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白王と黒王  作者: ブルースライム
第1章:ヴィタリス王国 王都

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第43話(幕間):起き上がる

 斥候が一人、戻ってきた。


 三番隊のミカという男だった。西で捕らえられ、四日で解放されたという。


 自分はその報告を聞いていない。中隊付きの若手士官に、そういう場へ入る資格はない。


 ただ、翌日に命令が出た。


 境の帯へ出て、西軍の陣を探る。接触した場合は交戦を許す。兵の規模は三百。


 指揮を取る第二中隊長から声をかけられた。


「副官はヨナス、お前だ。しっかりやれ」


 士官学校を出て三年目で副官抜擢というのはなかなかだと思っている。ちなみに実戦は六度目だ。


     *


 行軍の途中で、中隊長が言った。


 斥候の報告は妙だった、と。


 何が妙なのかは教えられなかった。上が「見てこい」と言うということは、報告が信じられていないということだ。それだけは分かった。


 自分は西の兵を知っている。


 何度か戦ったが強くはない。装備が古く、補充が農民で、伸びた戦線を支えきれない。二十年ずっと劣勢傾向なのはそのせいだ。


 可哀想な軍だと思っていた。


     *


 境を越えて半日で、相手を見つけた。


 草の斜面の上に、横一列に並んでいた。


 数はこちらより多い。八百ほど。旗は立っていない。


 隊長が遠眼鏡を出して、しばらく見ていた。それから、自分に渡した。


 自分も見た。


 最初は、何も変だと思わなかった。


     *


 二度目に見たとき、気づいた。


 誰も動いていない。


 兵というのは、待っているあいだ必ず動く。足を組み替える。鼻をかむ。水を飲む。隣と喋る。三百人集まれば、その三百通りが常に起きている。それが軍というものだ。


 八百人が、一つも動いていなかった。


「中隊長」


「見えたか」


「はい」


「もう一度見ろ」


 自分は見た。


 遠眼鏡では顔の詳細までは見て取れない。それでも、痩せているのは分かった。頬の線が落ちている者が多い。二十年戦っている国だ。食えていないのだろうと思った。


     *


 交戦は、こちらから仕掛けた。


 命令どおりだ。接触して、押して、反応を見る。押し返されたら退がる。それで相手の練度が測れる。


 自分は右翼にいた。


 斜面を駆け上がって、当たった。


 当たった瞬間に、おかしいと思った。


     *


 音がしない。


 こちらの兵は叫ぶ。当たる前に必ず叫ぶ。声を出さないと足が出ないからだ。自分も叫んでいた。


 向こうは、一人も叫ばなかった。


 鉄が当たる音と、足が土を掻く音と、それだけだった。


     *


 自分の正面にいた男は、三十くらいに見えた。


 槍の構えは悪くない。ただ、動きが少し遅い。


 自分は横へ回って、脇の下に刃を入れた。


 入った。


 深く入った感触があった。肋の下から斜めに、心の臓のあたりまで。これで終わる、と分かる入り方だった。士官学校で百回やった型だ。


 男は倒れた。


 自分は剣を抜いて、次へ向かおうとした。


     *


 男が起き上がった。


 自分はそれを、はっきり見た。


 膝を立てて、手を地面につけて、身体を起こした。動作に淀みがなかった。転んだ子供が立つのと同じ速さだった。


 脇の傷から、血が出ていなかった。


 男は槍を拾った。


 拾って、構えた。


 自分を見た。


     *


 自分は退がった。


 三歩か、四歩。何も考えていなかった。身体が退がった。


 男は追ってこなかった。


 構えたまま、その場に立っていた。列を崩さなかったのだ。あとで考えれば、それが答えだった。あの軍は、命じられた場所から動かない。


 そのときの自分には、そこまで考える頭がなかった。


     *


 左のほうで、悲鳴が上がった。


 こちらの兵の声だ。


 見ると、同じことが起きていた。第一列の何人かが、倒したはずの相手にもう一度向き合っていた。


 一人が叫んだ。


 もう一度斬れ、と隊長が叫んだ。


 斬った。


 腕が落ちた。落ちた腕が地面で跳ねた。


 相手は、残ったほうの手で剣を持ち替えた。


     *


 崩れたのは、そこからだった。


 誰かが背を向けた。一人が向けると、十人が向く。十人が向くと、三百が向く。士官学校で習ったとおりのことが、習ったとおりの速さで起きた。


 自分も走った。


 止めなければならない立場だったが、止められなかった。自分自身も走りながら、そのことを自覚していた。


 斜面を下りて、平地へ出て、それでも走った。


     *


 追撃は、来なかった。


 しばらく走ったところで、後ろが静かなのに気づいた。


 止まって、振り返った。


 八百人が、斜面の上に立っていた。


 一歩も下りてきていなかった。


 腕を落とされた男が、前列に戻っていた。落ちたほうの袖が垂れている。それでも列に入って、こちらを見ていた。


 声を上げる者はいなかった。


 勝ち鬨も、罵りも、何もなかった。


     *


 自分たちは、境まで退がった。


 数えた。


 欠けたのは十九人。うち四人は連れ帰れた。十五人は、あの斜面に残した。


 置いてきた、というのが正しい。


     *


 その夜、自分は報告書を前にして呆然としていた。


 交戦の経緯までは書ける。時刻、地点、彼我の兵力、接触から離脱までの時間。それは書いた。


 そのあとが書けなかった。


 脇の下に刃を入れた男が起き上がった、と書けばいい。事実だ。自分は見た。


 書けば、上はこう読む。この士官は取り乱している。あるいは、外して倒したと思い込んだのだ、と。


 無理もない。自分もそう思うだろう。


     *


 三度書き直して、こう書いた。


 『敵の損耗を確認できず』


 嘘ではない。確認していない。


 書きながら、手が震えていた。震えているのが自分でも分かるのに、止められなかった。


 止め方を士官学校では習わなかったな、と思いながら。


     *


 中隊長の報告も、たぶん似たようなものだったと思う。


 あの人は自分より年上で、自分より多く戦っていて、自分より上手く書ける。それでも、あれを書ける言葉を持っていたとは思えない。


 その報告が上へ上がる。


 上は、それを読んで、こう判断するだろう。


 西の第二次防衛線は堅固。士気は高い。損耗の確認に至らず。


 間違ってはいない。


     *


 置いてきた十五人のことを、自分は何度も考えた。


 彼らはその後どうなったのだろうか。


 捕虜交換でまた会うことができればいいのだが。

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