第38話:お決めになることです
報せを待つ日が続いた。
朝、執務室に入ると、まずそれを聞いた。東から何か来ましたか、と。
まだにございます、とアンリさんが答える。
それから書類が始まる。橋、井戸、堰、街道。私は印を押す。押しながら、東のことを考えている。
十日が過ぎた。
*
十一日目に、ヴァレリーさんが来た。
いつもより早い時刻だった。手に紙を持っていた。
「陛下。使者が戻りました」
私は立ち上がった。
「何人ですか」
ヴァレリーさんは、少し止まった。
「一名にございます」
*
五人送った。
国境の管区へ三名、あちらの王都へ二名。第一の報せを持ち帰るのが三名で、書状を届けるのが二名だと聞いていた。
戻ったのは一名。
「あとの四人は」
「分かりかねます」
「探せませんか」
「国境から先は把握が難しゅうございます」
ヴァレリーさんは言った。
「戻った者が申しますには、国境の向こう側では『焼く』決まりが続いているようです」
*
私は椅子に座り直した。
前にも聞いた。ヴァレリーさんが最初にこの話を持ってきたとき、三人送って一人だけ戻った。あのとき私は、なぜ焼くのだろうと思った。
今度は五人送って、一人戻った。
四人だ。
名前を、私は知らない。顔も見ていない。使者を出しますと言われて、はい、と答えただけだ。いや、それも言っていない。私が塔にいるあいだに、もう出ていた。
それでも、送られたのは私が言ったからだ。
「私が、助けましょうと言ったからですね」
「陛下」
「四人は、私のせいで焼かれました」
「そうではございません」
ヴァレリーさんは首を振った。
「焼いたのは向こうにございます」
*
「その四人は」
私は聞いた。
「もう、起きませんか」
ヴァレリーさんは答えなかった。
答えなくても分かっていた。村で見た。アガットさんとベルトさんは焼かれて、それきりだった。私は灰の前に膝をついて、何度も願った。手を土に埋めて、村でやったのと同じようにした。
何も起きなかった。
刺されても、斬られても、起きる。
焼かれると、それきりだ。
四人は、それきりになった。
*
それは、そのとおりだった。
私は焼いていない。焼けと言っていない。行けとも言っていない。
それでも、私が何も言わなければ、あの四人はまだ生きていた。
考えているうちに、分からなくなった。
村では、こういうときの分け方がはっきりしていた。誰かが川で溺れたとする。突き落とした者がいれば、その者が悪い。誰もいなければ、それは川のせいだ。
私は突き落としていない。
けれど、川へ行きましょうと言った。
「陛下」
ヴァレリーさんが言った。
「戻った者が、もう一つ報せを持っております」
*
「東部の五つの村が、動いております」
「動く?」
「住人が東へ移されております。半月ほど前から。既に半分は発ったと」
私は紙を見た。読めない。
「どこへ行くんですか」
「あちらの内地かと。詳しい行き先は分かりかねます」
「なぜですか」
ヴァレリーさんは、そこで一度、私の顔を見た。
「こちらが兵を集めましたので」
*
私は言葉が出なかった。
「私が」
「陛下ではございません。集めたのは軍にございます」
「でも、私が助けましょうと言ったから、兵が出て」
「はい」
「兵が出たから、あの人たちは連れていかれたんですか」
「そう見えます」
ヴァレリーさんは、はっきりそう言った。
この人は嘘をつかない。都合の悪いことも、聞かれれば答える。それがこの人の親切なのだと、私は思っていた。
*
私は窓のほうを見た。
外は曇っていた。十一月に入って、日が短くなっている。
五つの村の千二百人は、いま歩いているのだろうか。
冬が来る前に、東へ。知らない土地へ。荷を担いで、年寄りを背負って、子供の手を引いて。
助けようとした。
その結果、遠くへ行った。
「戻せますか」
「難しゅうございます」
「難しいというのは、できないということですか」
「できぬとは申しません」
ヴァレリーさんは言った。
「兵は、既に境におります」
*
私はそのとき、この人が何を言っているのか分からなかった。
いや、分かっていたのだと思う。分かっていて、言葉にしなかった。
「どうしますか」
私は聞いた。
ヴァレリーさんは答えなかった。
私はアンリさんを見た。この人は、さっきから一度も口を開いていない。
「アンリさん。どうすればいいですか」
アンリさんは書類の角を揃えた。
「陛下がお決めになることです」
*
その言葉を、私はこれまでに何度も聞いた。
休みを作りたいと言ったとき。祭りをしたいと言ったとき。砦へ行こうかと迷ったとき。そのたびにこの人は同じことを言い、私が決めて、そのとおりになった。
今日は違った。
「私には、分かりません」
「はい」
「決められません」
「はい」
アンリさんは、それ以上何も言わなかった。
*
私は何も決めなかった。
その日も、次の日も、その次の日も。東のことは何も命じなかった。命じられなかった。
三日後に報せが来た。
国境の帯に、こちらの兵が並んだという。境の内側で、一歩も越えずに。
その次の報せでは、砦から二千が動いた。
私は一度も、進めと言っていない。
止めろとも言っていない。
*
夜、私は寝台の上で天井を見ていた。
あの日、塔の上で私は頷いた。
ギヨームさんが、あなたは民を守りたいのだなと聞いて、私ははいと答えた。二度目だった。一度目は初めて会った日の丘の下だ。
二度とも、私は同じ答えをした。
守りたい。
それは本当だ。いまでも本当だ。
けれど、あの人が二度も確かめたのは、たぶん私の気持ちではなかった。
私は何に頷いたのだろう。
考えているうちに、外が白んできた。
私はこの頃、眠れない夜があっても、次の日に眠くならなくなっていた。それは都合のいいことだと思っていた。




