第22話:面白いでしょう
城の西の端に、扉が一つあった。
通るたびに気になっていた。ほかの扉と違って、いつも細く開いている。中から灯りが漏れていて、時々、何かを削るような音がした。
その日、私は覗いてみた。
部屋というより、物置に近かった。
棚が壁を埋めていて、そこに瓶と、乾いた草と、金属の器具が並んでいる。卓の上には紙が積み上がり、その紙の上にも瓶が載っていた。床にも本が積んである。足の踏み場が、人ひとりぶんしかない。
その真ん中に、女の人が座っていた。
三十くらいだろうか。髪を後ろで無造作にまとめて、袖をまくり上げている。左腕を卓に載せて、右手に小刀を持っていた。
その小刀を、自分の腕に当てていた。
「あの」
「はい」
顔も上げずに、その人は答えた。そして小刀を引いた。
肘の下あたりに、細い線が入った。
*
私は部屋に踏み込んだ。
「何をしているんですか」
「観察です」
「怪我をしますよ」
「もうしました」
その人はやっと顔を上げた。私を見て、少し目を大きくした。
「陛下」
「はい」
「これは失礼を。立ち上がるべきでしょうか」
「いいえ」
「助かります。いま手が離せませんので」
その人はまた腕に目を戻した。
私は近づいて、覗き込んだ。
卓の上に、細い線が何本も並んでいた。
どれも同じ向きで、指の長さの半分ほど。いちばん古そうなものは肘の近くにあり、新しいものは手首に寄っている。数えると、十を超えていた。
いま引かれたのが、そのいちばん端だった。
傷は浅くはなかった。指の長さの半分ほど切れていて、縁が開いている。皮の下の白いものが見えていた。
血が出ていなかった。
「痛くないんですか」
「痛いですよ」
その人は言った。
「とても痛い。いま、この瞬間もずっと痛い」
そして、私を見た。
「痛いのに、血が出ないんです」
顔が笑っていた。
「面白いでしょう」
*
「宮廷魔術師のセシルと申します」
名乗ったのは、それから少し経ってからだった。
「魔術師」
「肩書きだけです。この国に魔法らしい魔法は残っておりません。私がやっているのは、調べることです。薬と、金属と、あとは人の身体を」
「人の身体」
「いまは自分のを」
セシルさんは小刀を置いて、布で刃を拭いた。
「陛下。座られますか」
座る場所がなかった。セシルさんは積んであった本を床に下ろして、椅子を一つ空けた。
私は座った。
「いつからやっているんですか」
「一ヶ月ほど前から」
その言い方に、私は引っかかった。
一ヶ月前というのは、村で私が兵と会った頃だ。
「そのころ、何かあったんですか」
セシルさんの手が止まった。
布を持ったまま、少しのあいだ動かなかった。それから、また刃を拭き始めた。
「ええ。少し」
*
私は立ち上がって、その腕を見た。
「治しましょう」
「治りませんよ」
「薬草の心得があります」
「存じております」
「では」
「いえ、そういう意味ではなく」
セシルさんは言いかけて、やめた。
そして、腕を差し出した。
「どうぞ。やってみてください」
私は自分の部屋から袋を取ってきた。森で採ったものが少し残っている。王都の周りには私の知らない草しか生えていないので、大事に使っていた。
傷を洗った。水は染みているはずだが、セシルさんは顔色を変えなかった。
乾いた葉をすり潰して、傷の上に置いた。血止めに使う草だ。もっとも、血は出ていない。
布を巻いた。
「明日、また見にきます」
「はい」
「痛みは、これで少し引くはずです」
「そうですか」
セシルさんは、巻かれた腕を見ていた。
「陛下は、お上手ですね」
「慣れているだけです」
*
次の日、私はまた行った。
布を解いた。
傷は昨日と同じだった。
縁が開いたまま、閉じかけてもいない。乾いた葉は乾いたまま、傷の上に載っていた。膿んでもいなければ、塞がってもいない。
昨日切ったばかりの傷が、昨日のままそこにあった。
「痛みは、どうですか」
「変わりません」
「同じですか」
「はい。まったく同じです」
私はもう一度、葉を替えた。
三日目も行った。四日目も行った。
五日目には、別の草を使ってみた。傷を閉じる働きのあるものだ。村では、鎌で切った指をそれで塞いだことがある。ジャンさんが窯の縁で腕を焼いたときも、これを使った。
その日、私は袋の底をはたいた。
森から持ってきた草は、ほとんど残っていなかった。王都の周りに生えているのは、私の知らない草ばかりだ。似た形のものは何度か見かけたが、匂いが違った。匂いが違えば別の草で、別の草は別の働きをする。それを確かめる方法を、私は持っていない。
残りを全部、その傷に使った。
六日目。
傷は、切った日と同じ形をしていた。
私は布を巻く手を止めた。
「治りませんね」
「はい」
「なぜでしょう」
セシルさんは私を見た。
少しのあいだ、何も言わなかった。
「陛下」
「はい」
「私にも、分からないことのほうが多いのです」




