第5話:みんな、起きて
隊長らしい男が、馬から降りた。
四十くらいの、日に焼けた男だった。胸当ての上から外套を羽織っていて、その留め具に王国の紋章がついている。私は紋章というものを間近で見たのは初めてだった。
「お前が、エリアスか」
「はい」
「この村の者ではないと聞いた」
「森に住んでいます」
隊長は、私が抱いている赤ん坊を見た。それから、井戸の周りに立っている者たちを見た。ピエールが柵の上に座って足を振っていた。婆さんが入口の石に座っていた。ギさんが家の軒下から、こちらを見ていた。
「その子を下ろせ」
私は赤ん坊を下ろさなかった。
「重くありません」
「下ろせと言っている」
言い方が変わったので、私は井戸の縁に赤ん坊を座らせた。首が据わっていないので、片手で支えたままにした。
隊長は私の前まで歩いてきた。
「訴えがあった。この村で、死んだ者が歩いていると」
「歩いています」
隊長の眉が動いた。
「認めるのか」
「はい。病で死んだ人を、私が助けました。七人います。もう一人、リゼットを入れて八人です」
「助けた」
「息をしていませんでした。でも、触ると起きるんです」
私は正直に答えた。隠すことなど何もなかった。むしろ、伝えたいことがたくさんあった。
「この村は病でひどい目に遭いました。七日で八人死にました。子供と年寄りばかりです。でも、みんな戻ってきました。もし他の村でも同じことが起きているなら、私は行きます。どこへでも行きます。誰も死ななくていいんです」
隊長は、長いあいだ私を見ていた。
その顔に浮かんでいたものを、私はうまく読み取れなかった。怒っているようにも、困っているようにも見えた。
「お前は」隊長は言った。「自分が何をしたか、わかっていないのか」
同じことを、トマさんにも言われた。
「わかりません」と私は答えた。「教えてください」
*
隊長は兵を二人呼んで、村を検めさせた。
私は素直に案内した。隠すものはなかったし、見てもらったほうが早いと思った。ジャンさんの家に行き、リゼットを呼んだ。リゼットは走ってきて、私の手を握った。
「この子です」
兵の一人が屈んで、リゼットの顔を覗き込んだ。
リゼットはその兵を見返した。まばたきをしなかった。
兵が手を伸ばして、その手首を掴んだ。
そして、すぐに離した。
離した手を、自分の外套で拭いた。二度、三度と拭いた。それから隊長の方を振り返って、首を横に振った。
「隊長」
「言え」
「脈が、ありません」
「体温は」
「ありません」
隊長は目を閉じた。
短いあいだ、そうしていた。それから目を開けて、村を見渡した。井戸端に、いつのまにか何人か出てきていた。ベルトさんが家の戸口に立っていた。マノンさんが壁にもたれていた。アガットさんが礼拝堂の前に立って、こちらを見ていた。
「何人だ」
「八人です」と私は答えた。
「生きている者は」
「え」
「この村に、生きている者は何人いる」
私は数えようとして、意味がわからなかった。
「みんな生きています」
隊長は私を見なかった。兵に向かって言った。
「三人だ。あそこの男と、女と、それにこいつ」
パン屋のジャンさんが窯の前に立っていた。手に火かき棒を持ったまま、こちらを見ていた。クロエさんが家の中から出てきて、ジャンさんの後ろに立った。
なぜ三人なのか、私にはわからなかった。
この村には十人いる。数えれば誰にでもわかることだ。それなのにこの人は、ジャンさんと、クロエさんと、私だけを指した。
その三人は、この十日のあいだに何かを口にした三人だった。
それが何を意味するのか、私は今でもわかっていない。
「隊長」兵が言った。「規定では」
「わかっている」
隊長は外套の留め具を外した。
「聖別の火を用意しろ。それから、生きている三人を村の外へ出せ」
*
私は隊長の腕を掴んだ。
「待ってください」
「離せ」
「何をするんですか」
「お前にはわからんだろうな」
隊長は私の手を振り払った。力は強かったが、乱暴ではなかった。むしろ、丁寧に外されたという感じだった。
「小僧。俺は十九年、この仕事をしている」
「仕事」
「王国の東で、二度あった。西で一度。同じことが起きた村を、三つ知っている」
隊長は私を見た。
「放っておくと、増える」
「増える、というのは」
「増えるんだ」
兵が馬から油の壺を下ろしていた。別の兵が松明に火を移していた。ジャンさんとクロエさんが二人の兵に腕を取られて、東の道の方へ連れていかれるのが見えた。ジャンさんは抵抗しなかった。連れられながら、こちらを振り返った。リゼットを見ていた。
「あの人たちを、どこへ」
「助けるんだ」
隊長は言った。
「生きている者だけはな」
私は理解できなかった。理解できないまま、隊長の前に立ちふさがった。
「やめてください」
「どけ」
「この人たちは、やっと助かったんです」
隊長は私を見た。その目に、初めて何かがはっきりと浮かんだ。
憐れみだった。
「そうか」隊長は言った。「お前は本当に知らんのか」
そして、私の肩を掴んで、脇へどけた。
*
最初に火をつけられたのは、礼拝堂の前に立っていたアガットさんだった。
抵抗しなかった。
兵が近づいていくと、アガットさんは自分から一歩前に出た。そして、両手を身体の前で組んだ。それは、この人が三十年、祈るときにしていた形だった。
油をかけられても、動かなかった。
私は走った。
途中で誰かに突き飛ばされて、地面に転がった。起き上がると、もう火がついていた。
炎の中で、アガットさんは立っていた。倒れなかった。膝もつかなかった。三十年、誰も来ない朝にも火を入れ続けたその場所で、その人はまっすぐ立っていた。
そして、こちらを見た。
炎越しに、私と目が合った。
その顔は、苦しんでいなかった。
私はそのことに、後になってから気づいた。あの人は、苦しんでいなかった。
「アガットさん」
私は叫んだ。あの人の名前を、何度も呼んだ。
炎の音が、それを全部消した。
*
ピエールが走った。
いつものように、村の端から端まで。逃げようとしたのではないと思う。あの子は、走るのが面白くて仕方がなかった。兵が追いかけてきたので、追いかけっこだと思ったのかもしれない。
槍が背中に入った。
ピエールは転んだ。それから、起き上がった。
槍が刺さったまま、起き上がって、また走ろうとした。
兵が悲鳴を上げた。
私はそれをはっきり覚えている。兵のほうが、悲鳴を上げたのだ。槍を捨てて、後ずさって、尻もちをついた。その男の顔は、私が今まで見たどんな顔よりも、恐怖に歪んでいた。
「兄ちゃん」
ピエールがこちらを見た。
「これ、抜けないや」
そして倒れた。
別の兵が松明を持って走ってきた。
*
そこから先のことを、私は順番どおりには覚えていない。
婆さんが石から立ち上がったのを見た。ベルトさんが家の中へ逃げ込んで、戸ごと燃やされたのを見た。マノンさんが座り込んだまま動かなかったのを見た。ギさんが兵に何か話しかけようとして、途中で斬られたのを見た。
私は走り回った。
止めてくださいと言った。話を聞いてくださいと言った。何度も言った。誰も聞かなかった。
そのうちに、東の道の方で声が上がった。
見ると、ジャンさんが兵を振り払って走ってきていた。窯から持ってきた火かき棒を握っていた。あの人は生きていた。連れ出されて、助かるはずだった。それなのに、戻ってきた。
娘のところへ、戻ってきた。
「リゼット」
ジャンさんは娘の名を呼んだ。あの朝から一度も呼ばなかった名を、呼んだ。
槍が横から入った。
私は見ていた。十歩ほど離れたところで、私はそれを見ていた。
ジャンさんは膝をついた。それから、前のめりに倒れた。火かき棒が地面を打って、乾いた音を立てた。
クロエさんの声が聞こえた。
私は走った。ジャンさんのところまで行って、膝をついた。血が土に染みていくのが見えた。この人の手は、二十年パンを焼いてきた手だった。誰も食べないパンを、来る日も来る日も焼き続けた手だった。
私は手を伸ばした。
そして、周りを見た。
村が燃えていた。人が倒れていた。兵が走り回っていた。誰かが斬られる音がして、誰かが叫んでいた。婆さんが立っていた。リゼットが立っていた。マノンさんが座っていた。倒れている者がいて、燃えている者がいて、走っている者がいた。
生きている者と、そうでない者の区別が、私にはつかなかった。
つける必要が、どこにあるのだろう。
みんな、痛がっている。みんな、倒れている。ここには助けを必要としている人しかいない。
私は両手を地面についた。
指を土に埋めた。ジャンさんの血で濡れた土に、指を埋めた。
そして、願った。
みんな、起きて。
*
音が、消えた。
炎の音も、悲鳴も、馬のいななきも、全部が一度に途切れた。何かが私の身体から抜けていって、地面を伝わって、広がっていくのがわかった。
見えたわけではない。ただ、わかった。
村を越えた。
麦畑を越えた。東の道を越えた。轍を越えて、その先にある森を越えた。丘を越えた。私が一度も行ったことのない場所へ、それは広がり続けた。
止め方を、私は知らなかった。
止めようとも、思わなかった。
やがて、静かになった。
*
私は顔を上げた。
村は、まだ燃えていた。火は消えていなかった。けれど、その中で誰も走っていなかった。
ジャンさんが、起き上がった。
私の目の前で、身体を起こして、土を払った。それから私を見て、少し不思議そうな顔をした。
「エリアス」
「ジャンさん」
「リゼットは」
「あそこにいます」
ジャンさんは娘の方を見た。そして、立ち上がって、そちらへ歩いていった。あの朝から初めて、娘の方をまっすぐ見て歩いていった。
私は立ち上がった。
兵たちが立っていた。
槍を捨てて、松明を落として、こちらを向いて立っていた。さっきまで悲鳴を上げていた男も、隊長も。誰も、何も言わなかった。
トマさんが立っていた。
いつのまにか村に入ってきていたらしい。荷車も、奥さんも、子供もいなかった。ただ一人で、広場の真ん中に立って、私を見ていた。
その顔を、私は見た。
トマさんは口を開いた。何か言おうとした。
言葉は出なかった。
代わりに、その膝が折れた。
深く、丁寧に、頭を垂れた。
そして、隊長が同じようにした。兵たちが続いた。婆さんが、マノンさんが、ギさんが、ピエールが、順に膝をついた。誰も声を上げなかった。
咳ひとつ、聞こえなかった。
一人だけ、立っていた。
クロエさんだった。
広場の端で、両手を垂らして、こちらを見ていた。膝をつかなかった。頭も下げなかった。肩が上下していた。
息をしていた。
その顔を、私は見た。何かを言おうとしているように見えた。口が半分開いていた。喉が動いていた。けれど声は出てこなかった。
疲れているのだ、と私は思った。
この人は病の七日を娘の枕元で過ごし、それからも眠るところを見ていない。そのうえ今日、こんな目に遭った。休ませなくてはならない。あとで薬草を煎じよう。
私はその真ん中に立って、みんなの頭のつむじを見ていた。
わけがわからなかった。
けれど、誰も痛がっていなかった。誰も泣いていなかった。誰も、誰かを傷つけていなかった。
やっと、みんなが助かったのだと思った。




