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白王と黒王  作者: ブルースライム
第1章:ヴィタリス王国 王都

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第57話(幕間):運べ

「ユーグ、右の端だ」


 ギヨーム様がそう言われたので、俺は右の端に立った。


 命令は三つだった。


 線を越えろ。村まで進め。止められたら押し通せ。


     *


 三つとも、前と逆だった。


 秋に同じ斜面で受けた命令は、この線から下りるな、仕掛けるな、来たら押し返せ、だった。


 俺は三つとも覚えている。簡単な命令だったからだ。


 今日のも簡単だ。


 覚えやすい命令ばかり出される。それだけ、あの方がこちらを信用しておられないのか、こちらを楽にしようとしておられるのか、俺には分からない。


     *


 理由も聞かされた。


 村が五つある。境の東へ馬で一日ほどのところだ。住んでいるのはこの国の者で、十二年前に境が動いたとき、向こうの側に入った。千二百人ほどいる。


 その者たちを連れて帰る。


 陛下がそう仰せになったのだと、隊付きの者が言っていた。秋のうちに決まっていたが、向こうが手放さなかったので、そのままになっていたらしい。


 俺は納得した。


 連れて帰るなら、行かねばならない。行くなら、境を越えねばならない。順に考えれば、そうなる。


     *


 もう一つ、前と違うことがあった。


 秋のあの日、東の兵が背を向けたとき、ギヨーム様は一歩前に出られた。


 追え、と言われるのだと思った。


 言葉は出なかった。口が僅かに開いて、息を一度お吸いになっただけだ。それから、線を保て、といつも通りの声で言われた。


 今日は、出た。


 同じ立ち方で、同じように一歩出て、そして声が出た。


     *


 境を越えた。


 何も起きなかった。


 草の色も、風の向きも、地面の硬さも、こちら側と同じだった。杭が一本立っているだけで、それがなければ越えたことも分からない。


 八百人が、順に杭の脇を過ぎていった。


 誰も足を止めなかった。


     *


 半日進むと、畑が見えた。


 麦の刈り跡が残っている。畝の間に雪が溜まって、白い筋になっていた。


 その向こうに村があった。


 煙が上がっている。


 俺はそれを見て、少しのあいだ何も考えられなかった。


 煙を見るのが久しぶりだった。


     *


 村の手前に、東の兵が並んでいた。


 二百ほどだろうか。数えろとは言われていないので、数えなかった。


 こちらは八百だ。


 向こうもそれは見えているはずだが、退がらなかった。村を背にして、そこに立っていた。


 俺はそれを見て、あれは村の者を守っているのだと思った。


     *


 押し通せ、という命令だった。


 俺たちは押し通した。


 書くことは多くない。二百と八百が当たれば、そうなる。向こうはよく戦った。三度、線を作り直した。三度目のときには、もう半分になっていた。


 俺は槍を三度使った。教わったとおりに受けて、外して、戻した。


 腹の穴はいつもどおり痛かった。


     *


 終わってから、俺たちは待った。


 起き上がるのを待っていた。


 秋のときは、半刻もしないうちに起きた。斜面の十五人がそうだった。倒れたところで、順に肘をついて、自分の傷を見て、それから立った。


 今日は、起きなかった。


     *


 半刻が過ぎた。


 誰も動かなかった。


 俺は近くの一人のところへ行って、しゃがんで、顔を見た。


 目が開いていた。開いたまま、何も見ていなかった。


 俺と同じくらいの年に見えた。


     *


 そこで、気がついたことがある。


 俺は、死体を見るのが久しぶりだった。


 半年ぶりだ。


 この国には死体がない。倒れた者は起きるし、起きない者は焼かれた者だけで、焼かれた者は灰になっていて、あれは死体とは言わない。


 だから忘れていた。


 人が死ぬと、こうなる。


     *


「起きんな」


 ギヨーム様の声だった。


 いつのまにか、すぐ後ろに立っておられた。


「はい」


「なぜだ」


「分かりません」


 俺は正直にそう答えた。


 ギヨーム様は、しばらく答えを待っておられるようだった。俺は他に言うことがなかったので、黙っていた。


     *


 やがて、あの方は西を見られた。


 それから、東を見られた。


 それから、足元の男を見られた。


「運べ」


「どちらへ」


「杭の向こうだ」


     *


 俺たちは運んだ。


 二百人ぶんだ。八百でやったので、そう時間はかからなかった。担いだり、引きずったり、荷車を使ったりした。


 荷車は村から借りた。


     *


 村の者が出てきていた。


 戸口に立って、こちらを見ている。女が多かった。子供もいた。男は少ない。去年、八十人が徴られて、四十人が戻らなかったと聞いている。


 誰も何も言わなかった。


 俺たちが荷車を引いてくれと言うと、引いてくれた。返すと言うと、受け取った。


 礼を言われもしなかったし、罵られもしなかった。


 あの者たちは、いま自分の村を守っていた兵が運ばれていくのを見ている。運んでいるのは、この者たちを連れ帰りに来た軍だ。


 俺なら何と言うだろうと考えて、何も浮かばなかった。


     *


 俺が担いだのは、さっき顔を見た男だった。


 軽かった。


     *


 杭を越えて、少し行ったところに並べた。


 横一列にした。ギヨーム様がそうしろと言われたからだ。


 それから、待った。


     *


 起きた。


 端から順にではなかった。ばらばらに、思い出したように、一人ずつ肘をついた。自分の傷を見る者もいたし、見ない者もいた。


 俺が担いできた男も起きた。


 立って、あたりを見て、それから俺を見た。


 何も言わなかった。


     *


「ユーグ」


「はい」


「杭の向こうでは起きん」


「はい」


「こちらでは起きる」


「はい」


「そういうことだ」


 ギヨーム様は、それだけ言われた。


     *


 俺は列に入れと言った。


 二百人が入った。東へ帰りたいと言う者は、一人もいなかった。


     *


 その晩、俺は火の番をしていた。


 火はいらないのだが、村から見えるように焚けと言われた。あれは合図だ。ここにいる、という合図だ。


 ギヨーム様は少し離れたところに立って、東を見ておられた。


 あの方はよく東を見る。


     *


 俺は、昼のことを考えていた。


 杭の向こうでは起きない。こちらでは起きる。


 そういうことだ、とギヨーム様は言われた。


 俺は、そういうことだ、という言葉が何を指しているのか分からなかった。分からないまま、たぶん大事なことなのだろうと思った。


 あの方は分かっておられる顔ではなかった。


     *


 もう一つ、考えたことがある。


 もし、杭がもう少し東にあったら。


 あの二百人は、運ばずに済んだ。


 それだけのことだ。

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