表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白王と黒王  作者: ブルースライム
第1章:ヴィタリス王国 王都

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/78

第29話:南から来た人

「商人が参ります」


 アンリさんがそう言ったのは、祭りから十日ほど経った朝だった。


「南から。麦の件で使いを出しておりました」


「いつ着きますか」


「明後日の昼かと」


 私は嬉しくなった。


     *


 その二日を、私は落ち着かずに過ごした。


 考えてみれば、私はこの二ヶ月、外から来た人に会っていない。城に入ってから会ったのは、もともとこの国にいた人たちばかりだ。


 どんな人だろう、と考えた。


 村にも、たまに行商が来た。荷を背負って、鍋や針や塩を売りに来る。私は森から降りてその日に当たると、決まって荷の中を覗かせてもらった。売り物ではなく、その人の話が面白かった。三つ向こうの谷でこういうことがあった、というような話だ。


 村の外の話を聞けるのは、あの人からだけだった。


「アンリさん」


「はい」


「その人は、どのくらいいてくれますか」


「商いが済むまでかと」


「何日でしょう」


「量が量にございます。五日は」


 五日、と私は思った。


     *


 当日、私は門まで出た。


「陛下がお出になる要はございません」


 アンリさんはそう言ったが、私は行った。村では、行商が来ると子供が門まで走った。私もそうしていた。


 昼を少し過ぎて、街道の向こうに荷車が見えた。


 四台だった。馬が引いていて、その脇に人が歩いている。全部で七人ほど。近づくにつれ、車輪の音と、馬の足音と、それから人の声が聞こえてきた。


 声がしていた。


 誰かが誰かに何かを言って、別の誰かが笑った。それだけのことなのに、私は妙な心地がした。


     *


 荷車が門の手前で止まった。


 先頭の男が降りてきた。五十くらいだろうか。日に焼けて、腹が出ていて、上等な布の上着を着ていた。指に太い輪をはめている。


 その人は門を見上げ、それから道の両側を見た。


 両側には人が並んでいた。門番と、荷を検める者と、その日たまたま通りかかった者たちだ。全員が頭を下げていた。私が門に立っているからだ。


 男の足が止まった。


 しばらく、動かなかった。


「あの」


 私が声をかけると、男は肩を跳ねさせた。


「南から来られた方ですか」


「……はい」


「よく来てくださいました」


 私は手を差し出した。


 村で行商にそうしていたからだ。あの人はいつも、まず手を握ってから荷を下ろした。


 男は自分の手を見て、それから私の手を見た。


 握った。


     *


 あたたかかった。


 私はそのことに驚いて、少しのあいだ手を離せなかった。


 久しぶりだ、と思った。


 なぜ久しぶりなのかは、考えなかった。都の人は握手をしないのだろう、と思っただけだ。この城では誰も私に触れない。それはもう知っている。


「あの、失礼ですが」


 男が言った。


「こちらの方は」


 私の後ろで、アンリさんが答えた。


「ヴィタリス王国国王、エリアス一世陛下にあられます」


 男の顔から、色が引いた。


     *


 ドナート、というのがその人の名前だった。


 南の海沿いの町から来たという。三十年、麦と塩と油を商っているらしい。私は町の名前を聞いたが、覚えられなかった。


「陛下自ら、お出迎えいただくとは」


「来てほしかったので」


「は」


「話を聞きたくて」


 ドナートさんは、それきり何も言わなかった。


     *


 倉へ案内した。


 東門の内側の、天井まで麦の袋が積んである建物だ。扉を開けたとき、ドナートさんは一歩下がった。


 それから中へ入って、上を見上げた。


「これで、全部ですか」


「南の倉にもあります」


 アンリさんが答えた。


「東にも三つ。北に二つ」


 ドナートさんは袋を一つ開けて、中の麦を掌に取った。指で潰して、匂いを嗅いで、粒を噛んだ。


 長いあいだ、そうしていた。


「悪くありません」


「悪くない、でございますか」


「いや」


 ドナートさんは掌の麦を袋に戻した。


「良い」


     *


 商談が始まった。


 私には何を話しているのか半分も分からなかった。値と、量と、運ぶ日と、船の話をしていた。


 ドナートさんは、初めのうち笑っていた。


 こういう量は捌けるところが限られる、輸送に金がかかる、南は去年が豊作だったので値が落ちている、と言っていた。だから安く買いたい、という意味らしいと後で分かった。


 アンリさんは、書類を見なかった。


「南の相場は、去年の秋に一度落ちて、春に戻っております。戻り幅は二割五分。落ちたままではございません」


「よくご存じで」


「船賃は、この量なら一艘あたりで下がります。四艘以上お使いになるでしょう。単価で申されるのは、こちらが知らぬ前提のお話かと」


 ドナートさんの笑いが止まった。


「五年前、貴殿は北のカレンツで同じ量を扱っておられます。そのときの値も、こちらに記録がございます」


 部屋が静かになった。


 私はアンリさんの横顔を見た。


 いつもと同じ顔だった。四十年ぶんの紙を読んできた人が、その紙を初めて外に向けて使っていた。


 値は、こちらの言うとおりに決まった。


     *


 夕方、食事にした。


 広間の長い卓に、ドナートさんと従者の人たちを座らせた。私も座った。城の者が料理を運んできた。


 量が多かった。


 祭りの残りではない。今日のために作らせたものだ。私が量を増やすように言ったので、卓に載りきらないほど出てきた。


 ドナートさんは、食べた。


 私はそれを見ていた。


 パンを割って、汁に浸して、口に入れる。噛む。回数は決まっていない。十度噛むこともあれば、三度で飲み込むこともある。途中で水を飲む。飲んでから、また食べる。


 肉を骨から外すのに手間取って、指を使った。使ってから、布で拭いた。


 途中で、一度むせた。


 私は嬉しくなった。


「よく食べますね」


「は」


「いいことです」


 ドナートさんは、口の中のものを飲み込んだ。


 それから、部屋を見回した。


 卓の周りには、十四人が立っていた。運んできた者と、控えている者だ。全員が動かずに立って、私たちが食べるのを見ていた。


「あの者たちは」


「給仕の者です」


「食事は」


「済ませております」


 私はそう答えた。いつも自分がそう答えられているからだ。


 ドナートさんは、椀を置いた。


     *


 その夜、私は寝つけなかった。


 嬉しかったからだ。


 五日いてくれる。明日は南の話を聞こうと思った。海というものを見たことがないので、それを聞きたかった。


 水を飲もうと思って部屋を出た。


 廊下はいつもどおり暗い。灯りをつける必要のある者がいないからだ。私は壁に手を当てて歩いた。


 角を曲がったところで、光が見えた。


 客間の扉の下から、細く漏れていた。


 ドナートさんの部屋だった。


 まだ起きているのか、と思った。長旅で疲れているだろうに。


 声をかけようかと思って、やめた。商いの人は夜に帳面をつけると聞いたことがある。邪魔をしてはいけない。


 私は水を飲んで、部屋へ戻った。


 朝、廊下を通ったとき、その光はまだ漏れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ