第55話:違う理由で
ベルナールさんが発ったのは、朝のうちだった。
馬車が門を出ていくのを、私は階の上から見ていた。五日いて、六日目に発った。荷は来たときと同じだけだった。
見送りに出たのは私とヴァレリーさんだけで、アンリさんは執務室にいた。
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その日から、私は少し落ち着かなくなった。
病だと言われた。名前がついた。
名前がつけば、手の打ちようがある。村ではいつもそうだった。何の病か分かるまでは何もできないが、分かればやることが決まる。煎じるのか、冷やすのか、寝かせるのか。
みんなが痩せていくのを、半年見てきた。
やっと、そこから先へ進める。
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「ベルナールさんは、いつ頃お返事をくださるでしょう」
私が聞くと、ヴァレリーさんは少しのあいだ考えた。
「早くてふた月。遅ければ半年かと」
「半年」
「教会は、急ぎませぬゆえ」
私はうなずいた。
待つと言ったのは私だ。だから待てばいい。
ただ、待っているあいだに何もしないのは、違う気がした。
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それで、リリーベルさんのことを思い出した。
セシルさんのお師匠さんだ。夏から南にいて、まだ戻っていない。
腕のことも、乾きのことも、その方のほうが詳しいのだとセシルさんは言っていた。
ベルナールさんの返事が来るまでに、リリーベルさんにも聞けたらいい。
同じことを二人に聞いて、両方から答えをもらえば、それだけ早く分かる。
早ければ、それだけ早く、みんなが楽になる。
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執務室に、アンリさんはいなかった。
卓の上に書類が積んである。角が揃っていた。
途中で立ったのだと思った。この人は、いつも揃えてから席を離れる。
ヴァレリーさんの部屋にも寄った。こちらも空だった。
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階段のところで、城の者に会った。
水の入った桶を提げている。私が声をかけると、桶を置いて頭を下げた。
「アンリさんを見ませんでしたか」
「はい」
「どちらに」
「古い執務室のほうへ」
その人は言った。
「ヴァレリー様と、お二人で」
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古い執務室、という部屋を私は知らなかった。
聞くと、西南棟にあるという。アンリさんが王だったころに使っていた部屋で、いまは誰も使っていない。
礼を言って、そちらへ歩いた。
西南棟へ行くのは初めてだった。
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廊下は長かった。
窓の桟に埃が積もっている。
この城で埃を見たのは、初めてだった。誰も通らないから、誰も拭かないのだと思った。城の者は毎日、同じところを何度も拭いている。拭くところが決まっているのだろう。
燭台が壁に並んでいるが、蝋燭が挿さっていない。もっとも、挿さっていても誰も灯さない。
扉がいくつも並んでいた。どれも閉まっている。
突き当たりに、もう一つあった。
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声がした。
二人の声だ。くぐもっていて、言葉までは分からない。
私は手を止めた。
話の途中に入るのは悪い。村でも、大人が話しているところへ子供が入ると叱られた。婆さんの家では、戸の前で待たされたことが何度もある。
少しだけ待つことにした。
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待っているうちに、言葉が拾えるようになった。
「いつまで南に置いておくおつもりか」
アンリさんの声だった。
「戻せば、陛下は会いに行かれます」
「それは、私も申しました」
「では、話は済んでおりましょう」
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「済んでおりません」
アンリさんの声が、少しだけ大きくなった。
「あなたと私では、置いておく理由が違う」
「結ばれる先は、同じにございましょう」
「同じにはならぬ」
アンリさんは言った。
「あなたのものは、いずれ解ける」
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しばらく、どちらも喋らなかった。
私は扉の前で待っていた。
入るなら今だと思ったが、手が動かなかった。二人の声の間が長すぎて、入っていい間なのかどうか、私には分からなかった。
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私はその言い方に、覚えがあった。
冬に、ヴァレリーさんが同じことを言った。アンリさんとは違う理由で、と。
あのときは、ヴァレリーさんが言った。
今日は、アンリさんが言っている。
二人とも、違うと言う。
何が違うのかは、やはり分からなかった。
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「……ベルナールのこともそうだ」
私は扉を開けた。
ベルナールさんの話をしているのだと思ったからだ。返事のことで、何か分かったのかもしれない。
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部屋は狭かった。
窓が一つ。卓が一つ。椅子は二脚しかない。
卓の上には何も載っていなかった。紙も、筆も、灯りもない。
二人とも立っていた。座らずに話していたらしい。
こちらを向いた。
「陛下」
アンリさんが言った。
さっきまでの声とは、高さが違った。
「いかがなさいました」
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私はリリーベルさんのことを話した。
ベルナールさんの返事を待つあいだに、腕のことを聞けないかと思ったのだと言った。
アンリさんが答えた。
「陛下がお会いになる筋合いのものではございません」
ヴァレリーさんが続けた。
「私も、そう存じます」
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同じ答えだった。
冬に聞いたときと、一字も違わない気がした。
「分かりました」
私は言った。
「またにします」
二人が頭を下げた。同じ角度だった。
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部屋を出るとき、私は一度だけ振り返った。
二人はまだ立っていた。卓を挟んで、向かい合っている。
椅子は二脚とも空いたままだった。
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廊下を戻りながら、私は考えていた。
なぜ、あんなところで話していたのだろう。
執務室のほうが広いし、灯りもあるし、椅子もたくさんある。わざわざ西南の端まで歩く理由が、私には思いつかなかった。
静かなところがよかったのだろうと思った。
城には人が多い。廊下にも、階段にも、庭にも立っている。話をするなら、誰もいないところのほうがいい。
村でも、大事な相談は納屋でやっていた。
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もう一つ、考えたことがある。
アンリさんとヴァレリーさんは、いつも同じことを言う。
村では、仲の悪い人ほど違うことを言った。共同の井戸をどこに掘るかで、二人が別々のことを言い出すと、それだけで話が三日は延びた。誰かが怒鳴って、誰かが帰って、次の日にまた集まる。
この二人には、それがない。
聞けば、いつも揃っている。
たぶん、仲がいいのだと思う。




