手を向けた。
「入りな」
家に入った。
土間があって、その先に板の間がある。囲炉裏に火が入っていた。
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女がいた。年寄りが一人いた。子供が一人いた。
四人である。
誰も驚かなかった。
女が立って、奥へ行った。
戻ってきたときに、椀を持っていた。
粥だった。麦の粥に、干した菜が入っている。
椀は一つだった。
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「味は保証しないよ」
おれは椀を持った。
持って、四人を見た。
四人とも座っていた。座って、こちらを見ていた。
誰の前にも、椀がなかった。
鍋には、まだ残っていた。
一人ぶんではない。五人でも六人でも足りる量が、火にかかっていた。
毎朝、炊いているのだと思った。
炊いて、誰も食べない。それでも炊く。
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おれは食べた。
うまかった。
斥候は敵地の食い物を口にしない。それも仕事のうちである。おれはこの時も、それを破った。
破ったことに気づいたのは、椀が空になってからだった。
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「おかわりは」
「いや」
「遠慮するな」
女は奥へ行きかけて、戻ってきた。
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「やはり、食わないんだな」
おれは聞いた。
去年、おれを運んだ兵は、五日のあいだ一度も食わなかった。王に聞いたら、みんなそうだと言われた。
答えは知っている。知っていて聞いた。
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四人とも、答えなかった。
答えなかったのは、答えられないからではないと思った。答えたくないという顔でもなかった。
聞かれると思っていなかった、という顔だった。
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年寄りが口を開いた。
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「必要がのうなりました」
早口ではなかった。それでも、その先が少し分からなかった。
分からないまま、続きを待った。
「夏に、村の者がみな、同じようになりまして」
「同じ、とは」
年寄りは口を開けた。
開けて、そのままだった。
声が出てこないのではない。息は入っている。唇も動いている。動いているのに、言葉にならない。
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おれは待った。
三つ数えるほど待って、年寄りは口を閉じた。
閉じて、別のことを言った。
「蔵が開いております」
「蔵?」
「はい」
年寄りは、祈るように手を合わせた。
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「先の陛下も、蔵はお開けくださいました。毎年、開けてくださいました」
「では」
「毎年、春の前に足りのうなりました」
「今は」
「今の陛下は、よくしてくださいます」
おれはその顔を見た。
嘘をついている顔ではなかった。命じられて言っている顔でもなかった。
自分の村の話をする顔だった。
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「誰も飢えません」
女が言った。
「もう飢えません」
同じ言葉を、二人が言った。
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おれは囲炉裏の火を見ていた。
火が入っているのに、この部屋は温かくない。四人とも、火のそばに寄っていない。
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男が茶を持ってきた。
置くときに、指が見えた。
左手の、小指がなかった。
切り口が乾いていた。血は出ていない。塞がってもいない。
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おれは目を逸らさなかった。
斥候は見る。それが仕事である。
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男は、自分の手を見た。
「これは」
声が変わった。
「治らないんだよ」
部屋が静かになった。
男は手を引いた。引いて、袖の中に入れた。
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「すまんな」
おれは何も言わなかった。
「つまらないことを言った。忘れてくれ」
三人とも、その男を見なかった。
見ないようにしているのでもなかった。見る理由がない、という座り方だった。
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おれは年寄りの手を見た。それから女の手を見た。
年寄りは、右の耳がなかった。髪で隠れていて、座っている向きでは見えない。
女は両手とも揃っていた。ただ、手首から先の色が、腕と違っていた。
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子供だけが、どこも欠けていなかった。
欠けていないのが、いちばん怖かった。
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おれは立った。
礼を言った。西で使われる言い回しを敢えて選んだ。
四人とも、頭を下げた。
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土間で草鞋を履いていると、子供が来た。
六つか七つである。
おれの手を見ていた。
「その手」
子供は言った。
「あったかいの?」
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外に出た。
道に人が出ていた。桶を提げた者が二人。薪を抱えた者が一人。
みな、会釈をした。
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半刻ほど歩いて、おれは道を外れた。
外れて、林に入って、吐こうとした。
出なかった。
去年は、出た。あのときは玉座の間で、人の見ている前で、二度出た。
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粥は、うまかった。
うまかったことが、いちばん駄目だった。




