第28話:歌が終わらない
婆さんが歌い出した。
刈り入れの歌だった。三日前に庭の隅で聞いたのと同じものだ。麦を刈る手つきに合わせた調子がついていて、一行ごとに鎌を引く間がある。
村では、最初は一人で歌った。
二行目か三行目で、誰かが合わせた。そのうちにもう一人が入って、四行目には十人ばかりになった。合わせられない者は手を叩いた。子供は調子が取れずに、ずれたまま大声で歌った。
二行目で、六万人が入った。
*
私は立ち上がっていた。
いつ立ったのか覚えていない。声が広場から大路へ、大路から門のほうへ広がっていくのを、私はただ聞いていた。
美しかった。
六万人が同じ歌を歌っている。ひとつも重ならず、ひとつも遅れず、同じ高さで。日が落ちかけて、櫓の火が卓の列を照らして、その光の届かないところまで声が続いていた。
目の奥が熱くなった。
私が村で聞いていたものが、六万倍になって返ってきたのだと思った。
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歌は、繰り返しの形をしている。
刈って、束ねて、置いて、また刈る。歌詞もそのとおりに戻ってくる。村では三度か四度繰り返して、そのうち誰かが息切れして、笑って、そこで終わった。終わりが決まっている歌ではない。誰かが力尽きたところが終わりだった。
五度目に入った。
六度目に入った。
私は座り直した。
日が落ちた。櫓の火だけになった。それでも歌は同じ高さで続いていた。
誰も息を継いでいなかった。
六万人の中に、一人も切れる者がいなかった。子供もいた。三つか四つに見える子も卓に着いていて、その子たちも切れずに歌っていた。
*
私は待った。
終わるところで手を叩こうと思っていた。村ではそうしていた。誰かが息切れして歌が崩れて、そこでみんなが笑って、手を叩いて、それで祭りが終わる。
十度を過ぎたあたりで、数えるのをやめた。
火が小さくなった。
薪を足す者がいなかった。全員が座って歌っているからだ。私は自分で立って足そうかと思ったが、そうすると歌が止まるような気がして、やめた。
風が出てきた。
六万人が歌っていた。
私は自分の指先が冷たくなっているのに気づいた。夜になったのだ。祭りは昼に始まった。
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「ありがとうございました」
私はそう言った。
言ってから、声が小さすぎたかと思った。
六万人が、同時に止まった。
歌の途中だった。刈る、の次の言葉が出るところで、全部が切れた。切れたあとに何の音も残らなかった。火が薪を舐める音だけがした。
全員が、こちらを向いた。
「よかったです」
私は言った。
「とても、きれいでした」
誰も何も言わなかった。
誰も、続きを歌わなかった。
*
私は帰っていいと言った。
言うまで、誰も立たなかった。言うと、全員が同時に立って、順に卓を離れた。押し合う者はいなかった。門のほうから順に、卓の列が空いていった。
私は最後まで広場にいた。
火が消えるのを見ていた。誰も薪を足さないので、じきに消えた。消えたあとの櫓が、暗い中に骨のように立っていた。
城へ戻ったのは、夜中だった。
*
次の朝、私は広場へ行った。
片づけを手伝おうと思っていた。村では、祭りの翌朝が半日仕事だった。骨と、皮と、こぼれた酒と、誰かが落とした帽子。それを拾って回るのも祭りのうちで、拾いながらみんな昨日の話をした。
広場には、何もなかった。
卓がなかった。布も、皿も、櫓もなかった。灰さえなかった。石畳が濡れていて、洗ったばかりだと分かった。
私は広場の真ん中に立った。
昨日ここに六万人がいた。そのことを示すものが、一つも残っていなかった。
夜のうちに、全部が終わっていた。
*
城に戻ると、厨房に火が入っていた。
ジャンさんが窯の前にいた。
「焼いているんですか」
「焼いてる」
「昨日、三日ぶん焼いたばかりでしょう」
「昨日は昨日だ」
ジャンさんは生地を台に並べていた。手つきはいつもと変わらなかった。三日窯を回して、祭りに出て、そのあと片づけをして、それでこの朝ここに立っている。
「広場、何もありませんでした」
「片づけた」
「誰が」
「みんなだ」
「いつ」
「夜中だ」
私は少し黙った。
村の祭りの翌朝、この人は昼まで寝ていた。起きてこないので子供たちが窓を叩きに行って、そのたびに怒鳴られた。怒鳴られるのが面白くて、毎年みんなで行った。
「今日は、休んでもいいんですよ」
「休んだら、明日の朝、パンが無えだろう」
それは、そのとおりだった。
*
料理が少し残っていた。作りすぎた分だ。私はそれを皿に取って、三階へ上がった。
クロエさんの部屋の戸を叩いた。
返事はなかったが、私は入った。この人は返事をしない。
椅子に座って、壁のほうを向いていた。昨日、祭りには来なかった。ジャンさんが呼びに行ったが、動かなかったという。
「昨日の分です」
私は卓に皿を置いた。
「食べてください。おいしいですよ」
塩が効きすぎている、とは言わなかった。
クロエさんは、しばらく動かなかった。
それから、こちらを見ないまま、手を伸ばした。
*
この人は、ゆっくり食べた。
パンを小さく千切って、口に入れて、長いあいだ噛んでいた。噛んでいる途中で一度止まって、しばらくしてから飲み込んだ。
次のひと口までに、間があった。
昨日とは違った。
昨日は、みんな三度噛んで飲み込んだ。次を取るまでに間がなかった。だから六皿でも七皿でも入った。
この人は、半分でやめた。
皿を押しやって、また壁のほうを向いた。
病んでいるからだろう、と私は思った。
村でも、寝込んだ者は食べるのが遅かった。婆さんは、そういう者に無理に食べさせるなと言っていた。入るだけでいいんだ、と。
「残していいですよ」
私は言った。
「明日、また持ってきます」
クロエさんは、瞬きをした。
*
部屋を出て、私は廊下を歩いた。
昨日のことを考えていた。
みんな、食べた。六皿も七皿も食べた。それなのに、誰もうまいと言わなかったし、歌は終わらなかったし、朝には何も残っていなかった。
どこかで、やり方を間違えたのだ。
村の祭りには、私が数えていなかったものがあったのだと思う。あの日が楽しかったのは、料理が多かったからでも、歌が上手だったからでもない。もっと別の何かがあって、私はそれを見ていなかった。
だから真似をしても、同じにならない。
次はもっとうまくやろう。
そう思って、私は執務室の扉を開けた。
卓の上に、書類が積んであった。祭りの二日で溜まった分だ。アンリさんが既にそれを三つに分け終えていた。
「おはようございます」
「陛下。おはようございます」
「アンリさん」
「はい」
「昨日、たくさん食べましたか」
「いただきました」
その返事を聞いて、私は少し安心した。




