第56話:誰の指図だ
「ヴォルフ殿をお呼びしております」
ヴァレリーさんがそう言ったのは、一月の終わりだった。
「ヴォルフさんが」
「はい。昼過ぎには着きましょう」
「何かありましたか」
「お話がございます」
ヴァレリーさんは、それだけ言って書類を置いた。
*
私は嬉しくなった。
あの人たちが川沿いの土地に入ったのは、今月のはじめだ。落ち着いたころに見に行こうと思っていたが、まだ行けていない。
教会の使者が来て、その返事を待つことになって、そのあいだに日が過ぎた。
二百と十二人が、どんなふうに暮らしているのか、私はまだ知らない。
*
昼過ぎに、ヴォルフさんが来た。
革の胴着に外套。剣は帯びていない。門で預けたのだろう。
連れは二人だけだった。二人とも廊下に残って、部屋には入らなかった。入れと言っても入らないので、そういう決まりなのだと思った。
山で会ったときより、外套が新しくなっていた。麦と一緒に布も配ったから、そのぶんだろう。
「久しぶりだな」
「お元気でしたか」
「変わらんよ」
ヴォルフさんは、部屋の中を一度だけ見回した。
「そっちは忙しそうだな」
「そう見えますか」
「城の者の歩き方が速い」
*
「土地はどうですか」
「広いな」
「足りますか」
「持て余している」
ヴォルフさんは言った。
「三か所に分けろと言われたが、一か所に固めた。そのほうが早い」
「早い、というのは」
「集まるのがだ」
私はうなずいた。そういうやり方があるのだろうと思った。
*
「みなさんは元気ですか」
ヴォルフさんは、少し間を置いた。
「三人、動けなくなった」
「怪我ですか」
「膝だ。秋からだったが、冬で進んだ」
「手当てをします」
私は言った。
「私が行きます。薬草がまだ少しありますし、セシルさんに油を分けてもらえば、乾きも遅くなるはずです」
「そうか」
ヴォルフさんは、それ以上何も言わなかった。
断られたのかと思ったが、そうでもないらしかった。この人はいつも、返事が短い。要らないときは要らないと言うので、そう言わないのなら、来てもいいということだと思うことにした。
膝が悪くなるのは、村でもよくあった。年寄りに多い。冬に進むのも同じだ。あれは寒さで固まるのだと婆さんは言っていた。
あたためて、ゆっくり伸ばして、それを毎日続ける。治りはしないが、進むのは遅くなる。
*
ヴァレリーさんが入ってきた。
書類を三枚持っている。卓に置いて、ヴォルフさんのほうを向いた。
「南の街道のことにございます」
「南?」
「南から荷が参ります。二度目にございます。十二月の約束にございましたが、海が荒れて二度延びております」
ヴァレリーさんは言った。
「その警固を、お願いしたく」
*
「盗賊が出るのか?」
「出ませぬ」
「では、何を警固する」
「出ぬことを、示しておきたいのです」
ヴァレリーさんは言った。
「南の者は、この国の道を怖がっております。荷が無事に着くだけでは足りませぬ。誰かが守っていた、という形が要ります」
*
ヴォルフさんは、しばらく黙っていた。
それから聞いた。
「誰の指図だ」
「私の指図にございます」
「あんたのか?」
「宰相として」
*
ヴォルフさんは、こちらを見た。
私を見た。
「あんたは、これでいいのか」
「はい」
私は答えた。
「南の人が怖がっているなら、そのほうがいいと思います」
*
「そういうことじゃない」
ヴォルフさんの声が、少しだけ低くなった。
「俺はあんたに雇われている。あんたの指図で動く。宰相が言ってきたら、それはあんたの指図か? 違うのか?」
私は少し考えた。
考えても、違いがよく分からなかった。
「ヴァレリーさんは、私の代わりに仕事をしてくれる人です」
私は言った。
「私は字が読めませんし、道のことも、荷のことも分かりません。あの人がやってくれています。だから、同じだと思います」
*
ヴォルフさんは、こちらをじっと見ていた。
長かった。
*
私は二人を見比べた。
ヴァレリーさんは卓の脇に立って、こちらを見ている。この人はいつも私の顔を見て話す。
ヴォルフさんも、こちらを見ている。
二人とも私を見ているのに、目が合っている感じがしなかった。二人のあいだで何かが行き来していて、私はそのあいだに立っているだけのような気がした。
前にも一度、同じ感じがしたことがある。廊下でアンリさんとヴァレリーさんが目を合わせたときだ。
あのときも、私には何も分からなかった。
*
やがて、ヴォルフさんはヴァレリーさんのほうを向いた。
「聞いたな」
「承りました」
「受ける」
ヴォルフさんは言った。
「人数は俺が決める。道順も俺が決める。着く日も俺が決める。文句があるなら、いま言え」
「ございません」
*
話が済むと、ヴォルフさんは長居しなかった。
私は門まで送った。
馬に乗る前に、この人は一度だけ振り返って、城を見上げた。何を見ているのかは、聞かなかった。長くはなかった。
「さっきの膝の、三人のところへ、近いうちに行きます」
私が言うと、うなずいた。
「来い」
*
その日、私は少し安心した。
冬に、雇いますと言った。言ったきり、何もさせていなかった。
人を雇っておいて何もさせないのは、たぶん失礼なことだ。村でも、手伝いに呼んでおいて仕事が用意できていないと、その人は落ち着かない顔で立っていた。婆さんはそれを嫌って、来る前に必ず仕事を決めておけと言っていた。
ようやく、頼み事ができた。
これで、あの人たちも居心地が良くなるだろうと思った。
*
寝る前に、もう一つ思い出した。
ヴォルフさんは、あんたの指図か、と二度聞いた。
山で会ったときは一度聞いて、答えを聞いたらそれきりだった。
今日は二度だった。
答え方が悪かったのだろうか。
私は字が読めないし、道のことも荷のことも分からない。分からないものを分かる人に任せるのは、当たり前のことだと思っていた。
村でも、屋根はジャンさんに頼んだ。鎌はトマさんに頼んだ。
同じことのはずだった。




