第57話(幕間):運べ
「ユーグ、右の端だ」
ギヨーム様がそう言われたので、俺は右の端に立った。
命令は三つだった。
線を越えろ。村まで進め。止められたら押し通せ。
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三つとも、前と逆だった。
秋に同じ斜面で受けた命令は、この線から下りるな、仕掛けるな、来たら押し返せ、だった。
俺は三つとも覚えている。簡単な命令だったからだ。
今日のも簡単だ。
覚えやすい命令ばかり出される。それだけ、あの方がこちらを信用しておられないのか、こちらを楽にしようとしておられるのか、俺には分からない。
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理由も聞かされた。
村が五つある。境の東へ馬で一日ほどのところだ。住んでいるのはこの国の者で、十二年前に境が動いたとき、向こうの側に入った。千二百人ほどいる。
その者たちを連れて帰る。
陛下がそう仰せになったのだと、隊付きの者が言っていた。秋のうちに決まっていたが、向こうが手放さなかったので、そのままになっていたらしい。
俺は納得した。
連れて帰るなら、行かねばならない。行くなら、境を越えねばならない。順に考えれば、そうなる。
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もう一つ、前と違うことがあった。
秋のあの日、東の兵が背を向けたとき、ギヨーム様は一歩前に出られた。
追え、と言われるのだと思った。
言葉は出なかった。口が僅かに開いて、息を一度お吸いになっただけだ。それから、線を保て、といつも通りの声で言われた。
今日は、出た。
同じ立ち方で、同じように一歩出て、そして声が出た。
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境を越えた。
何も起きなかった。
草の色も、風の向きも、地面の硬さも、こちら側と同じだった。杭が一本立っているだけで、それがなければ越えたことも分からない。
八百人が、順に杭の脇を過ぎていった。
誰も足を止めなかった。
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半日進むと、畑が見えた。
麦の刈り跡が残っている。畝の間に雪が溜まって、白い筋になっていた。
その向こうに村があった。
煙が上がっている。
俺はそれを見て、少しのあいだ何も考えられなかった。
煙を見るのが久しぶりだった。
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村の手前に、東の兵が並んでいた。
二百ほどだろうか。数えろとは言われていないので、数えなかった。
こちらは八百だ。
向こうもそれは見えているはずだが、退がらなかった。村を背にして、そこに立っていた。
俺はそれを見て、あれは村の者を守っているのだと思った。
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押し通せ、という命令だった。
俺たちは押し通した。
書くことは多くない。二百と八百が当たれば、そうなる。向こうはよく戦った。三度、線を作り直した。三度目のときには、もう半分になっていた。
俺は槍を三度使った。教わったとおりに受けて、外して、戻した。
腹の穴はいつもどおり痛かった。
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終わってから、俺たちは待った。
起き上がるのを待っていた。
秋のときは、半刻もしないうちに起きた。斜面の十五人がそうだった。倒れたところで、順に肘をついて、自分の傷を見て、それから立った。
今日は、起きなかった。
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半刻が過ぎた。
誰も動かなかった。
俺は近くの一人のところへ行って、しゃがんで、顔を見た。
目が開いていた。開いたまま、何も見ていなかった。
俺と同じくらいの年に見えた。
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そこで、気がついたことがある。
俺は、死体を見るのが久しぶりだった。
半年ぶりだ。
この国には死体がない。倒れた者は起きるし、起きない者は焼かれた者だけで、焼かれた者は灰になっていて、あれは死体とは言わない。
だから忘れていた。
人が死ぬと、こうなる。
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「起きんな」
ギヨーム様の声だった。
いつのまにか、すぐ後ろに立っておられた。
「はい」
「なぜだ」
「分かりません」
俺は正直にそう答えた。
ギヨーム様は、しばらく答えを待っておられるようだった。俺は他に言うことがなかったので、黙っていた。
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やがて、あの方は西を見られた。
それから、東を見られた。
それから、足元の男を見られた。
「運べ」
「どちらへ」
「杭の向こうだ」
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俺たちは運んだ。
二百人ぶんだ。八百でやったので、そう時間はかからなかった。担いだり、引きずったり、荷車を使ったりした。
荷車は村から借りた。
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村の者が出てきていた。
戸口に立って、こちらを見ている。女が多かった。子供もいた。男は少ない。去年、八十人が徴られて、四十人が戻らなかったと聞いている。
誰も何も言わなかった。
俺たちが荷車を引いてくれと言うと、引いてくれた。返すと言うと、受け取った。
礼を言われもしなかったし、罵られもしなかった。
あの者たちは、いま自分の村を守っていた兵が運ばれていくのを見ている。運んでいるのは、この者たちを連れ帰りに来た軍だ。
俺なら何と言うだろうと考えて、何も浮かばなかった。
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俺が担いだのは、さっき顔を見た男だった。
軽かった。
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杭を越えて、少し行ったところに並べた。
横一列にした。ギヨーム様がそうしろと言われたからだ。
それから、待った。
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起きた。
端から順にではなかった。ばらばらに、思い出したように、一人ずつ肘をついた。自分の傷を見る者もいたし、見ない者もいた。
俺が担いできた男も起きた。
立って、あたりを見て、それから俺を見た。
何も言わなかった。
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「ユーグ」
「はい」
「杭の向こうでは起きん」
「はい」
「こちらでは起きる」
「はい」
「そういうことだ」
ギヨーム様は、それだけ言われた。
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俺は列に入れと言った。
二百人が入った。東へ帰りたいと言う者は、一人もいなかった。
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その晩、俺は火の番をしていた。
火はいらないのだが、村から見えるように焚けと言われた。あれは合図だ。ここにいる、という合図だ。
ギヨーム様は少し離れたところに立って、東を見ておられた。
あの方はよく東を見る。
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俺は、昼のことを考えていた。
杭の向こうでは起きない。こちらでは起きる。
そういうことだ、とギヨーム様は言われた。
俺は、そういうことだ、という言葉が何を指しているのか分からなかった。分からないまま、たぶん大事なことなのだろうと思った。
あの方は分かっておられる顔ではなかった。
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もう一つ、考えたことがある。
もし、杭がもう少し東にあったら。
あの二百人は、運ばずに済んだ。
それだけのことだ。




