第62話:腹が減っていました
四日、馬車に乗せられた。
国境から王都まで、休みが二度あった。二度とも、自分は降ろされなかった。降りていいと言われなかったからだ。
城に着いたのは、夕方だった。
通されたのは小さな部屋だった。卓が一つ、椅子が二つ。窓が高いところにある。
待て、と言われて、待った。
*
しばらくして、ひと目見たら二度と忘れないほどの、美しい女士官が入ってきた。
背が高い。軍装だった。階級章を見ようとしたが、目が霞んでよく読めなかった。四日、字を見ていない。
「カスパー・レーヴェ。三番中隊」
「はい」
「十九」
「はい」
「食え」
*
盆が置かれた。
パンと、豆と、干した肉。湯気が出ていた。
自分は手を出した。
出してから、止まった。
*
あの森でも、腹が減っていた。
*
思い出すのは、いつもそこからだ。
順番がおかしいのは分かっている。順番どおりなら、まず戦があって、それから森へ逃げて、それから三人が起き上がる。
自分の頭は、そういう順番で覚えていない。
最初に来るのは、腹が減っていたことだ。
*
あの日、朝から何も食っていなかった。
ヴィリと、オトマーのおっさん、名前を知らない一人と、自分の四人で森に入った。
ヴィリは腹をやられていた。おっさんは喉だった。名前を知らない一人は、走っているうちに倒れて、そのまま動かなくなった。
自分は腕だけだった。布を巻いた。結び目が固くなりすぎたが、直す気力がなかった。
*
半刻ほどして、ヴィリが動かなくなった。
おっさんはその前から動いていなかった。
自分は二人を並べた。
それから、木にもたれて座った。
*
そのとき、腹が減った。
はっきり減った。
三人が横になっているところで、自分の腹が鳴った。
*
嚢を探した。
朝、パンを半分残していたはずだった。あった。
食った。
*
食ってから、叫んだ。
仲間を助けてくれ、と叫んだ。
*
いま思うと、順番がおかしい。
先に叫べばよかった。
*
「食え」
女の士官が、もう一度言った。
「食べられません」
「なぜだ」
「腹が減っています」
*
自分はそう答えた。
答えてから、言っていることが変だと気づいた。
*
「レーヴェ」
「はい」
「腹が減っていると言ったな」
「はい」
「では、食えん理由が別にあるということか」
*
自分は顔を上げた。
女の士官は続ける。
「森で、何か食ったな」
「……はい」
「仲間が横になっているところで」
「はい」
「何を」
「パンです。半分だけ」
*
「そうか」
女の士官は、それだけ言った。
叱られるのだと思った。叱られなかった。
*
「レーヴェ二等兵」
「はい」
「お前は生きて帰ってきた」
「はい」
「生きている者は食う。負い目は不要だ」
*
自分は手を出した。
パンを割って、口に入れた。
豆も食った。肉も食った。
味がした。あの日から、初めてだった。
途中で手が止まらなくなって、盆が空になるまで食った。
食い終わってから、自分は下を向いていた。
涙が頬を流れた。
*
「一つ、聞いてもいいですか」
「言え」
「なぜ、先に飯を出したんですか」
「決まりだ」
*
女の士官は、それ以上答えなかった。
自分にはよく分からなかったが、軍にはそういう決まりがいくらでもある。
*
陛下が入ってこられた。
自分は立って、頭を下げた。下げてから、立つべきだったのか跪くべきだったのか分からなくなった。
誰も直さなかった。
もう一人、年配の男が一緒だった。参謀の徽章をつけている。
*
「話せ」
陛下はそれだけ言われた。
自分は話した。
*
森に入った男は、兵ではなかった。
鎧を着ていない。剣も帯びていない。若い。自分と同じくらいか、少し下に見えた。
その男が入ってきたあと、鳥が出た。
それから、ヴィリとおっさんが音も無く起き上がった。
そのあと、木にもたれていた一人が息を止めて、すぐに立った。
三人とも、その男のほうを見ていた。
*
「三人が、起き上がりました」
自分はそう言った。
言い終わって、部屋が静かになった。
*
参謀の男が口を開いた。
「レーヴェ二等兵」
「はい」
「腕をやられ、血を失い、半日、飲まず食わずでいたな」
「はい」
「そういう者が何を見るかは、軍では二百年ぶん、記録している」
「はい」
「認めるか」
*
「認めます」
自分はそう答えた。
「自分がおかしくなっていたのなら、そのほうがいいです」
*
参謀の男は、そこで少し黙った。
それから、陛下のほうを向いた。
「陛下。この者の申し立ては、証言として立ちませぬ」
「そうだろうな」
「にもかかわらず、お聞きになりますか」
「聞く」
「根拠は」
「三人だ」
*
陛下は卓に指を置かれた。
「起き上がったのが一人なら、こいつの目だ。二人でも、まだ目だ。三人が同じ向きを見たと言っている」
「幻はいくらでも数を増やします」
「増やす。だが揃えん」
*
参謀の男は、それきり口を開かなかった。
自分には、二人が何を話しているのか半分も分からなかった。
ただ、この二人は、こういう話し方をいつもしているのだろうと思った。
*
「一つ、よろしゅうございますか」
女の士官が言った。
「その男は、何を持っていた」
「袋です」
「何の袋だ」
「布の。肩から掛けていました」
「中身は」
「分かりません」
自分は言った。
「ただ、草の匂いがしました」
*
部屋が静かになった。二度目だった。
*
「陛下」
声が出た。
勝手に口をきいたことに、言ってから気づいた。止められなかった。
「なんだ」
「自分が呼んだんです」
「何をだ」
「仲間を助けてくれと、叫びました。声を上げなければ、あれは通り過ぎました。森は道から外れています。誰も入ってきません」
*
自分は、そこで一度息を吸った。
「自分が呼んだから、来ました」
*
誰も何も言わなかった。
女の士官が、こちらを見ていた。目を逸らさなかった。
参謀の男は、窓のほうを見ていた。
*
「レーヴェ」
陛下が問われた。
「はい」
「もう一度だけ聞く」
「はい」
「その男は、笑ったか」
*
「笑いました」
「どんなふうに」
*
自分は、答えられなかった。
どんなふうに、と聞かれて、初めて思い出した。
あれは、こちらを心配している顔だった。




