第48話:もちろんです
五日目、何も起きなかった。
荷はまた減っていた。麦の袋が四つと、油の壺が一つ。前より多い。
私は足させた。
小屋の前に座って、山を見て過ごした。木がまばらなので、上のほうまで見通せる。人がいるようには見えない。それでも二百人がどこかにいる。
ロランさんは何も言わなかった。
この人は待つのが上手い。四人の兵もそうだ。五人とも同じ場所に立って、朝から晩まで動かない。私が話しかければ答えるが、自分からは話さない。
*
六日目の朝に、雪が降った。
細かい雪で、地面に落ちると消えた。それでも昼を過ぎるころには、岩の窪みに白いものが溜まり始めた。
私は小屋の外に立っていた。
しばらくして、ロランさんが言った。
「中へお入りください」
「大丈夫です」
「お寒うございましょう」
「寒くありません」
言ってから、私は自分の手を見た。
*
本当に寒くなかった。
指が動く。かじかんでいない。雪が手の甲に落ちて、そこで消えるのが見える。落ちた場所が冷たいはずなのに、冷たいと思わない。
去年の冬を覚えている。
森の家で、朝いちばんに水を汲むのが辛かった。桶の縁に薄い氷が張っていて、それを割るのに素手を使うと、しばらく指が言うことをきかなかった。だから枝で割っていた。
あのとき、私は寒かった。
いまは、寒くない。
*
夕方、斜面に人影が見えた。
四つあった。
先頭がヴォルフさんで、後ろに三人。三人とも武器を持っていた。ヴォルフさんは持っていなかった。
私は小屋の前で待った。
ロランさんが半歩前に出ようとしたので、下がってくださいと言った。この人は下がった。
*
「陛下」
「はい」
「話がある」
ヴォルフさんは五歩ほど手前で止まった。前と同じ距離だった。
後ろの三人は、さらに後ろで止まった。
「聞きます」
「先に一つ聞かせてくれ」
「はい」
「あんた、寒くないのか?」
*
私は少し驚いた。
「寒くありません」
「六日いるな」
「はい」
「そのあいだ、火を焚いたのは一度だけだろう」
「湯を沸かしたときですね」
「暖を取るためではないのか」
「みんな寒がっていなかったので」
ヴォルフさんは、私の後ろを見た。
ロランさんと四人の兵が立っている。誰も震えていない。誰も足踏みをしていない。上着の前を掻き合わせている者もいない。
*
「本題だ」
ヴォルフさんは言った。
「部下が減っている」
「減る」
「四ヶ月で十九人だ」
「どこかへ行ってしまったんですか」
「山を下りた」
*
私はうなずいた。
「では、こちらに来ているかもしれませんね。探しましょうか」
「探さなくていい」
ヴォルフさんは言った。
「どこにいるかは分かっている」
「どこですか」
「あんたの砦だ」
*
私は驚いた。
「うちの砦に、いるんですか」
「山から見える。四ヶ月見ている」
ヴォルフさんは言った。
「俺の団の者が、あんたの兵と同じ間隔で立っている。同じ向きで、同じ姿勢でだ」
「よかった」
私は言った。
「あそこなら屋根があります。食べるものもあります」
「呼んだ」
「え」
「一人ずつ、名を呼んだ。届く距離だ」
ヴォルフさんは、そこで一度切った。
「振り向かん」
*
「一人も戻ってこない」
*
私はその言い方に、少し引っかかった。
「戻ってこないと、困りますか」
「困る」
「なぜですか」
「団だからだ」
ヴォルフさんは言った。
「二百人が二百人でいるあいだは団だ。一人ずつ抜ければ、ただの二百人になる。もう団ではない」
私はそれを、なんとなく分かった気がした。
村もそうだった。三十戸あるうちは村だった。人が出ていって、残りが十戸になったら、それは村と呼べるのかどうか。
*
「陛下」
「はい」
「山にいれば、あと半年で全員が下りるだろう。ばらばらにだ」
「そうなんですか」
「そうなる」
ヴォルフさんは言った。
「だから、今、まとめて下りることにした」
*
私は嬉しくなった。
「来てくださるんですね」
「そうなる」
「よかった」
私は言った。
「家があります。麦もあります。冬のあいだ、寒い思いをしなくて済みます」
「条件がある」
「はい」
*
ヴォルフさんは指を三本立てた。
「一つ。武装は解かん」
「はい」
「二つ。俺の兵は俺が指揮する。あんたの将の下には入らん」
「ギヨームさんに言っておきます」
「三つ」
ヴォルフさんは、そこで少し間を置いた。
「いつでも出ていける」
*
「もちろんです」
私は即座にそう答えた。
考えるまでもなかった。当たり前のことだと思った。
村でも、流れの者が居着いて、しばらくして出ていくことはあった。誰も引き止めなかった。行くと決めた人を引き止めるのは、よくないことだと婆さんが言っていた。
「出たくなったら、いつでも言ってください」
私は言った。
「馬と、食べ物を出します。ミカさんのときもそうしました」
*
ヴォルフさんは、私を見ていた。
その顔を、私は見た。
前に一度、同じ顔を見た気がした。「何もしなくていいです」と言ったときだ。聞き間違いを確かめようとしている顔。
いまは、それとは少し違った。
確かめ終わった顔だった。何を確かめたのかは、分からない。
「そうか」
ヴォルフさんはそう言った。
「はい」
「あんたは、そう言うのだな」
*
「変ですか」
「変だ」
「そうですか」
「王というのは、抱え込むものだ」
ヴォルフさんは言った。
「兵を集める。金を出す。そして出ていかせない。三つ目が肝だ。二つ目までは誰でもやる」
「出ていかせないんですか」
「そうしないと、次に雇われた先で敵になる」
*
私はその話を、うまく飲み込めなかった。
「でも、それは」
「なんだ」
「その人の勝手ではないですか」
ヴォルフさんは、少しのあいだ黙った。
それから、口の端を動かした。笑ったのかもしれない。うまく笑えていなかった。
「そうだな」
*
「明日、下りる」
ヴォルフさんは言った。
「二百と、少しだ。数は下りてから数える」
「分かりました」
「一つ、頼みがある」
「はい」
「あんたの将に、先に言っておいてくれ」
ヴォルフさんは言った。
「顔を合わせると、少し面倒なことになる」
*
斜面を登っていく背中を、私は見送った。
三人の部下が後ろについていった。四ヶ月、山にいた人たちだ。武器を持ったまま雪の中を歩いていく。
雪はまだ細かかった。
夜のうちに積もるかもしれない。積もる前に下りてもらえてよかった、と私は思った。
*
小屋に戻って、私はロランさんに言った。
「よかったです」
「はい」
「二百人ですよ。冬に山にいなくて済みます」
「さようでございます」
「ロランさん」
「はい」
「ギヨームさんは、面倒なことになると言われました。何のことでしょう」
ロランさんは、少し考えるようにした。
「将同士のことにございましょう」
「仲が悪いんですか」
「存じません」
*
その夜、私は小屋の中で天井を見ていた。
板の隙間から、外の音が入ってくる。雪が屋根に落ちる音は、雨よりずっと静かだ。ほとんど聞こえない。
明日、二百人が下りてくる。
家を用意しなくてはいけない。麦も要る。冬のあいだの薪も。アンリさんに手紙を書いてもらおう。私は字が書けないので、ロランさんに言えばいい。
嬉しかった。
この国に来たくないと思っている人が、来てくれることになった。
私は何もしていない。荷を置いて、待っただけだ。それでも来てくれた。
だから、たぶん、待てば来るのだと思う。
*
目を閉じて、私は少し考えた。
いつでも出ていける、とあの人は言った。
当たり前のことだと思う。
けれど、あの人はそれを条件にした。条件にするということは、そうならないことがあるということだ。
どこかに、出ていけない国があるのだろうか。
考えて、私はそのまま眠った。




