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白王と黒王  作者: ブルースライム
第1章:ヴィタリス王国 王都

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第54話(幕間):清らかな器

 教会本部宛 報告書 写し

 記 ベルナール ヴィタリス王国へ遣わされたる者


     *


【一 所見】


 一月十九日より二十三日まで、ヴィタリス王国王都に滞在いたしました。国王に三度謁見し、城内および市街を検分いたしました。


 結論より申し上げます。


 当地に、我らの介入を要する事由は認められません。


     *


 馬車が揺れた。


 国境まで、あと二日ある。


 私は膝の上の紙を見た。書き終えたのは昨夜だ。読み返す必要はない。四十年、報告書というものを書いてきた。何を書くかではない。何を書かぬかで決まる。


 窓の外は雪だった。


 この国の雪は、東のものとは違う。積もっても踏み跡がつかない。道を歩く者がいないからだ。人はいる。みな畑にいる。夜も。


     *


【二 国王について】


 齢十六。出自は森。文字を解しません。


 温和にして、驕りなく、私欲を持ちません。


 当方より聖人の認定を申し出ましたところ、辞退なさいました。理由を問いましたところ、民の役に立たぬゆえ、とお答えになりました。


 私は四十年、聖職にございます。この答えを返した者を、他に存じません。


     *


 あの子は、断ったのだ。


 百年に一人か二人の栄誉を、麦の値より軽いと言った。


 策ではない。あの子は策を知らない。字も読めぬのだから、書かれたものの重みも分からない。分からぬまま、正しく断った。


 私は膝をついた。


 四十年のあいだに、膝をついたことは幾度もある。祭壇の前で。棺の前で。王の前でも二度。


 だが、あのように膝が勝手に折れたのは初めてだった。


 あれは敬意ではない。


 確信である。


     *


 その前に、あの子は私に頭を下げた。


 お願いします、と言った。


 王が、司祭に。


 王というものに、私は三人会っている。二人は座ったまま手を出した。一人は私の名を覚えていなかった。


 頭を下げた王を、私は知らない。


     *


【三 民について】


 飢える者なく、争う者なく、病む者を見ません。


 市に諍いなく、路上に物乞いを見ず、牢は空でございました。


 夜も昼も、誰かが働いております。倉は満ち、橋は架け替えられ、街道の泥は落とされておりました。


 国王への敬愛は深く、これを疑う声を、私は一つも聞きませんでした。


 当地の富は、南への麦の商いによるものと存じます。


     *


 書かなかったことがある。


 灯りがないことは書いた。


 なぜないのかは書かなかった。


 厨房のことも書かなかった。夜半に十四人が、誰も食べぬパンを焼いていたことも。


 書けば、上は火を送る。


     *


 私は一度だけ、あの子に言いかけた。


 病にございます、と申し上げた。


 あの子は身を乗り出して、民のことだと受け取った。痩せてきたのだと言った。食事を増やしても、休ませても、よくならないのだと言った。


 私は訂正しなかった。


 訂正すれば、あの子は自分の手を見る。


 そして、いつから寒くなくなったのかを数えはじめる。


     *


 あのとき、私はまだ決めていなかった。


 いまは決めた。


     *


 昔、似た場所へ行った。


 二十年前だ。私は三十を少し過ぎたばかりで、布をかける役だった。


 火を入れる前に、こちらが五人やられた。布が足りず、外套を裂いて使った。裂いても足りず、最後の一人には何もかけてやれなかった。


 あの場所の主は、笑いながら見ていた。


 止めろとも、逃げろとも言わなかった。ただ笑って、そちらへ行けと指をさしていた。


 だから焼いた。焼くほかなかった。あれは正しかったと、いまも思っている。


     *


 今度のは違う。


 あの村は、二十人にも足りなかった。この国は二十万だという。


 それだけの数を抱えながら、あの子は誰にも指一本触れさせていない。


 私はそれを探した。市を歩いた。夜中に厨房を覗いた。誰かが殴られているところ、泣いているところ、逃げているところを探した。


 なかった。


 一つもなかった。


     *


 ヴァレリー殿とは、二十年ぶりだった。


 老けた。私も老けたのだろう。


 あの男は、あのときも同じところに立っていた。火の風上に。煙のかからぬ側に。


 別れ際、肩に手を置かれた。


 昔から、話が済むと必ずそうする。あれは合図だ。承知した、という意味の。


     *


 あの男は、何も頼まなかった。


 三日のあいだ、一度も。書いてくれとも、伏せてくれとも言わなかった。ただ城を開け、市を開け、厨房まで見せた。


 見せただけである。


 頼まれてはいない。


 私は、自分で決めた。


     *


 馬車が石を踏んで跳ねた。


 紙が膝から落ちかけたので、私は押さえた。


 あの子は、自分が何を持っているかを知らない。


 知らぬまま、麦を配り、井戸を掘り、橋を架けている。悪いことを一つもしていない。


 私が四十年説いて、一度も成らなかったことを、あの子は半年で成した。


     *


 力そのものに善悪はない。


 火と同じだ。竈にあれば糧を煮る。屋根に移れば家を焼く。


 問うべきは、誰が持つかである。


 持ち主が知らぬのなら、知る者が要る。


 あの力は、正しく使われねばならない。


     *


【四 結び】


 当地に邪なるものを認めず。


 国王エリアスは、清らかなる器にございます。


 危険は認められず。聖別を要する事由、なし。


     *


 私は紙を巻いて、筒に収めた。


 窓の外で、雪が降っていた。


 国境まで、あと二日。


 ここから先は、踏み跡のある雪になる。

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