第67話:変です
帳簿は四日目の朝に届いた。
南の港の入荷を、三年ぶん、月ごとに。綴りにして六冊あった。
わたしは机に並べて、古い順に開いた。
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二冊目の途中で、扉が鳴った。
叩いた音ではない。押して開けた音である。この城で、そういう開け方をする方は一人しかいない。
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「姉様」
「殿下」
「その呼び方はやめてくださいと、何度も申し上げました」
「軍務中にございます」
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テオドラ様は扉を閉めて、そのまま机の横に立たれた。
二十におなりだが、立ち方は十のころから変わらない。片足に重心を乗せて、もう片方の爪先で床を叩かれる。
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この方がお生まれになったとき、わたしは五つだった。
母が陛下の乳母を務めていたので、わたしも城で育った。乳母の娘と王妹が同じ部屋で人形を並べているのは、本来おかしなことである。
おかしなことだと気づいたのは、軍に入ってからだった。
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「姉様、いま忙しいですか」
「忙しゅうございます」
「では手短にします」
手短ではなかった。
まず、編みかけの手袋を出された。
「見てください」
「拝見しております」
「去年より上手だと思いませんか」
「思います」
「思っていない顔です!」
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去年も編まれた。一昨年も編まれた。
陛下が嵌めておられるのを、わたしは一度も見たことがない。
ただ、三揃いとも寝室の櫃に入っている。捨てられてはいない。
わたしはそれを、まだどなたにも申し上げていない。
「今年は指の数を数えました!」
「昨年は」
「……数えませんでした」
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「姉様。兄様は、お使いになりますか」
「存じません」
「姉様は、嘘が下手ですね」
「存じません」
テオドラ様は手袋をしまわれた。
それから、脇に挟んでおられた綴りを、机に置かれた。
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供述の綴りだった。
「殿下」
「読みました」
「どちらで」
「書庫です。でも、誰も止めませんでしたよ」
止める者はいない。
王妹が書庫に入るのを止められる者は、この城にいない。
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「二百人と書いてあります」
テオドラ様は綴りを開かれた。
「森で、こちらの兵が二百人、動けなくなったと」
「はい」
「そのあと、四日かかったと書いてあります」
「何にでございましょう」
「手当てにです」
わたしは黙っていた。
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「姉様。こちらの兵です」
「存じております」
「西の者が、こちらの兵の手当てを、四日したのです」
「そう書かれております」
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「もう一つあります」
「殿下」
「去年の秋です。こちらの斥候が一人、西で捕らえられました」
「存じております」
「その者は、帰されております」
「帰したのです。捕らえておいて、帰したのです」
テオドラ様は頁を戻された。
「わたくしは、そんな話をこれまでに聞いたことがありません」
「戦ではないのかもしれません」
「では、なんですか」
わたしは答えを持っていなかった。
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「変です」
テオドラ様は、それだけ言われた。
説明はされなかった。わたしに説明を求められもしなかった。
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「殿下」
「はい」
「軍務にございます」
「知っています」
「では」
「はい」
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テオドラ様は綴りを閉じられた。
閉じて、しばらく表紙を見ておられた。
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「姉様は、変だと思わないのですか」
わたしは答えなかった。
答えられなかったのではない。答えてよいかどうかを、決めかねた。
決めかねているあいだが、たぶん長すぎた。
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「分かりました」
テオドラ様が言われた。
「ありがとうございます」
「何も申し上げておりません」
「はい」
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テオドラ様は綴りを脇に挟み直して、扉のほうへ歩かれた。
途中で、振り返られた。
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「姉様」
「はい」
「兄様には言いませんよ」
それから、こう続けられた。
「言っても、聞いてくださらないと思うので」
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扉が閉まった。
押して開ける方は、閉めるときは静かにされる。子供のころからそうだった。
わたしはしばらく扉を見ていた。
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わたしは帳簿に戻った。
二冊目の、開いていた頁である。三年前の秋の入荷が並んでいた。
数字を目で追って、同じ行を二度読んだ。
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わたしは何も申し上げていない。
申し上げていないのにテオドラ様は何かを見つけ、何かに納得して、帰られた。
このことを陛下に申し上げるべきかどうか、わたしは決めかねた。
決めかねているうちに、日が暮れた。
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六冊のうち、四冊目までを読んだ。
三年前。二年前。去年。
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麦の入荷は、去年の夏から増えていた。
それより前の頁には、西から来た麦が一行も載っていない。
載っていないのは、記録が漏れているからではない。
西に、売る麦がなかったからである。
二十年、そういう国だった。
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わたしは五冊目を開かなかった。
開かなくても、何が書いてあるかは分かっていた。分かっていて、開かなかった。
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変です、とテオドラ様は言われた。
わたしは、まだ何とも申し上げていない。




