第72話:丁寧なんだ
境の杭は、去年の秋と同じ場所に立っていた。
三番隊の斥候、ミカ。十八。命令は、越えて、王都を訪れ、余すことなく見て、帰ること。
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去年も、おれは自分の足でここを越えた。
越えて、三日目に捕まった。そこから王都まで縄で引かれ、四日いて、馬をもらって帰った。
行きは、知らずに見た。
帰りは、知って見た。
今度は、最初から知っている。
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杭を越えた。
何も起きなかった。
道は乾いていた。冬なので土が固い。轍が深く残っている。荷車が通っている道である。
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人はいた。
半刻ほど歩いて、四人とすれ違った。
一刻でさらに七人。畑にも人が出ていた。冬の畑に、七人か八人。
みな、会釈をした。
おれは東の顔をしている。上着も東のものである。すれ違う者は、それが分かるはずだった。
分かったうえでみな、腰を折った。
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去年の秋も、こうだった。
あのときおれは、縄で引かれながら三十四人を数えている。
斥候は数える。
人の数、家の数、井戸の数。縄で繋がれていても、それはやめられない。二人がかりで引かれながら、おれは数えていた。
三十四人のうち、九人は旅の者だった。
背負子を担いだ小間物売り。杖の男。荷の間に子を寝かせた夫婦。
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今日は、一人もいない。
畑にいる者。桶を提げた者。薪を抱えた者。
みな、この辺りの村の者である。着ているものが同じで、歩く先が村の中にある。
外から来た者が、一人もいない。
噂は南へ回っている。回ったなら、来なくなる。
当たり前のことである。当たり前のことだが、その当たり前が、道の上では静かすぎた。
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昼を過ぎて、荷車に会った。
十二台あった。
二頭立てで、荷は麻袋。麦だ。積み方が高い。東から南へ抜ける道に入るつもりだろう。
おれは道の脇に寄った。
斥候は正面から人に会わない。会うときは、会ってもいい形にしてから会う。
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三台目の御者が、こちらを見た。
見て、手綱を引いた。
「兄さん、乗るかい」
南の方言だった。
「どこまで」
「港まで。八日」
「逆だ」
「逆かい」
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御者は笑わなかった。
笑わずに、こう言った。
「やめとけ」
おれは答えなかった。
この男は、おれが誰かを聞かなかった。
どこの者かも、何をしに行くのかも聞かなかった。荷を積んで、王都まで行って、また戻ってくる仕事をしていれば、聞かないほうが早いと覚えるのだろう。
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「積んでるのは麦か」
「麦だな」
「よく出るな」
「出すぎだよ」
「作ってるのか」
「蔵から、いくらでも出てくる」
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御者は水袋を取って、口をつけた。
つけてから、袋を持ったまま、しばらく持っていた。飲まなかった。
「積み込みはな」
この男は言った。
「向こうがやってくれるんだ」
「向こう?」
「城の者、倉の者だ。俺たちは手を貸さなくていい。降りて、待ってるだけでいい」
おれはただ耳を傾けた。
「一台につき、六人来る。六人で積む。速い。俺たちがやるよりずっとな」
「なら楽だろう」
「ああ、楽だよ」
御者は水袋を戻した。
「終わると、礼を言われるんだ」
「礼?」
「ご苦労さまでございました、と。全員がだ。六人が六人とも言う。頭を下げる」
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「城には入るのか」
「入らんね。倉は門の外だからな」
「中を見たことは」
「一度もない」
「見たいとも思わんのか」
「微塵も思わん」
おれは道の土を見ていた。
「それが」
「それだけだ」
御者は言った。
「それだけ、なんだよ」
荷車が動き出した。
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「兄さん」
御者が言った。
「去年は、俺のほかに六組いた。南から来る組が、ね」
「今年は」
「二組だ」
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三台目が過ぎて、四台目が来た。五台目も来た。
御者たちは誰も、こちらを見なかった。
十二台とも過ぎた。
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日が傾いて、畑が見えた。
冬の畑である。
何も植えられていない。土が起こしてあって、畝の形だけが残っている。
まだ人が出ていた。
おれは道の脇に座って、しばらく見ていた。
誰も、休まなかった。
腰を伸ばさない。水を飲まない。手を止めない。
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おれは数えた。
鍬が土に入る間が、初めの百と、終わりの百で、同じだった。
土を起こす仕事を、おれは村でやったことがある。
初めの百と終わりの百が同じになることは、ない。
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日が落ちた。
落ちてからも、音が続いた。
去年の秋、おれはこの道を三度通っている。
そのときも、畑には人が出ていた。
音が続いていたかどうかは、覚えていない。
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おれは立ち上がって、道を外れた。
林のほうへ入って、木の陰に荷を下ろした。
火は焚かなかった。
焚けば見つかる。
去年は、焚いて見つかった。
それで済んだ。済まないかもしれないと思うようになったのは、帰ってからである。
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馬の世話をしていた三ヶ月のあいだ、おれは毎晩よく眠った。
馬は夜になると眠る。横になるやつもいれば、立ったまま眠るやつもいる。どちらでも眠る。
眠るところを見ていると、こちらも眠くなる。
畑の音は、まだ続いていた。




