第27話:いただきます
祭りの日は、よく晴れた。
広場だけでは足りなかった。卓は大路にまで延びて、四つの辻を越えて、門のほうまで続いていた。城の高いところから見ると、街の中を白い帯が走っているように見えた。布をかけた卓の列だった。
朝のうちに、人が着いた。
誰も押し合わなかった。順に卓の前に立ち、順に腰を下ろした。端から詰めて座るので、隙間が一つもできなかった。
六万人が座り終わるまで、半刻もかからなかった。
*
私は広場の櫓の前に立った。
村では、こういうとき誰かが一言だけ言った。婆さんのときもあれば、ジャンさんのときもあった。長い話はしない。長いと怒られる。
私は何を言えばいいのか分からなかった。
「みなさん」
声を張ったつもりだったが、思ったより小さく出た。それでも、いちばん遠くの卓まで届いたらしかった。全員がこちらを向いた。
「今年は、たくさん穫れました」
私は言った。
「刈り入れのとき、みなさん、三日三晩も休みませんでした。あれは、たいへんだったと思います」
誰も何も言わなかった。
「だから、今日は食べてください」
私は言った。
「遠慮しないでください。たくさんあります。足りなかったら、まだ倉にあります」
*
誰も動かなかった。
六万人が卓に着いて、私を見ていた。皿に手を伸ばす者が一人もいなかった。
村では、言い終わる前に誰かが手を出した。ジャンさんが、まだ言い終わってねえぞ、と怒鳴って、みんなが笑った。それが合図みたいなものだった。
私は座った。
私が座れば始まるかと思ったが、始まらなかった。
「アンリさん」
私は隣を見た。
「約束、覚えていますか」
「覚えております」
アンリさんは、皿に手を伸ばした。
*
パンを取った。
手で半分に割った。ジャンさんの焼いたパンだ。割ると、中が見える。今朝焼いたばかりで、まだ湯気の名残があった。
その片方を、口へ運んだ。
噛んだ。
顎が三度動いて、止まった。
喉が動いた。
飲み込んだ。
私はそれを、じっと見ていた。この人が何かを口にするのを、私は初めて見た。城に来てからずっと、この人は私の食事の脇に立っているだけだった。
アンリさんは、こちらを見た。
「おいしいですか」
「はい」
私は嬉しくなった。
*
そのとき、音がした。
広場じゅうで、同じ音がした。布が擦れる音と、皿が触れる音と、手が伸びる音。それが一度に起きた。
顔を上げた。
六万人が、同時にパンを取っていた。
卓の列が、端から端まで動いていた。門のほうまで、同じ動きが続いていた。誰も隣を見ていない。誰も合図をしていない。それでも、全員が同じときに手を伸ばしていた。
六万人が、同時に噛んだ。
音が揃っていた。
*
私の向かいに、リゼットが座っていた。
この子の皿には、小さく切ったパンと、煮た豆と、干した果実が載っている。子供の分は別に用意させた。村でもそうしていたからだ。
リゼットは、まだ手をつけていなかった。
「食べていいんだよ」
「うん」
リゼットはパンを取った。口に入れた。
噛んだ。
三度噛んで、飲み込んだ。
「おいしい?」
「うん」
それだけ言って、次のひと切れを取った。同じように三度噛んで、飲み込んだ。
私は、この子が食べるのを久しぶりに見た気がした。
*
しばらくして、私は妙なことに気づいた。
誰も止まらなかった。
皿が空になった者が、次の皿を取っていた。二皿目を空にして、三皿目を取っていた。
最初は嬉しかった。腹が減っていたのだと思った。ずっと食べていなかったのだから、当然だ。今日ぐらいは、いくらでも食べたらいい。
四皿目を取る者がいた。
五皿目を取る者がいた。
私の斜め向かいに座っていた男が、六皿目に手を伸ばした。
その顔を、私は見た。
嬉しそうではなかった。うまそうでもなかった。苦しそうでもなかった。急いでもいなければ、味わってもいなかった。
何の顔でもなかった。
男は六皿目のパンを取って、割って、口へ運んだ。三度噛んで、飲み込んだ。それから、七皿目に手を伸ばした。
私は立ち上がった。
「もういいです」
六万人が、同時に手を止めた。
口の中のものを飲み込む音が、広場じゅうで一度に鳴った。それから、全員が私を見た。
*
私は座り直した。
心の臓が速くなっていた。走ったわけでもないのに、そうなっていた。
みんな、私が食べろと言ったから食べたのだ。
そう思った。遠慮しない人はいないから、私が止めるまで止まらない。それだけのことだ。言い方が悪かった。たくさんある、足りなかったら倉にある、などと言ったから、全部食べなくてはいけないと思わせてしまった。
次からは気をつけよう。
卓を見渡した。
どの皿も空になっていた。三日かけて作ったものが、半刻ほどでなくなっていた。
そして、誰も喋っていなかった。
村の祭りでは、みんな味の話ばかりしていた。今年の麦はいいとか、塩が効きすぎているとか、去年のほうがよかったとか。婆さんは自分の焼いた芋を褒めろとうるさかった。ジャンさんは毎年、誰かに窯の話をしていた。
その話が、一言も出なかった。
六万人が食べて、誰一人、うまいと言わなかった。
*
私は自分の皿を見た。
減っていなかった。
見ているうちに、食べるのを忘れていたらしい。パンも、豆も、果実も、置いたときのままそこにあった。
私はパンを取って、ひと口かじった。
塩が効きすぎていた。
村の祭りなら、誰かが必ずそう言った。言えば、婆さんが怒った。怒られるのが面白くて、みんなわざと言った。
私は口の中のものを飲み込んで、それを誰にも言わなかった。
櫓に火が入った。
薪が鳴って、煙が上がった。日が傾いていた。
卓の向こうで、マルグリット婆さんが立ち上がった。




