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白王と黒王  作者: ブルースライム
第1章:ヴィタリス王国 王都

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第26話:六万人分

 祭りは、五日後と決まった。


 私が「いつがいいでしょう」と聞いて、アンリさんが「五日後がよろしいかと」と答えて、それで終わりだった。


 布告は出さなかった。


 出さなくても届くことを、私はもう知っている。あのときは驚いたが、いまはそういうものだと思っている。私が執務室で言ったことは、その夜のうちに街の端まで行く。


     *


 私には、考えがあった。


 誰にも言っていない。アンリさんにも、ヴァレリーさんにも言っていない。言えば、余計な気を遣わせてしまう気がした。


 みんな、遠慮しているのだ。


 倉であのパンの山を見てから、私はずっとそのことを考えていた。毎朝配られて、夕方に戻ってくる。受け取るけれど、食べない。もらいすぎだと思っているからだ。


 だから、痩せていく。


 セシルさんは乾くと言った。油と塩でそれを遅らせるのだと言った。私は許可を出したが、あれは遅らせるだけで、治すものではない。


 治すには、食べるしかない。


 村では、そうだった。冬に痩せた者は、春に食べて戻った。病み上がりの者に婆さんがまずさせるのは、粥を一口飲ませることだった。食べれば戻る。それだけのことだ。


 けれど、誰も食べない。


 私が食べてくださいと言えば、みんな困った顔をする。それが遠慮なのだと私は思った。王に言われて仕方なく口をつけるのは、もっと申し訳ないのだろう。


 祭りなら、違う。


 村の祭りでは、誰が誰の皿から取っても構わなかった。遠慮という言葉が一日だけ消える。婆さんが人の椀から芋を取って、その人が笑って取り返した。ジャンさんが焼いた端を、私が黙って持っていっても叱られなかった。


 あの日だけは、みんな食べた。


     *


 厨房へ行った。


 ジャンさんは台の前にいた。粉の袋が壁際に積み上がっている。数えるのをやめるくらいあった。


「何人分、焼くんですか」


「六万人分だ」


 私は嬉しくなった。


「そんなに焼けますか」


「窯を七つ使う。城の四つと、街の三つだ。三日で足りる」


「大変ですね」


「大変じゃねえ」


 ジャンさんは粉を掬った。


「二十年やってる」


 私は袋の山を見ていた。この粉は、先日刈った麦から挽いたものだ。倉に入りきらなかったぶんの一部が、ここに来ている。


 あの麦が、みんなの腹に入る。


 そう思うと、刈り入れの三日間のことまで良いことに思えた。休まずに刈った甲斐があった。あれだけ働いたのだから、食べていいはずだ。


「ジャンさん」


「なんだ」


「祭りの日は、みんな食べますよね」


 ジャンさんの手が止まった。


 粉を掬ったまま、しばらく動かなかった。それから、その粉を台に落とした。


「祭りだからな」


 それは、はい、とは違う答えだった。


 けれど私は、はいと言われたのだと思うことにした。


     *


 準備は、静かに進んだ。


 村の祭りの前の日は、うるさかった。誰が何を出すかで揉めて、火を焚く場所で揉めて、去年はこうだったと言い合って、最後は婆さんが怒鳴って決まった。


 ここでは、揉めることがなかった。


 私が村の祭りの話をすると、聞いていた者がうなずいて、それで決まった。卓を出す者と、火を焚く者と、料理を運ぶ者が、いつのまにか分かれていた。誰が割り振ったのかを、私は見ていない。


 夜のあいだも進んでいた。


 朝、窓を開けると、昨日なかったものができている。広場の隅に組まれた櫓。大路に沿って立てられた柱。柱の上に、布が張られていた。


 三日で、街が祭りの形になった。


     *


「アンリさん」


「はい」


「祭りの日は、あなたも来ますか」


「参ります」


「立っているだけは駄目ですよ」


「はい」


「卓に着いてください。私の隣で」


「かしこまりました」


 私は、そこで一度言葉を切った。


 聞きたいことがあった。聞けば答えが返ってくる。この人はいつでもそうだ。それが分かっているのに、口にするまでに間が要った。


「食べますか」


 アンリさんは、書類の角を揃えた。


 それから、顔を上げた。


「陛下がお勧めくださるなら」


「勧めます」


「では、いただきます」


 私は安心した。


 この人が食べるなら、みんな食べる。四十年この国の王だった人が卓に着いて口をつけるのを見れば、遠慮しなくていいのだと誰にでも分かる。


 そういう順序が要るのだと、私はやっと気づいたのだった。


     *


 マルグリット婆さんのところへ行った。


 その日も庭の隅に立っていた。通りのほうを見ている。私が声をかけると、首だけこちらへ回した。


「婆さん。祭りで歌ってくれませんか」


「あたしがかい」


「村でも歌っていたでしょう」


「あれは酔ってたからねえ」


「酔ってなくても歌えます」


 婆さんは少しのあいだ黙って、それから息を吸った。


 歌い出した。


 刈り入れの歌だった。麦を刈る手つきに合わせた調子がついていて、一行ごとに鎌を引く間がある。村では、祭りの終わりにこれを歌った。


 私は途中で、おかしいと思った。


 村で聞いたとき、この歌は二行ごとに切れた。婆さんは息が続かなくて、そのたびに止まって、肩で息をして、また続けた。子供たちはその切れ目を待っていて、止まるたびに手を叩いた。私も叩いた。


 切れなかった。


 一行目から終わりまで、一度も止まらなかった。


 声の高さも変わらなかった。長い歌だ。村の誰も、最後まで一息では歌えなかった。


「うまくなりましたね」


 私は言った。


「村のときより、ずっと長く続きました」


 婆さんは、こちらを見た。


 何か言いかけて、口を閉じた。


 それから、歯が三本しか残っていない笑い方をした。


「そうだねえ」


     *


 祭りの前の晩、私は広場へ行った。


 卓が並んでいた。


 広場の端から端まで、長い卓が何列も置かれている。その上に布がかかっていて、皿が伏せて並べてあった。数えようとして、やめた。


 櫓には薪が積まれていた。乾いた薪だ。触ってみると、湿り気がなかった。


 誰もいなかった。


 準備をしている者が一人もいない。全部、終わっていた。前の晩に走り回る者も、忘れ物を取りに戻る者も、酔って先に始めてしまう者もいなかった。


 私は卓のあいだを歩いた。


 布の端が風で少し持ち上がって、また落ちた。


 明日、ここに六万人が来る。


 卓に着いて、皿を取って、食べる。誰かが誰かの皿から取って、笑って、取り返す。婆さんが歌う。ジャンさんが窯の前で汗をかく。


 みんな、食べる。


 私は皿を一枚めくって、裏を見た。埃ひとつついていなかった。


 それを元に戻して、城へ帰った。

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