第66話:五つのうち
地図を広げるのは、わたしの仕事である。
卓が長いので、四隅に錘を置く。三年前に写させた一枚で、北の縁に草原があり、西と南は海で切れている。
中央に我らがアイゼンヴァルト王国があり、帝国は一枚に収まらない。
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十四名が入った。
名簿は陛下がご自身で書いて寄越された。王付士官のクラウディア・メルダースが写し、呼び出しを出した。つまりわたしが出した。
管掌はばらばらだった。
東部方面と北部方面の司令官が並び、その隣に主計監がいる。軍監がいて、参謀のエルヴィーンがいて、造兵の者と、輜重の者と、書記が二人。
いちばん端にブリッツがいた。
彼は、この場でいちばん階級が低い。
名簿の最後にその名を見つけたとき、わたしは書き間違いかと思って、二度読み返した。間違いではなかった。
人選の理由は、誰も説明されていない。
わたしも説明されていない。
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「メルダース士官。綴りを」
エルヴィーン参謀が言った。
この方はわたしを名前で呼ばない。三年、一度もない。
「はい」
わたしは軍医の所見を開いた。
「三体、死亡を確認。異常なし」
「それだけか」
「それだけでございます」
「では、なぜ上がってきた」
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わたしは次の行を読んだ。
「埋葬完了。埋葬地に石を置く旨、当該下士官より申し出あり。軍規に定めなし。差し支えなしと判断す」
「石」
軍監が言った。
「石がどうした」
「書いてございません」
「では読む必要はない」
「読ませたのは私だ」
陛下が振り向かれた。
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窓のほうに立っておられて、それまで一度もこちらを見ていなかった。
卓へ来て、地図の縁に手を置かれた。
「軍医が、書かなくてよいことを書いた。二十年、そういう男ではなかった」
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「陛下」
エルヴィーン参謀が言った。
「西へ兵を割くお考えでしたら、反対を申し上げます」
「言え」
「東でございます」
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東部方面司令官が、地図の右へ指を置いた。
「同盟の返答が、夏からございません」
「催促したか」
「三度。三度とも、検討中である、と。同じ文でございました」
「あの国の『検討』は得体が知れませぬ」
軍監が口を挟んだ。
「先王のときもそうでございました」
「その話をするな」
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陛下の声が短くなった。軍監はそこで黙った。
この方が先王に触れられるのを好まれないことは、この場の全員が知っている。知っていて、軍監は毎回触れてくる。
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「北東は」
「カレンツの状況ですが」
北部方面司令官が指を上げた。
「条約は、あと二年。更新の話は、先方から一言もございません」
「では、更新せぬ気だな」
「そう見ております」
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「北は」
「草原についてご報告申し上げます」
同じ者が続けた。
「昨年、氷が薄うございました。家畜を連れて南へ下りた群れが三つ」
「境を越えたか」
「草原は境の設置が不十分ですが、恐らくは」
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「南は」
「商業都市連邦の状況は精緻に把握できております」
わたしが答えた。
「西の報せは、ここを通ってまいります」
「買っているのか」
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「買っております」
主計監が言った。
「麦の値は、先月の倍でございます」
「なぜ上がる」
「ほかにも買う者が出たからかと」
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誰も口を開かなかった。
わたしは値の推移を綴りに書き込んだ。買値が上がったという報告を、わたしは三ヶ月続けて上げている。
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「西端の小国群は」
陛下が問われた。
卓の端が動いた。
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ブリッツが顔を上げた。
彼はそれまで腕を組んで、地図を上下逆から見ていた。逆でも読めるのだと本人は言う。一年で覚えたとも言う。わたしは半分だけ信じている。
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「レーヌでいいっすか?」
「行ったことがあるか」
「三年前に。傭兵で」
「どうだった」
「城が七つあって、王が七人もいました」
「七人か」
「はい。で、七人とも、隣の王を嫌ってましたねー」
「まとまらんな」
「そうすね」
ブリッツは肩をすくめた。
「まぁ、まとまってたら、俺は雇われてませんし」
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卓のこちら側で、誰かが息を吸う音がした。
彼が口をきくたびに、そういう音がする。
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「ブリッツ」
軍監が言った。
「陛下の御前だ。その口調はもう諦めているが、せめて腕を解け」
「うす!」
ブリッツは腕を解いた。解いて、そのまま卓に手をついた。同じことである。
軍監は何か言いかけて、やめた。
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「で、陛下」
ブリッツが言った。
「西へは、俺が行きゃいいんじゃないんすかね」
「理由を言え」
「ズバリ、早いからです!」
「早ければよいのか」
「早けりゃ大抵は片づきますよ」
「片づかなかったら」
「そのときは、まあ」
ブリッツは少し考えた。
「どうするかちゃんと考えるっす」
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「あとは陛下にお任せ、と言いかけたな」
陛下は地図から目を上げずに言われた。
「言ってないですって!」
「顔に出ている」
「あら?出てました?」
軍監がまた名を呼んだ。ブリッツは呼ばれ終わる前に「へい」と返し、口を閉じろと言われる前に口を閉じた。この順序で片づくようになってから、もうずいぶん経つ。
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閉じたまま、彼はわたしのほうを見た。
「ねえねえ、クラウちゃん?」
「なんでしょう」
「今の、悪くなかったよね?」
「悪うございました」
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エルヴィーン参謀が息を吐いた。軍監は天井を見た。
この場に慣れていない者が一人でもいれば、鼻白んだところである。慣れているので、誰も咎めなかった。三年も続けば、そういうものだということになる。
わたしが返事をするようになったのは、去年からである。返事をしなかった年のほうが長い。彼は数えていて、たまに数を言う。
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「五つある」
陛下が言われた。
地図に手を置いたまま、顔を上げられた。
「東、北東、北、南、西。このうち、いま一番厄介なのはどれだ」
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「東でございます」
参謀が即座に答えた。
「北東かと」
北部方面司令官がそう答えた。
「西でしょ」
ブリッツが言った。
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東と答えた者が九名。北東が三名。西が一名。
南と答えた者は、一人もいなかった。
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「メルダース」
「はい」
「お前は」
わたしは少し迷った。
迷ってから、答えた。
「自分には、分かりかねます」
「なぜだ」
「五つとも、同じ話に見えますので」
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陛下は、しばらく地図を見ておられた。
それから、指を動かされた。
東でも、北東でも、北でも、西でもなかった。
南の帯だった。
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「麦だ」
陛下は言われた。
「西が売っている。二十万の国が、余らせて売っている。買っているのは誰だ」
卓の端まで、誰も答えなかった。
分からなかったからではない。分かっていて、言いたくなかったのだと思う。
「夏から返事をよこさぬ相手だ」
陛下は指を東へ滑らせた。
「その相手が、西から買っている」
誰も何も言わなかった。
ブリッツが腕を組み直した。軍監は、今度はそれを咎めなかった。
わたしは書き取る手を止めていた。止めていたことに、しばらく気づかなかった。
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「兵は出さん」
陛下は言われた。
「出せば、西と話をつけにいったと見える。買っている者に、そう見える」
「では、いかがなさいます」
参謀が言った。
「帳簿を出せ」
「帳簿でございますか」
「南の港に入った麦の量だ。三年ぶん、月ごとに」
「いつまでに」
「四日でよい」
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わたしは書き取った。
書き取りながら、この方は結局、噂では動かれないのだと思った。
村が五つ落ちても、兵が二百戻らなくても、死んだ者が起き上がったと聞いても、動かれなかった。
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動かれるのは、数が合わないときだけである。




