第54話(幕間):清らかな器
教会本部宛 報告書 写し
記 ベルナール ヴィタリス王国へ遣わされたる者
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【一 所見】
一月十九日より二十三日まで、ヴィタリス王国王都に滞在いたしました。国王に三度謁見し、城内および市街を検分いたしました。
結論より申し上げます。
当地に、我らの介入を要する事由は認められません。
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馬車が揺れた。
国境まで、あと二日ある。
私は膝の上の紙を見た。書き終えたのは昨夜だ。読み返す必要はない。四十年、報告書というものを書いてきた。何を書くかではない。何を書かぬかで決まる。
窓の外は雪だった。
この国の雪は、東のものとは違う。積もっても踏み跡がつかない。道を歩く者がいないからだ。人はいる。みな畑にいる。夜も。
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【二 国王について】
齢十六。出自は森。文字を解しません。
温和にして、驕りなく、私欲を持ちません。
当方より聖人の認定を申し出ましたところ、辞退なさいました。理由を問いましたところ、民の役に立たぬゆえ、とお答えになりました。
私は四十年、聖職にございます。この答えを返した者を、他に存じません。
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あの子は、断ったのだ。
百年に一人か二人の栄誉を、麦の値より軽いと言った。
策ではない。あの子は策を知らない。字も読めぬのだから、書かれたものの重みも分からない。分からぬまま、正しく断った。
私は膝をついた。
四十年のあいだに、膝をついたことは幾度もある。祭壇の前で。棺の前で。王の前でも二度。
だが、あのように膝が勝手に折れたのは初めてだった。
あれは敬意ではない。
確信である。
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その前に、あの子は私に頭を下げた。
お願いします、と言った。
王が、司祭に。
王というものに、私は三人会っている。二人は座ったまま手を出した。一人は私の名を覚えていなかった。
頭を下げた王を、私は知らない。
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【三 民について】
飢える者なく、争う者なく、病む者を見ません。
市に諍いなく、路上に物乞いを見ず、牢は空でございました。
夜も昼も、誰かが働いております。倉は満ち、橋は架け替えられ、街道の泥は落とされておりました。
国王への敬愛は深く、これを疑う声を、私は一つも聞きませんでした。
当地の富は、南への麦の商いによるものと存じます。
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書かなかったことがある。
灯りがないことは書いた。
なぜないのかは書かなかった。
厨房のことも書かなかった。夜半に十四人が、誰も食べぬパンを焼いていたことも。
書けば、上は火を送る。
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私は一度だけ、あの子に言いかけた。
病にございます、と申し上げた。
あの子は身を乗り出して、民のことだと受け取った。痩せてきたのだと言った。食事を増やしても、休ませても、よくならないのだと言った。
私は訂正しなかった。
訂正すれば、あの子は自分の手を見る。
そして、いつから寒くなくなったのかを数えはじめる。
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あのとき、私はまだ決めていなかった。
いまは決めた。
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昔、似た場所へ行った。
二十年前だ。私は三十を少し過ぎたばかりで、布をかける役だった。
火を入れる前に、こちらが五人やられた。布が足りず、外套を裂いて使った。裂いても足りず、最後の一人には何もかけてやれなかった。
あの場所の主は、笑いながら見ていた。
止めろとも、逃げろとも言わなかった。ただ笑って、そちらへ行けと指をさしていた。
だから焼いた。焼くほかなかった。あれは正しかったと、いまも思っている。
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今度のは違う。
あの村は、二十人にも足りなかった。この国は二十万だという。
それだけの数を抱えながら、あの子は誰にも指一本触れさせていない。
私はそれを探した。市を歩いた。夜中に厨房を覗いた。誰かが殴られているところ、泣いているところ、逃げているところを探した。
なかった。
一つもなかった。
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ヴァレリー殿とは、二十年ぶりだった。
老けた。私も老けたのだろう。
あの男は、あのときも同じところに立っていた。火の風上に。煙のかからぬ側に。
別れ際、肩に手を置かれた。
昔から、話が済むと必ずそうする。あれは合図だ。承知した、という意味の。
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あの男は、何も頼まなかった。
三日のあいだ、一度も。書いてくれとも、伏せてくれとも言わなかった。ただ城を開け、市を開け、厨房まで見せた。
見せただけである。
頼まれてはいない。
私は、自分で決めた。
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馬車が石を踏んで跳ねた。
紙が膝から落ちかけたので、私は押さえた。
あの子は、自分が何を持っているかを知らない。
知らぬまま、麦を配り、井戸を掘り、橋を架けている。悪いことを一つもしていない。
私が四十年説いて、一度も成らなかったことを、あの子は半年で成した。
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力そのものに善悪はない。
火と同じだ。竈にあれば糧を煮る。屋根に移れば家を焼く。
問うべきは、誰が持つかである。
持ち主が知らぬのなら、知る者が要る。
あの力は、正しく使われねばならない。
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【四 結び】
当地に邪なるものを認めず。
国王エリアスは、清らかなる器にございます。
危険は認められず。聖別を要する事由、なし。
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私は紙を巻いて、筒に収めた。
窓の外で、雪が降っていた。
国境まで、あと二日。
ここから先は、踏み跡のある雪になる。




