第63話:連携と言う
兵を下がらせた。
出ていくとき、扉の枠に肩をぶつけていた。四日で三度、同じことをしているとメルダースが言った。
あれは戻らんな、と思った。
軍にはという意味ではない。前にはという意味だ。
*
「記録から外すべきかと存じます」
エルヴィーンが言った。
「理由は」
「証言として立ちませぬ」
エルヴィーンは調書に指を置いた。爪が短く切ってある。この男の爪は、いつ見ても同じ長さだ。
「血を失った者の申し立てを綴じれば、次に同じ者が出たとき、前例として扱われます」
「それで」
「軍が幽霊を数え始めます」
*
言い分は分かる。
この男は、そういうものをずっと潰してきた。潰してきたから、いまも部隊が持っている。
「残せ」
「陛下」
「残せと言った」
「なぜでございます」
「分からん」
*
エルヴィーンが黙った。
「分からんから残す」
私は続けた。
「捨てたものは戻らん。綴じたものは、いつでも捨てられる」
*
扉が開いた。
叩いていない。
「兄上」
テオドラだった。
*
「南から本が届きました」
「そうか」
「四冊です。二冊は薬草の絵が入っていました。あとの二冊は退屈でした」
「もう読んだのか」
「昨日届いたので」
*
エルヴィーンが一歩下がって、頭を下げた。
テオドラはそれに気づかず、卓の上を見ていた。紙が三枚ある。カスパー・レーヴェの調書と、境からの報せと、私が朝に見ていた徴税の綴りだ。
「これは何の話ですか」
「軍の話だ」
「軍の話ですね」
私の妹は、そう言って一度うなずいた。
うなずいてから、動かなかった。
「テオドラ」
「はい」
「出ていけ、という意味だ」
「分かっています。あ、そうだ、姉様」
テオドラはメルダースに声をかけた。
「あとで、本を届けますね」
「恐れ入ります」
「薬草の絵のほうです。あちらのほうが面白いので」
「頂戴いたします」
テオドラは出ていった。
扉は、閉めていった。開けるときは叩かないのに、閉めるときは音を立てない。どういう躾を受けたのか、私は知らない。
*
エルヴィーンが頭を上げた。
「陛下」
「言うな」
「まだ何も申しておりませぬ」
「顔に書いてある」
この男は、妹が卓の紙を見たことを気にしている。
私は気にしていない。あれは字が読めるが、軍の綴りは読めん。書式を知らんからだ。
*
「一つ決める」
私は綴りを閉じた。
「見に行かせる」
「どなたを」
「私自身を」
「なりませぬ」
「なりませぬ」
二人が同時に言った。
声の高さが違うので、二重に聞こえた。
*
「エルヴィーン」
「はい」
「お前は、なぜ止める」
「王が国境へ出れば、それは軍の動きにございます。斥候一名の話が、戦の話になります」
「メルダース」
「はい」
「お前は」
「陛下がお出になれば、向こうが数を出します。数が出れば、こちらも出します。そのあとは、どちらも止められませぬ」
「同じことを言っているな」
「違います」
先に口を開いたのはエルヴィーンだった。
「自分は軍のことを申し上げました」
「自分もでございます」
メルダースが言った。
「ただ、順番が逆でございます」
*
私は二人を見た。
この二人は、廊下ですれ違うときに挨拶をしない。三年前からそうだ。理由は聞いていない。聞かなくても分かる。
その二人が、いま並んで立っている。
*
「お前たちはなぜ」
私は言った。
「王に対して苦言を呈するときだけ、完璧な連携を見せるのだ」
「利害が一致しておりますゆえ」
エルヴィーンが言った。
「陛下がお間違えになると、後始末をするのは我々でございます」
「連携ではございません」
メルダースが続けた。
「同じことを思っただけでございます」
「二人が同時に同じことを思うのを」
私は言った。
「世間では連携と言う」
どちらも答えなかった。
答えないときは、譲る気がないときだ。
*
「分かった。行かん」
「賢明かと」
「エルヴィーン」
「はい」
「その言い方をやめろ」
*
斥候を出すことにした。
一名。装備は最小。境を越えて、王都まで行き、見て、帰る。
*
「西から人は来ているか」
「使者が六名。境で焼かれました」
「いつからだ」
「夏からにございます」
*
毎月の報せに、その話は混じっていた。
矢を受けても倒れぬ者がいた、斬っても立った、火を使ったら止まった。そういうものが、辺境から順に上がってくる。
私はそれを、兵の恐慌として読んでいた。
いまも変わらず、そう読める。
読めるが、この者たちは私の兵ではない。西の使者である。
*
「焼いた者に、聞き取りはしたか」
「しております。書き取りも取ってございます」
「読む」
「は」
メルダースは、そこで一度、私の顔を見た。
「三年ぶんございます」
「で、人選は」
「一度行った者がおります」
メルダースが言った。
「秋に捕らえられ、返された者です。三番隊の斥候で、名はミカ」
「返された?」
「西の王が帰したと申しております」
「なぜ帰した」
「分かりかねます」
「その男は何と言っている」
「聞かれるたびに、同じことを申しております」
メルダースは、そこで一度言葉を切った。
「あの国には、行かないほうがいい、と」
*
「行かせろ」
「本人が嫌がったら」
「嫌がるだろうな」
「では」
「嫌がる者を行かせろ」
メルダースは、少しのあいだ黙っていた。
「承知いたしました」
*
二人が出ていったあと、私は調書をもう一度読んだ。
字が下手だった。書いたのは記録官だが、聞き取りながら書いたのだろう。行が下へ流れている。
最後の行だけ、丁寧に書いてあった。
こちらを心配している顔だった、とあった。
*
私は、その行を三度読んだ。
兵は嘘をついていない。嘘をつくなら、もっとましなことを言う。怪物だったと言えばいい。誰も疑わん。
あれは、言わなくていいことを言った。
言わなくていいことを言う者の話は、たいてい本当である。
*
私は紙を伏せた。
伏せてから、もう一度めくって、同じ行を読んだ。




