第49話:三百七人
私は夜のうちに砦へ戻った。
雪が本降りになる前に着きたかったし、ヴォルフさんに先に伝えてくれと頼まれていた。麓から砦までは、馬で半日ほどだ。
着いたのは朝だった。
ギヨームさんは中庭にいた。稽古を見ている。鉄の当たる音がいつもどおり続いていた。
「小僧」
「ギヨームさん」
「下りるのか」
「もう知っているんですね」
「そうではない」
ギヨームさんは中庭を見たままだった。
「夜通し馬を走らせてきた。そういうことだろうと思っただけだ」
*
「二百人と、少しだそうです」
「そうか」
「明日には着きます」
「そうか」
ギヨームさんの返事は短かった。
私は続けた。
「条件が三つありました。武装は解かない。自分の兵は自分が指揮する。それから、いつでも出ていける」
「二つ目は」
「はい」
「わしの下には入らん、ということだな」
「そう言われました」
*
ギヨームさんは、そこで初めてこちらを向いた。
「名は」
「ヴォルフさんです」
中庭の音が続いていた。鉄が当たる音と、骨が鳴る音。誰も声を上げない。
ギヨームさんは、その音の中で立っていた。
長かった。
「ギヨームさん」
「聞こえておる」
*
「知っている人ですか」
「知っておる」
「戦ったことが」
「ある」
ギヨームさんは中庭に背を向けた。
塔のほうへ歩き出したので、私はついていった。階を上るあいだ、この人は何も言わなかった。二十年ぶんの数字をいつでも出せる人が、階段の途中で一度だけ手すりに手をついた。
*
塔の上で、ギヨームさんは東を見た。
「あれは、ただの傭兵ではない」
「そうなんですか」
「傭兵というのは、雇われて、戦って、去る。それだけの者だ。使うほうは金を払って、使う場所を決める。それ以上のことはさせん」
「はい」
「東の王は、あれに任せた」
*
私はその言い方を、うまく飲み込めなかった。
「任せる、というのは」
「好きにやれ、ということだ」
ギヨームさんは言った。
「どこを、いつ、どう攻めるかを、あれが決めておった。東の本隊がそれに合わせて動く。傭兵にそれをやらせる王を、わしは聞いたことがない」
「珍しいんですか」
「ありえん」
*
「なぜですか」
「傭兵は去るからだ」
ギヨームさんは言った。
「去る者に自軍を任せれば、その者が次にどこへ雇われたとき、こちらの全部を持っていく。だから使う。任せはせん」
「東の王様は、任せたんですね」
「任せた」
「なぜでしょう」
「買っておったのだろう」
ギヨームさんは東を見たままだった。
「それだけの男だということだ。あの用心深い王が、そこまでやるほどにな」
*
私はしばらく黙っていた。
考えていたのは、別のことだ。
「ギヨームさん」
「なんだ」
「その人は、東の王様に背いたんですよね」
「背いた」
「なぜですか」
ギヨームさんは答えなかった。
少し経ってから、こう言った。
「わしは知らん」
*
「金でしょうか」
「金ではなかろう」
「なぜそう思うんですか」
「金なら、もっと早く動いておる」
ギヨームさんは言った。
「あれは十年以上、あの男のもとにおった。王になる前からだ。金で動く男が、十年も同じところにおらん。もっと高く買う者が、そのあいだに必ず出る」
「では」
「知らん」
もう一度、そう言った。
「聞くなら本人に聞け。答えるとは思わんが」
*
翌日の昼前に、麓から報せが来た。
二百と十二人。列を組んで街道を来ているという。
私は門へ出た。ギヨームさんも来た。稽古は止まっていない。中庭では相変わらず鉄の音がしている。
街道の向こうに、列が見えた。
*
近くで見ると、揃っていなかった。
こちらの兵は列がまっすぐだ。間隔も同じで、歩幅も同じになる。誰も乱れない。
あの列は、乱れていた。
背の高い者と低い者が混じって、歩幅が合っていない。荷を担ぐ者と担がない者がいる。前のほうで誰かが立ち止まって、後ろがぶつかった。
声がしていた。
何を言っているのかは聞こえない。それでも、話しているのは分かった。
*
私はそれを見て、少し嬉しくなった。
久しぶりだった。
列というのは、こういうものだった。村で人が並ぶときも、たいてい誰かがはみ出していた。
*
ヴォルフさんが先頭を歩いてきた。
門の手前で止まった。
その人は私を見て、それからその横を見た。
ギヨームさんが立っていた。
*
二人は、しばらく動かなかった。
私は横にいた。何か言うべきかとも思ったが、言葉が出てこなかった。二人のあいだに何かがあるのは分かる。それが何なのかは分からない。
先に口を開いたのは、ギヨームさんだった。
「リューデンにおったか」
「いた」
ヴォルフさんはそう答えた。
「右翼か」
「谷を回った」
*
ギヨームさんは、うなずいた。
それだけだった。
私はその地名に覚えがなかった。あとで聞こうと思った。
「三百七人だ」
ギヨームさんが言った。
「そうか」
「わしが埋めた」
「そうか」
*
二人とも、同じ言葉しか言わなかった。
そうか、そうか、と二度。
声の調子も変わらなかった。怒っている人の声ではなかったし、詫びている人の声でもなかった。天気の話をしているのと同じだった。
*
ギヨームさんが、門のほうへ首を動かした。
「入れ」
「条件がある」
「聞いておる」
ギヨームさんは言った。
「武装は解かんでいい。おぬしの兵はおぬしが指揮せい。三つ目も好きにせい」
「いいのか」
「陛下がお決めになったことだ」
*
ヴォルフさんは、少しのあいだ動かなかった。
それから、後ろへ向かって手を上げた。
列が動き出した。二百と十二人が、門をくぐって中庭へ入っていく。乱れた列のまま、話しながら、荷を担いで。
中庭では稽古が続いていた。
入ってきた者たちが、それを見た。
*
音が変わった。
話し声が、順に止まっていった。
二百人が中庭の端に固まって、鉄を打ち合う八百人を見ていた。腕の折れた者がいる。指の欠けた手で槍を握る者がいる。誰も声を上げない。誰も止まらない。
しばらくして、誰かが小さく何か言った。
それきり、誰も何も言わなかった。
*
私はヴォルフさんの横に立っていた。
「静かになりましたね」
「そうだな」
「みんな、驚いているみたいです」
「驚いている」
ヴォルフさんはそう言った。
私を見なかった。中庭を見ていた。
「いい兵たちですよ」
私は言った。
「休まないので、私はいつも心配していますけど」
*
その夜、私は塔の上でギヨームさんに聞いた。
「リューデンというのは、どこですか」
「東だ」
「そこで、何がありましたか」
ギヨームさんは、東を見ていた。
「わしが、いちばん正しく判断した戦だ」
「正しく」
「教本どおりに動いた。谷を押さえ、退路を断ち、待った」
ギヨームさんは言った。
「谷を回られた」
*
私は少し考えた。
「それは、負けたということですか」
「負けた」
「三百七人というのは」
「その日に埋めた数だ」
「一日で?」
「一日でだ」
*
私は何と言えばいいのか分からなかった。
「それなのに、入れてあげたんですね」
ギヨームさんは答えなかった。
しばらくして、こう言った。
「あの男は、わしの負け方を知っておる」
「はい」
「二十年で、それを知っておる者は東にそう多くはおらん」
ギヨームさんは東を見たままだった。
「その一人が、こちら側に来た」




