表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白王と黒王  作者: ブルースライム
第1章:ヴィタリス王国 王都

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/80

第40話:私もです

 その人が落ち着くまで、私は待った。


 二度目のときは、もう何も出なかった。空えずきが続いて、そのうち身体が動かなくなった。床に手をついたまま、肩で息をしていた。


 私は水差しを近くへ寄せた。


 しばらくして、その人は手を伸ばした。水差しを掴んで、口をつけて、一息に半分ほど飲んだ。


 飲んでから、袖で口を拭った。


     *


「すみません」


 私は言った。


「私が近づいたから、驚かせてしまいました」


 その人は答えなかった。


 顔は上げていた。私を見ている。目が赤い。


「布を持ってこさせます。床は、あとで誰かが拭きますから、気にしないでください」


 その人は動かなかった。


「お名前を、聞いてもいいですか」


 その人は答えなかった。


 当たり前かもしれない、と思った。捕まっている相手に名前を聞かれて、素直に言う人はいない。村でも、悪さをした子は名前を聞かれると黙った。


     *


 その人が、息を吸った。


 吸って、止めて、それから吐いた。何か言おうとしているのだと分かった。


 私は待った。


「あんたは」


 声はかすれていた。


「はい」


「あんたは、それでも人間か」


     *


 私は少し考えた。


 考えるようなことではないのかもしれない。けれど、この人は本気で聞いていた。ふざけて言っているのではないことは、顔を見れば分かった。


「人間です」


 私は答えた。


 ほかに答えようがなかった。


 その人の顔が、また変わった。


     *


 どう変わったのかを、私はうまく言えない。


 怒っていたのが消えた。それは分かった。代わりに何が来たのかが分からなかった。泣く直前の顔にも見えたし、大きな音を聞いた直後の顔にも見えた。


 その人は口を開けて、閉じた。


 もう一度開けて、また閉じた。


 私はそれを見て、城の人たちを思い出した。アンリさんも、ヴァレリーさんも、マルグリット婆さんも、みんな同じところで黙る。この人も同じことをしている。


 都の作法ではないのだ、と私はそのとき初めて思った。


     *


 その人が言った。


「ミカ」


「はい」


「ミカという。三番隊の斥候だ」


「エリアスです」


 私はもう一度名乗った。さっきは肩書きしか言えなかったような気がしたからだ。


「ミカさん」


 返事はなかった。呼ばれ慣れていない名の呼ばれ方をしたときの顔をしていた。


「上着を持ってこさせます。ここは冷えるので」


     *


 私はミカさんを別の部屋へ移させた。


 玉座の間は広すぎるし、人が多い。壁際に百人が立っている部屋で話をするのは、私も落ち着かなかった。


 小さい部屋に卓を出して、二人で座った。


 外に兵が二人立ったが、扉は開けておいてもらった。閉めると怖いだろうと思った。


 食事を運ばせた。パンと、豆と、干した果実。ジャンさんが焼いたパンだ。


 ミカさんは見ていた。


「毒は入っていません」


 私が言うと、ミカさんは少し笑ったように見えた。笑いではなかったかもしれない。


「いただこう」


 そう言って、手を伸ばした。


     *


 食べているのを、私は見ていた。


 噛む回数が一定していなかった。途中で水を飲んだ。パンの硬いところで手間取って、指を使った。


 嬉しかった。


 この人は食べる。ドナートさんもそうだった。城の人たちは、どうしてか食べない。私が量を増やさせても、遠慮して戻してしまう。


「おいしいですか」


「……ああ」


「よかった」


     *


 半分ほど食べて、ミカさんは手を止めた。


 しばらく皿を見ていた。


 それから、顔を上げた。


「あんたに聞きたい」


「はい」


「ここへ来る途中に、五十人ほどの兵に囲まれていた」


「そうですか」


「五日だ。五日のあいだ、あいつらは一度も飯を食わなかった」


 私はうなずいた。


「そうなんです」


     *


 私は身を乗り出した。


 この話ができる相手が、ようやく現れたと思った。


「みんなそうなんです。食べないんです」


「あんた」


「城の人も、街の人も。私が量を増やさせても、遠慮して戻してしまって。倉に山になっていました」


「あんた、それを」


「困っています」


 私は言った。


「どうすれば食べてくれるのか、ずっと考えているんですが、分からなくて」


 ミカさんは、私を見ていた。


 口を力なく開けたまま。


     *


 それから、ミカさんは卓に手をついた。


 両手をついて、顔を伏せた。


 肩が動いていた。泣いているのかと思ったが、声がしない。


「ミカさん」


 顔を伏せたままだった。


「大丈夫ですか」


 顔を上げた。


 目が赤いままだった。


「頼みがある」


 ミカさんは言った。


     *


「なんでしょう」


「休ませてやってくれ」


 声が震えていた。


「頼むから、あの人たちを休ませてやってくれ」


     *


 私は驚いた。


 この人は、うちの兵のことを言っているのだと思った。


 砦で見た。骨が鳴るまで打ち合って、それでも止めない。折れた腕を垂らしたまま剣を持ち直す。夜も立っている。誰も休まない。


 私は何度も言った。休んでくださいと。命令にもした。街が止まった日もあった。


 それでも、誰も休まなかった。


「そう思いますか」


 私は聞いた。


「……思う」


「私もです」


     *


 ミカさんは、動かなかった。


「ずっとそう思っています」


 私は言った。


「何度も言いました。休んでくださいと。一度は命令にもしました。みんな家に帰って、何もしないでくださいと」


 ミカさんは動かなかった。


「そうしたら、街が止まりました。誰も何もしないで、ただ座っているんです。休み方が分からないと言われました。思い出せない、と」


 私は自分の手を見た。


 あのときのことを思い出すと、いまでも落ち着かない。広場に二百人が座って、私が何か言うのを待っていた。


「私の言い方が悪かったんだと思います」


 卓に置かれた手が、皿の縁を掴んでいた。


「あなたも、そう見えますか。休ませたほうがいいと」


     *


 長い間があった。


 ミカさんは、私を見ていた。まばたきを何度かした。それから、天井のほうへ目を動かして、また私に戻した。


「見える。だが」


 ミカさんは言った。


「よかった」


 私は言った。


「私だけがそう思っているのかと、心配していました」


     *


 ミカさんは、それきり何も言わなかった。


 私はもう少し話したかった。東の国のことを聞きたかったし、休ませ方についても相談したかった。この人は分かってくれる。


 けれど、顔色が悪かった。


「今日はここまでにします」


 私は立ち上がった。


「ゆっくり休んでください。部屋を用意させます。誰も入りませんから」


 扉のところで、私は振り返った。


 ミカさんは卓に着いたまま、もう私を見ていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ