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白王と黒王  作者: ブルースライム
第2章:アイゼンヴァルト王国

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第61話:不遜な下士官

 広場に、二千ほどが集まっていた。


 冬の施しの日である。蔵を開け、麦を配る。父の代からの行事で、私はそれを八年続けている。


 壇の下に列ができていた。年寄りが多い。子供を背負った女がいる。片脚のない男が、杖をついて並んでいた。北の戦で失ったのだろう。四年前だ。


 私は壇の中央に立った。


     *


「今年の冬は長い」


 私は言った。


「蔵は開けてある。足りぬ者は、持っていけ」


 それだけだ。長く話す必要はない。


     *


 声が上がった。


 コンラート三世陛下、という声よりも早く、白王陛下、と誰かが叫んだ。


 前列の男だ。毎年同じ場所にいて、毎年同じことを叫ぶ。


 すぐに二千の声が続いた。


 私は片手を上げた。声がさらに大きくなった。


     *


 三十を数えるあいだ、私は手を上げたまま立っていた。


 顔は動かさない。笑わない。父は笑う王だった。民は父を好いていたが、蔵を開けたのは十七年で三度だけである。


 私は笑わない。蔵は毎年開ける。


 民はこちらを好む。


     *


 壇を下りた。


 メルダースが横についた。


 私の三歩後ろに立つのが決まりだが、この者は二歩で来る。三年前に注意して、直らなかったので、そのままにしている。


     *


 列の男たちが、こちらを見た。


 私を見ているのではない。二十五の女で、背が高く、顔がいい。髪は詰めて結っている。軍装のまま壇の脇に立っていると、麦より先にそちらを見る者が出る。毎年そうなる。


 本人は気づいていない。あるいは気づいていて、どうでもいいと思っている。たぶん後者だ。


 母親が私の乳母だった。城で育ち、そのまま軍に入った。


     *


「陛下。次は東門の壇にございます」


「何人だ」


「千二百ほどかと」


「多いな」


「東は不作でございました」


     *


 東門でも同じことをした。


 同じ言葉を言い、同じところで手を上げ、同じだけ立っていた。声の大きさも似たようなものだった。


 北門でも同じにした。


     *


 城へ戻ったのは、日が落ちてからだった。


 私は上着を椅子へ投げて、卓に座った。


 メルダースが扉を閉めた。


     *


「顎が痛い」


「笑っておいででしたか」


「笑っていない」


「では、噛みしめておいででしたね」


 わたしは、と言いかけて、この者は言い直した。


「湯を持ってまいります」


「要らん。おいクラウ、座れ」


     *


 敢えて愛称で呼びかけたが、メルダースは座らなかった。


 立ったまま、卓の向こうに寄った。この者は二人のときも座らない。理由を聞いたことがあるが、忘れた。


「あの男は何だ」


「どの男でございましょう」


「毎年、前列にいる。最初に叫ぶ」


「靴屋のバルトでございます」


「なぜ知っている」


「毎年、名乗ってまいりますので」


     *


「三箇所で、合わせて四千だ」


 私は言った。


「四千が同じことを叫ぶ。同じ調子で、同じ長さだ。誰かが教えているのか」


「教えておりません」


「では、なぜ揃う」


「嬉しいからでございましょう」


     *


 私は卓を指で叩いた。


「麦を配れば黙る」


「はい」


「黙らせるために配っている」


「存じております」


「知っていて、あれを見ているのか」


     *


 メルダースは、そこで少しのあいだ黙った。


 それから言った。


「陛下。理由がどうであれ、あの者たちは冬を越します」


「それは私の功ではない」


「功でございます」


「違う」


「陛下がお決めにならなければ、蔵は開きませぬ」


     *


「お前は、私を良い王だと思っているのか」


「いいえ」


 即答だった。


「では何だ」


「よく働く王でございます」


     *


 私は笑った。


 この日、初めて笑った。


     *


「白王、というのは」


 メルダースが言った。


「皮肉が効いておりますね」


「どういう意味だ」


「陛下ほど腹の黒い方を、白と呼ぶのでございます」


「不敬だな」


「はい」


     *


「メルダース」


「はい」


「王国史上、最も不遜な下士官だな、お前は」


「下士官ではございません。士官でございます」


「そうだったか」


「三年前に上がりました。陛下が署名なさいました」


「覚えていない」


「わたしは覚えております」


     *


「陛下」


「なんだ」


「いっそ、黒王と布告をお出しになってはいかがでしょう」


「布告」


「そのほうが正確でございますし、民も覚えやすうございます」


     *


 私は少し考えた。


「呼び名は、呼ぶ側が決める」


 卓を指で押さえて、私は続けた。


「私が決めることではない」


「では、白王で結構でございますね」


「好きにさせておけ」


     *


 誰が何と呼ぼうと、蔵は開く。


 それだけの話である。


     *


 扉が叩かれた。


 メルダースが開けて、何かを受け取り、閉めた。戻ってきたときには、顔つきが変わっていた。


「西でございます」


「読め」


     *


 文は短かった。


 国境の東で、こちらの部隊が押された。二百名が戻らぬ。


 村を五つ、明け渡した。


 そして、末尾に一行あった。


     *


「黒王、境を越えたるものと思われ候」


     *


「黒王」


 私はその語を返した。


「西の王のことでございましょう」


「誰が呼び始めた」


「分かりかねます」


 メルダースは文を裏返して、何も書かれていないのを確かめた。


「兵のあいだで、そう申しておるようです。いつからかは存じません」


     *


「さっき、お前が言ったな」


「申しました」


「布告を出せと」


「申しました」


 メルダースは、文を持ったまま立っていた。


「わたしの冗談より、兵のほうが早うございました」


     *


「もう一度読め」


 メルダースは、もう一度読んだ。


 同じ文だった。


     *


「生き残りが一名、境まで戻ってまいりました」


 メルダースは言った。


「この者が申しますには」


「言え」


「森に入ってきた男がいた、と」


「西の兵か」


「兵ではない、と申しております」


     *


 私は卓の縁を見ていた。


 木目が一本、斜めに走っている。八年、毎日見ている。


「ほかには」


「その男が入ってきたあと、死んでいた者が三名、起き上がったと」


     *


 私は顔を上げた。


 メルダースは、こちらを見ていた。目を逸らさなかった。この者はいつもそうする。


「その兵は、いま何をしている」


「話しております」


「誰に」


「誰にでも、でございます」


     *


「連れてこい」


「陛下」


「なんだ」


「四日かかります」


「では四日後に連れてこい」


     *


 メルダースが出ていったあと、私は座ったままでいた。


 顎はまだ痛かった。


     *


 西の少年のことは、去年の夏から聞いている。


 村が一つ、おかしくなった。国が一つ、おかしくなった。死んだ者が歩いている。噂は毎月届き、そのたびに尾鰭がついていた。


 私は一度も動かなかった。


 噂で兵は出せない。それだけの話である。


     *


 いまも、動くつもりはない。


 兵が一名、怯えて帰ってきただけだ。怯えた兵は何でも見る。そういう報告なら、いくらでも読んできた。


     *


 ただ、一つだけ引っかかった。


 村を五つ明け渡した、と文にはあった。


 あの五つの村は、十二年前に父が取った土地である。住んでいるのは西の生まれの者たちで、税は納めるが、こちらの歌は歌わない。


 私は毎年、あの村の徴税額を見ている。


     *


 西は、取り返しに来たのだ。


 それは分かる。


 分からないのは、なぜ十二年待ったのかということだった。

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