第47話:雇われていない
山の下に、荷を置いた。
麦の袋を二十。塩と、油と、干した豆。布を三十反。それから薪を積んだ。
運ぶのに半日かかった。荷車が入れるのは麓までで、そこから先は人が担いだ。
「これで足りますか」
「知らん」
ギヨームさんはそう答えた。
「二百人が冬を越すには」
「足りるだろうな。使えばの話だ」
*
私は麓に小屋を建てさせた。
建てさせた、というより、朝に言ったら夕方にはできていた。板を組んだだけの小さいものだ。それでも風は防げる。
その中で待った。
供は少なくした。ギヨームさんは百人つけると言ったが、私が断った。百人で待っていたら、それは待っているとは言わない。
ロランさんと、あと四人。それだけにした。
*
一日目、何もなかった。
二日目も何もなかった。
山は静かだった。木がまばらで、地面が岩ばかりで、雪はまだ積もっていない。上のほうは白くなっている。
三日目の朝に、荷が減っていた。
麦の袋が二つ。布が五反。
夜のあいだに誰かが下りてきたのだ。
「見張っていましたか」
私が聞くと、ロランさんは首を振った。
「見張るなと仰せでしたので」
「そうでした」
*
私は嬉しくなった。
受け取ってくれたということだ。
村でもそうだった。仲違いした家に何かを届けるとき、直に渡すと突き返される。門の前に置いておくと、朝には無くなっている。それで済むこともある。
私はその日、荷を足させた。
*
四日目の夕方だった。
小屋の外で、ロランさんが立ち上がる音がした。
私は出た。
斜面の途中に、人が立っていた。
一人だった。
*
大きな男だった。
ギヨームさんより背は低い。ただ、横に厚い。首が太くて、肩が四角い。革の上に鎖を編んだものを重ねていて、片方の肩から下に古い裂け目があった。
髪は短く刈ってある。顎に傷があった。
四十半ばくらいに見えた。
その人は斜面を下りてきて、五歩ほど手前で止まった。
「あんたか」
「はい」
「王だと聞いた」
「エリアスです」
*
その人は、私を上から下まで見た。
値踏みされている、というのが分かった。市で品を見る人がそうする。ドナートさんも麦の袋にそうしていた。
「ヴォルフという」
その人は言った。
「団を率いていた」
「団」
「傭兵団だ。だいぶ減ったがな」
「減った?」
「八割が死んだ。東でだ」
*
私はその数を、うまく思い描けなかった。
八割というのが、二百のどのくらいなのかが分からない。ただ、元はもっと多かったのだということは分かる。
「大変でしたね」
「大変だった」
ヴォルフさんは言った。
その言い方に、恨みも悲しみもなかった。天気の話をするのと同じ調子だった。
「誰にやられたんですか」
「東の王だ」
*
「コンラート三世ですね」
「知っているのか」
「名前だけ」
私は言った。
「ミカさんが教えてくれました。一度も負けていない人だと」
「そうだ」
ヴォルフさんはうなずいた。
「見事な手だった」
*
私はその言葉に引っかかった。
「見事、ですか」
「見事だ」
「その人に、八割やられたんですよね」
「やられた」
ヴォルフさんは私を見た。
「だから見事なのだ」
*
私はうまく飲み込めなかった。
村では、自分を負かした相手を褒める人はいなかった。負けた者は黙るか、腹を立てるか、次はやり返すと言った。
この人は、褒めた。
褒めて、それきりだった。
*
「荷を、ありがとう」
ヴォルフさんが言った。
「使いましたか」
「布は使った」
「麦は」
「置いてある」
私はそのことについて、聞かなかった。
聞いても仕方がない。城の人もそうだ。パンを配っても戻ってくる。遠慮しているのだと私は思っている。
*
「聞きたいことがあります」
私は言った。
「なぜ、下りてこないんですか」
ヴォルフさんは、しばらく黙っていた。
顎に手をやって、傷のあたりを撫でた。考えるときの癖なのだと思った。
「雇われていない」
「雇われて」
「我々は傭兵だ」
ヴォルフさんは言った。
「金で雇われる。雇われたほうにつく。契約が済めば去る。それだけだ」
*
私はうなずいた。
分かった、と思った。
「お金が要るんですね」
「要る」
「いくらですか」
ヴォルフさんの手が、顎から離れた。
「いくら、と聞いたか」
「はい」
「二百人ぶんだ。安くはない」
「アンリさんに聞きます」
私は言った。
「たぶん、あります。麦が余っているので」
*
ヴォルフさんは、私を見ていた。
長いあいだ見ていた。
それから、少し首を傾けた。
「あんた」
「はい」
「俺が何をする者か、分かって言っているのか?」
「傭兵ですよね」
「そうだ」
「戦う人だと、ギヨームさんに聞きました」
「では、何をさせる」
*
私は答えられなかった。
考えていなかったからだ。
二百人が冬の山にいる。下りてきてほしい。家がある。麦がある。そこまでは考えた。そのあとのことは、何も考えていなかった。
「何もしなくていいです」
私は言った。
「なに?」
「戦わなくていいです。下りてきて、家に住んで、それだけで」
*
ヴォルフさんの顔が、初めて動いた。
どう動いたのかを、私はうまく言えない。
驚いたのとは違った。呆れたのとも違った。強いて言えば、聞き間違いを確かめようとしている顔だった。
「金を払って何も求めない、と」
「はい」
「なぜだ」
「冬だからです」
*
私は続けた。
「山は寒いです。あそこには水はあるでしょうけど、家がない。二百人が四ヶ月もいるところではないと思います」
「それだけか?」
「はい」
「ほかにもあるだろう」
「ありません」
私は言った。
「ほかに何がありますか」
*
ヴォルフさんは、答えなかった。
斜面のほうを向いて、少し歩いた。三歩ほど行って、また戻ってきた。
それから、私の後ろを見た。
ロランさんが立っていた。四人の兵も立っていた。誰も動いていない。誰も喋っていない。五人が同じ間隔で、同じ姿勢で立っている。
ヴォルフさんは、それをしばらく見ていた。
*
「陛下」
初めてそう呼ばれた。
「はい」
「一つ、教えてくれ」
「なんでしょう」
「あんたの国では、何人が死んだ?」
*
私はその問いの意味が分からなかった。
「死んだ、というのは」
「夏だ。七月に、何かがあっただろう」
「病がありました」
私は言った。
「私の村で、七日で八人が死にました」
「八人」
「はい」
ヴォルフさんは、私を見ていた。
「それだけか」
「それだけです」
*
嘘はついていない。
私が知っている死者は、あの八人だ。フェリエ村で、七月のはじめから七日のあいだに死んだ人たち。名前も、順番も、覚えている。
そのあとのことは、みんな元気にしている。
「そうか」
ヴォルフさんはそう言った。
それだけ言って、斜面のほうへ歩き出した。
*
「あの」
私は呼び止めた。
「考える」
「いつまでですか」
ヴォルフさんは足を止めた。
振り返らずに言った。
「金の話ではない」
「では」
「それも考える」
*
その人は斜面を登っていった。
岩の多いところを、迷いなく進んだ。四ヶ月そこにいる人の歩き方だった。
途中で一度だけ、こちらを見た。
私に手を振ってみせたのかと思ったが、そうではなかった。ただ振り返っただけだった。
私は手を振り返してしまってから、少し恥ずかしくなった。




