第69話:置くもの
北の門を出て、川を渡って、坂を上がる。
歩いて半刻ほどだと聞いていた。俺の足だと四半刻だった。走ったからだ。走る必要はなかったけど。
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上がりきると、野原だった。
柵も門もない。道が途中で終わって、そこから先が墓地になっている。
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石が並んでいた。
低い石だ。膝より下で、上が平らに削ってある。列になっていて、間隔が同じだった。
そんな中、男が一人、掘っていた。
冬の土は固い。鍬が当たる音が、同じ調子で続いている。俺が坂を上がりきっても、その調子は変わらなかった。
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「よっす」
男は手を止めた。
こちらを見て、それから鍬を穴の縁に立てかけた。
「迅雷殿」
「その呼び方、やめてもらえません?」
「では、なんとお呼びしますか」
「ブリッツで」
「ブリッツ殿」
「殿もいらないんすけど」
この男は、それには答えなかった。
黙って立っている。用件を待っているという顔でもない。ただ立っていた。
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「ハルトマンさん、でしたよね」
「はい」
「探してる石があるんすよ」
「どなたのです」
「去年の春に、一人ここに」
「はい」
「覚えてます?」
「覚えております」
「一年で何人くらい埋めるんすか?」
「去年は四百七十二です」
俺は少し黙った。
四百七十二という数が、すぐには頭に入らなかった。
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「で、全部覚えてると」
「はい」
「嘘でしょ!」
「奥から三列目の、端から九つ目です」
「なんで分かるんすか!」
「わたしが置きましたので」
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俺は奥へ歩いた。
三列目に入って、端から数えた。九つ目で止まった。
石があった。
ほかのと同じ大きさで、上が平らで、角が落としてある。苔はまだ乗っていない。
字は彫っていない。この墓地の石には、どれも字がない。
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奥の列ほど苔が厚い。三列目でもう乗り始めている石がある。
どれが誰なのかは、掘った男の頭の中にしかない。
ちなみに傭兵は埋めない。置いてくる。
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ハルトマンは、また掘り始めていた。
鍬の音が、さっきと同じ調子で聞こえてくる。速くもなく、遅くもない。
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「ねえ、ハルトマンさん?」
「はい」
「この人、去年の春に軍を追われかけたんすよ」
「はい」
「知ってました?」
「存じません」
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知らないと言った。
知っていて言わない顔でもなかった。この男は、たぶん本当に知らない。
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ハルトマンに、去年の春の話をした。
俺と親父は、傭兵団にいた。団長が陛下に背いて、負けた。俺たちは負傷して王都に残っていたので、その戦には出ていない。
出ていなかったが、そんな理屈は軍では通らなかった。
毎日、誰かが来た。
どこで何をしていたか、何を聞いていたか、何を知っていたか。同じことを何度も聞かれた。親父は寝たままで答えた。答えるたびに傷が開いた。
そういうのが二ヶ月続いて、それから止まった。
止まった理由は、旗本の名簿に俺の名前が入ったからだ。陛下がご自身で書かれたと聞いた。
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親父はその三ヶ月あとに死んだ。
俺はそのとき、名簿に名前が入ったことを、まだ親父に言っていなかった。言おうと思って、毎日行って、毎日言わなかった。
言えば、喜んでくれる確信はあった。
同時に、喜んだあとで、なぜお前だけなのかと聞かれるとも思った。
俺はその答えを持っていなかった。持っていないまま行くのが嫌で、毎日、別の話をした。
別の話は、いくらでもあった。
飯のこととか、廊下ですれ違った女のこととか、そういうものだ。親父はそれを聞いて笑っていた。傷が痛むはずなのに、毎回笑った。
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「ハルトマンさん」
「はい」
「なんで助けてくれたと思います?」
鍬の音が続いていた。
止まらなかった。
「聞いてます?」
「聞いております」
「で?」
「陛下にお聞きになればよろしい」
「聞けるわけないでしょ」
「では、分かりませんな」
それきり、この男は喋らなかった。
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俺は石の上に手を置いた。
平らだった。冬なので冷たかった。
上を平らに削ってあるのは、何かを置くためだと思っていた。
何を置くのかは、思いつかなかった。
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しばらくそうしていて、それから手をどけた。
手の跡が石に残っていた。すぐに消えた。
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「ねえ」
「はい」
「これ、なんで平らにしてるんすか?」
ハルトマンは、掘りながら答えた。
「置くものが要るときに、要るからです」
「何を置くんすか」
「人によります」
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俺は坂を下りた。
途中で一度、振り返った。
まだ掘っていた。鍬の音は、ここまでは届かなかった。
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川を渡るときに、西のことを考えた。
行けば片づくと、俺は思っている。
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片づかなかったことが、いままで一度もない。
それだけの理由で、そう思っている。




