第42話:慣れました
「なぜだ」
ミカさんはそう聞いた。
私は答えを用意していなかった。
「あなたが食べられないからです」
「それだけか」
「それだけです」
ミカさんは私を見ていた。
「おれは斥候だ。あんたの国の兵の数を数えた。道も見た。帰れば全部話す」
「はい」
「分かっていて帰すのか」
「はい」
ミカさんは、そこで黙った。
それから、寝台に座り直した。
*
「あんた、いくつだ」
「十六です」
「若いな」
「はい」
ミカさんは笑った。
笑ったのを見たのは、初めてだった。うまく笑えていなかった。口の端だけが動いて、目が動かなかった。
「おれは十八だ」
「近いですね」
「ああ、近い」
*
次の朝、私たちは王都を出た。
私も行くと言ったら、ヴァレリーさんが止めた。アンリさんは止めなかった。ロランさんが供につくということで、話がついた。
馬は二頭と、護送の兵が二十。ミカさんは縛られていない。
街道を東へ。四日の道のりだった。
*
道中、私はいろいろ聞いた。
東の国のことだ。どんな家に住んでいて、何を食べて、どんな歌を歌うのか。
ミカさんは答えてくれた。
家は石と木で建てる。屋根が急なのは雪が積もるからだ。冬は豆と塩漬けの肉を食う。歌は知らない、と言われた。歌う暇がなかったらしい。
「王様は、どんな人ですか」
聞いてから、まずかったかと思った。
ミカさんは少し黙って、それから言った。
「見たことがない」
「一度も」
「おれは三番隊の斥候だ。王のいる場所にはいない」
「そうですか」
「ただ」
ミカさんは前を向いたまま言った。
「あの人が指揮を執った戦は、一度も負けていない」
*
道中で、ミカさんは少しずつ話すようになった。
王都を出た朝は、馬に乗るのもやっとだった。鞍に足をかけるのに二度失敗して、兵に支えられていた。口も利かなかった。二日目には自分で乗り降りするようになった。三日目には、こちらが聞く前に東の話をした。
帰れると分かってからだ、と思った。
村でもそうだった。熱を出した子が、もう起きていいと言われた日から急に喋りだす。治ったから起きるのではなくて、起きていいと言われたから治るのだと、婆さんは言っていた。
*
もう一つ、気づいたことがある。
ミカさんは、護送の兵を見なくなった。
王都を出た朝は、何度も振り返っていた。二十人が後ろについてくるのを、そのたびに数えるように見ていた。三日目には、一度も振り返らなかった。
代わりに、私と話すときは、私の顔を見るようになった。
*
二日目の昼に、休みを取った。
街道の脇に馬を止めて、火を焚いて、湯を沸かした。護送の兵は誰も座らなかった。座ったのは私とミカさんだけだ。
パンと干し肉を出した。
ミカさんは食べた。前より食べた。
私も食べた。
食べていると、ミカさんがこちらを見ているのに気づいた。
「どうかしましたか」
「いや」
ミカさんは気まずそうに目をそらした。
しばらくして、また見た。
*
三日目の夕方だった。
その日は朝から降っていて、道がぬかるんでいた。馬が進まないので、途中から降りて引いた。
私は先を歩いていた。
後ろで足音が乱れた。振り返ると、ミカさんが膝に手をついていた。
「大丈夫ですか」
「……ああ」
息が上がっていた。髪も肩も濡れている。
「休みましょう」
「いや」
「休みましょう」
私は馬を止めさせた。
*
ミカさんは石に腰を下ろした。
水袋を渡すと、飲んだ。飲んでから、私を見上げた。
「あんた」
「はい」
「朝から歩き通しだろう」
「そうですね」
「あんた、疲れんのか」
*
私は少し考えた。
考えて、答えた。
「慣れました」
「慣れた」
「はい。城に来てからずっと、朝から晩まで動いているので。刈り入れのときは半日で腰が痛くなったんですが、この頃はそういうことがなくなりました」
私は自分の手を見た。
「丈夫になったんだと思います」
ミカさんは、私を見ていた。
まばたきをしていなかった。
*
「あんたは飯を食う」
「食べます」
「昼に食っていた」
「はい。おいしかったです」
ミカさんは水袋を返した。
返してから、また同じ姿勢で座っていた。
私は雨の中で待っていた。この人が立ち上がるまで待つつもりだった。急ぐ用があるわけでもない。
やがて、ミカさんが立った。
「行こう」
それきり、その話はしなかった。
*
四日目の昼に、砦に着いた。
ギヨームさんが門の前に立っていた。
私が来るとは伝えていない。伝わっていた。この頃はもう、そういうものだと思っている。
「小僧」
「ギヨームさん」
「そいつか」
「ミカさんです」
ギヨームさんはミカさんを見た。
ミカさんも見返した。目をそらさなかった。
*
ギヨームさんは、ミカさんの前に立った。
背が高い。ミカさんの頭一つぶんほど上から見下ろす形になった。
「小僧」
「……」
「見たものを、全部言え」
ミカさんの肩が動いた。
「一つも省くな」
ギヨームさんは言った。
「兵の数も、道も、この砦の壁の高さもだ。全部言え」
*
ミカさんは答えなかった。
長いあいだ、答えなかった。
それから、口を開いた。
「言われなくとも言う」
「そうか」
ギヨームさんはうなずいた。
それだけだった。
*
私はそのやりとりを、横で聞いていた。
隠しごとはよくないと言っているのだと思った。
村でもそうだった。喧嘩をした子供に、婆さんはまず全部言わせた。隠した子のほうが後で困る。言ってしまえば、そこから先の話ができる。
ギヨームさんは、この人にそれをさせたのだ。
立派な人だと思った。
*
境まで、あと少しだった。
馬を一頭渡した。四日ぶんの食糧と、水袋と、上着。手は縛らない。約束のとおりだ。
ミカさんは馬に乗った。
乗ってから、私を見た。
「エリアス」
「はい」
名前で呼ばれたのは初めてだった。
「もう会わないほうがいい」
「そうですか」
「次は、たぶん戦場だ」
「そうならないといいですね」
*
ミカさんは、そのまま動かなかった。
何か言いたいことがあるように見えた。口が開いて、閉じた。この四日で、この人は何度もそうしていた。
私は待った。
やがて、ミカさんは手綱を引いた。
「あんたは」
「はい」
「あんたは、悪い王じゃない」
馬が向きを変えた。
「それがいちばん悪い」
*
私はその言葉の意味が分からなかった。
聞き返そうとしたときには、もう馬が駆け出していた。
草の色が変わるあたりまで行って、それから見えなくなった。
私は少しのあいだ、そこに立っていた。
悪い王ではない、と言われた。褒められたのだと思う。そのあとに何か続いたが、雨の音で聞き取れなかったのかもしれない。
隣でギヨームさんが東を見ていた。
この人は、最後まで一度もミカさんを止めなかった。




