第51話:反対の方は
「議会がございます」
アンリさんがそう言ったのは、十二月の終わりだった。
「議会?」
「はい。三日に一度、開かれております」
「ずっとですか」
「ずっとにございます」
私はその話を、初めて聞いた。
五ヶ月、この城にいる。毎日書類に印を押して、廊下を歩いて、人に会っている。三日に一度どこかで人が集まっていることに、私は気づいていなかった。
「私は、行かなくていいんですか」
「王が出る決まりはございません」
「行ってもいいですか」
「陛下がお決めになることです」
*
議場は、城の西棟にあった。
行ってみると、思ったより広かった。
半円の形に段が組んであって、そこに椅子が並んでいる。下のほうに卓が一つ。人が座っていた。
数えようとして、やめた。指の数を超えると分からなくなる。
「何人いますか」
「九十四名にございます」
アンリさんが答えた。
*
私が入ると、全員が立った。
立って、頭を下げた。九十四人が同じ角度で下げるので、段の上から順に波のように見えた。
「どうぞ、そのまま」
全員が座った。
私は下の卓の脇に立った。椅子を用意されたが、座らないことにした。ここは私の場所ではない気がした。
*
いちばん下の卓に、年配の男が座っていた。
六十くらいだろうか。灰色の上着に、銀の鎖をかけている。
「議長を務めております」
その人はそう名乗った。名前も言われたが、覚えられなかった。何度も聞き返すのは悪い気がして、そのままにした。
「始めてください」
私が言うと、その人はうなずいた。
*
議事が始まった。
まず、書記が前回の記録を読み上げた。
短かった。
出席は九十四名。議題なし。散会。それだけだった。
「異議のある方は」
誰も手を挙げなかった。
「では、承認とします」
私は、いま何が承認されたのかを考えていた。
*
次に、議長が紙を取った。
「本日の議題にございます」
私は少し身を乗り出した。
どんな話をするのか、聞きたかった。この人たちは九十四人もいる。城の外のことを、私よりずっと知っているはずだ。
「本日、議題はございません」
*
私は聞き間違えたかと思った。
「ないんですか」
「ございません」
議長はそう答えた。
「先週も、その前も」
「ございませんでした」
「いつからですか」
議長は少し考えるようにした。
「秋からにございます」
*
私はアンリさんを見た。
アンリさんは横に立っている。書類を持っていない。ここでは持たないらしい。
「アンリさん」
「はい」
「議題がないというのは」
「決めるべきことがない、ということにございます」
「なぜですか」
「陛下が既にお決めになっておりますので」
*
私はその意味を、しばらく考えていた。
毎日、書類が来る。橋、井戸、堰、街道。私はそれに印を押す。押せば、そのとおりになる。
あれを、この人たちが決めるはずだったのだ。
「私が印を押しているからですか」
「それだけではございません」
アンリさんは言った。
「揉め事がございません」
*
「揉め事?」
「はい。議会は、揉め事を裁くところにございます」
アンリさんは段の上を見た。
「水の取り合い。境の争い。税の負担。飢えたときに、どこの蔵を開けるか。四十年、私はそればかり聞いておりました」
「いまは」
「ございません」
「一つも?」
「一つも」
*
私は段の上を見た。
九十四人が座っている。
誰も紙を持っていない。誰も隣と話していない。全員が、下の卓のほうを向いて、同じ姿勢で座っている。
議長も座ったまま動かない。
こうして、三日に一度集まっているのだと思った。
議題がないと分かっていて、集まる。記録を読み上げて、異議はないかと聞いて、承認して、それで終わる。
*
「あの」
私は言った。
「では、私から一つ出してもいいですか」
議場が動いた。
九十四人が、一斉にこちらを向いた。音がしたわけではない。ただ、向きが変わったのが分かった。
「東の山から、二百人ほどが下りてきました」
私は言った。
「よその国の人たちです。冬のあいだ、うちの土地に住んでもらおうと思っています。土地と家と、麦が要ります」
*
議長が紙を取った。
書記が筆を持った。
「議題として承ります」
「はい」
「討議に入ります」
議長は段の上へ向き直った。
「ご意見のある方は」
*
誰も手を挙げなかった。
私は待った。
九十四人が座っている。誰も動かない。
「ご意見はございませんか」
議長がもう一度言った。
やはり、誰も挙げなかった。
「では、採決に入ります」
*
「反対の方は」
議長がそう言った。
私は段の上を見た。
九十四人が、そこにいた。
誰も手を挙げなかった。
「全会一致で可決といたします」
*
私はその速さに、少し戸惑った。
村では、こうはいかなかった。
共同の井戸をどこに掘るかを決めるのに、三日かかったことがある。三十戸で三日だ。声を荒げる人がいて、途中で帰る人がいて、婆さんが怒鳴って、それでやっと決まった。
いま、九十四人が何も言わずに決まった。
時間にすれば、二十も数えないうちだった。
*
「アンリさん」
「はい」
「早いですね」
「はい」
「いつもこうですか」
アンリさんは、少しのあいだ黙った。
「秋からは」
そう言って、そこで切った。
*
議場を出るとき、ヴァレリーさんが横に来た。
いつのまにか来ていた。この人は入るときにはいなかったはずだ。
「陛下」
「ヴァレリーさん」
「よいものをご覧になりました」
「よいもの」
「議会が動きました」
ヴァレリーさんは言った。
「二十二年、私が四百通した案は三十七件にございます。今日は、一件が二十を数えるうちに通りました」
*
「それは、いいことですか」
私は聞いた。
ヴァレリーさんは、私を見た。
「陛下のお決めになったことが、議会を通ります」
「はい」
「通れば、それは国の意思にございます。陛下お一人の意思ではなく」
「違うんですか」
「違います」
ヴァレリーさんは言った。
「まったく違います」
*
後ろで、アンリさんの足音が止まった。
私は振り返った。
アンリさんは廊下の途中に立っていた。少し離れたところだ。こちらを見ている。
ヴァレリーさんも振り返った。
二人が目を合わせた。
私はそのあいだに立っていた。
*
誰も何も言わなかった。
声は出ていない。口も動いていない。
それでも、何かが行き来したのが分かった。前にも一度、同じものを見た。ミカさんを帰すと決めた日だ。
「アンリさん」
私が呼ぶと、この人は歩き出した。
「参りましょう」
「はい」
*
その夜、私は寝台の上で天井を見ていた。
九十四人が、三日に一度集まっている。
議題がないと分かっていて、集まっている。秋から一度も出ていないのだから、たぶん四ヶ月ほどだ。
やめてしまえばいいのに、と思った。
思ってから、言わなくてよかったと気づいた。私が言えば、そのとおりになる。九十四人が集まらなくなる。
あの人たちは、たぶん集まりたいのだ。
*
村でもそうだった。
冬になると、婆さんの家に人が集まった。話すことは大してない。去年の麦の話と、誰かの腰の具合の話くらいだ。それでも集まった。
同じことだと思う。
だから、やめさせないほうがいい。
私はそう決めて、目を閉じた。




