第45話:助かったんですね
ミカさんを送った日から、私は砦に残っていた。
王都へ戻るつもりでいたのだが、アンリさんから使いが来て、しばらく東にいてはどうかという話になった。冬に入る前に国境の様子を見ておくのがよいでしょう、と書いてあったらしい。
私は字が読めないので、ロランさんに読んでもらった。
そういうものかと思って、残った。
*
六日目の朝に、戦があった。
私は知らなかった。
その日は朝から砦の中にいて、倉の帳面をロランさんに読んでもらっていた。麦がどれだけあって、油がどれだけあって、布が何反残っているか。
昼を過ぎたころ、外が少し騒がしくなった。
騒がしいといっても、声がするわけではない。人の動く音が増えただけだ。
「何かありましたか」
私が聞くと、ロランさんは帳面から目を上げた。
「東の兵が参りました」
「いつですか」
「昼前かと」
「いま」
「終わっております」
*
私は立ち上がった。
「なぜ言ってくれなかったんですか」
「申し上げる必要がないかと」
「必要はあります」
私は言った。
自分の声が思ったより大きくなったので、少し驚いた。
「誰か、怪我をしましたか」
ロランさんは帳面を閉じた。
「問題ございません」
「怪我をしたかと聞いています」
「問題ございません」
同じ言葉が返ってきた。
*
私は中庭へ出た。
兵が並んでいた。
いつもの稽古の刻限ではない。それなのに整列していた。何列にもなって、数えられないほどいた。
鎧に土がついている者が多かった。血のついた者もいた。乾いて黒くなっている。
私は近くの一人に聞いた。
「怪我をしましたか」
「しておりません」
「その血は」
「私のものではございません」
*
私は列のあいだを歩いた。
誰も動かなかった。私が通ると頭を下げ、通り過ぎると元に戻る。いつもと同じだ。
途中で、見慣れない鎧が混じっているのに気づいた。
形が違う。胴の合わせ目のところに金具が余分についている。ヨナスさんの、いや、ミカさんの着ていたものと同じ形だった。
私は足を止めた。
「あの」
その人は頭を下げた。
「東の方ですか」
「はい」
*
私は嬉しくなった。
「助かったんですね」
その人は答えなかった。
「怪我をされていたんでしょう。ここへ運んでもらえたんですね」
「はい」
「よかった」
私は言った。
「間に合ってよかった」
*
周りを見た。
同じ形の鎧が、あちこちに混じっていた。
数えると十五あった。
全部が列に入っていた。こちらの兵と同じ間隔で、同じ向きで、同じように立っている。並んでいるところを見ただけでは、どれが東の人か分からない。鎧の金具の位置が違うだけだ。
私はギヨームさんを探した。
*
ギヨームさんは、壁の上にいた。
「小僧」
「ギヨームさん」
「見たか」
「はい」
「十五人だ」
「助けてくださって、ありがとうございました」
ギヨームさんは私を見た。
何も言わなかった。
「あの人たちは、これからどうなりますか」
「どうもならん」
「帰れますか」
「帰らんだろう」
*
私はそれを聞いて、少し安心した。
帰らないというのは、ここにいたいということだ。
考えてみれば、当たり前かもしれない。あの人たちは怪我をして、こちらに運ばれて、手当てを受けた。命を救われた相手のところに残るというのは、村でもよくあることだった。
流れの者が病んで、婆さんが世話をして、そのまま村に居着いたことが二度ある。
「では、住むところが要りますね」
私は言った。
「冬が来ます。砦の中では狭いでしょう。王都に土地があります。五つの村の人たちのために用意したところが、まだ空いていますから」
ギヨームさんは東を見ていた。
「好きにせい」
*
私は中庭に戻って、十五人を集めた。
集めたというより、集まった。私が中庭の中央に立ったら、あちこちから出てきて、目の前に並んだ。
私はそこで初めて、顔をよく見た。
若い人が多かった。ミカさんと同じくらいか、少し上に見える。一人だけ、四十を過ぎているように見える人がいた。
みんな、痩せていた。
東の国も苦しいのだろうと思った。ミカさんも痩せていた。二十年戦っている国が二つ並んでいるのだから、どちらも同じようなものなのだろう。
*
「エリアスといいます」
私は言った。
「この国の王をしています」
誰も何も言わなかった。
「怪我をされて、ここへ運ばれたと聞きました。間に合ってよかったです」
誰も何も言わなかった。
「これから寒くなるので、王都に移ってもらおうと思っています。家があります。麦もあります。足りないものがあったら言ってください」
*
私はそこで、大事なことを聞き忘れていたと気づいた。
「あの」
私は言い直した。
「東へ帰りたい人は、いますか」
*
誰も手を挙げなかった。
私は待った。
十五人が、私を見ていた。誰も動かなかった。
一人が、口を開いた。
いちばん端にいた若い人だった。息を吸って、何か言おうとした。
そして、閉じた。
もう一度開いて、また閉じた。
*
私はその人のところへ行った。
「言ってください」
「……」
「帰りたいなら、帰してください、と言っていいんです。ミカさんも帰しました。馬と、食べ物と、上着を渡して。同じようにできます」
その人は、私を見ていた。
口が動いていた。声は出なかった。
「無理に言わなくていいですよ」
私は言った。
「恥ずかしいのかもしれませんね。捕まった相手に頼みごとをするのは、確かに言いにくいと思います」
*
私は列の前に戻った。
「気が変わったら、いつでも言ってください」
誰も何も言わなかった。
私はそれを、みんなここにいたいのだと受け取った。
嬉しかった。
東と西で二十年戦っているのに、こうして同じ中庭に立っている。並んでいるところを見れば、どちらがどちらか分からない。鎧の金具が違うだけだ。
*
その日の夕方、私は壁の上からもう一度中庭を見た。
稽古が始まっていた。
東の人たちも、その中に混じっていた。同じ列で、同じ相手と、鉄を打ち合っている。
誰も、あの人たちを避けていなかった。
誰も、あの人たちを咎めていなかった。
こんなに早く馴染むものかと思って、私は少し驚いた。
驚いて、それから嬉しくなった。




