第21話:できぬままにしておく
日が傾くまで、私は試した。
手首が痛くなった。膝も痛くなった。石畳に長く膝をついていたせいだ。中庭の土で爪が汚れた。
何も起きなかった。
「すみません」
私は言った。
「できません」
ヴァレリーさんは、中庭の入口に立っていた。表情は変わっていなかった。
「あの日と、何が違いましょうか」
「分かりません」
「思い出せる範囲で、結構でございます」
私は座り込んだまま、考えた。
「あのときは、何も考えていませんでした」
「何も」
「みんな倒れていて、火がついていて、誰かが斬られていて。ジャンさんが死んで、私はその前に膝をついていて」
言いながら、私は思い出していた。
「助けなきゃ、と思っただけです。それだけです」
「いまも、そうお思いでは」
「思っています」
私は言った。
「でも、あのときとは違います。あのときは、目の前に倒れている人がいました」
*
ヴァレリーさんは何も言わなかった。
私を見ていた。私ではなく、私の向こうを見ているようにも見えた。
やがて、口を開いた。
「では、同じ状況を」
そこで止まった。
止まったのは、前のときとは違う止まり方だった。前は喉が動いて、それでも声が出なかった。今度は、言おうと思えば言えたのに、途中でやめたように見えた。
ヴァレリーさんは目を伏せた。
伏せたまま、少し長かった。
「いえ」
やがて、そう言った。
「何でもございません」
「何かありましたか」
「ございません」
ヴァレリーさんは頭を下げた。
「本日は、これまでといたしましょう。お疲れでございましょう」
「疲れていません」
「膝が汚れております」
言われて、私は自分の膝を見た。土がついて、擦り剥けていた。血が少し出ていた。
「本当だ」
「お手当てを」
*
部屋に戻ると、アンリさんが立っていた。
書類は片づいていて、卓の上には何も載っていなかった。この人が手ぶらで立っているのを、私は初めて見た。
「アンリさん」
「陛下」
「中庭にいました」
「存じております」
「見ていたんですか」
「窓から」
アンリさんはそう言って、私の膝を見た。それから、私の手を見た。爪に土が入っていた。
「できませんでした」
私は言った。
「千二百人が困っているのに、私は何もできませんでした」
アンリさんは黙っていた。
「アンリさんは、あの日のことを知っていますか」
「知っております」
「どうやったのか、分かりますか」
「分かりません」
「そうですか」
「陛下」
アンリさんは言った。
「できぬことを、できぬままにしておくのも、王の仕事にございます」
私はその言葉を、うまく飲み込めなかった。
「でも、できたほうがいいですよね」
アンリさんは答えなかった。
代わりに、卓の下から布を出して、私の膝を拭いた。六十五の人が膝をついて、十六の私の膝を拭いた。私は慌ててやめさせようとしたが、この人はやめなかった。
「洗ってまいります」
拭き終えて、アンリさんはそう言って部屋を出ていった。
*
その夜、私は寝台の上で天井を見ていた。
できなかった。
あのとき何をしたのか、私は本当に覚えていない。手をついて、願った。それだけのはずなのに、今日は同じことをして何も起きなかった。
何かが足りないのだ。
けれど、その何かが分からない。
千二百人の顔を、私は知らない。名前も知らない。それでも、息子を四十人取られたという話は本当だろうし、その母親たちは泣いただろう。
私は助けられたはずだった。
助けられるのに、やり方が分からないというだけで、助けられなかった。
村にいた頃のことを考えた。
リゼットのときは、触れた。マルグリット婆さんのときも、墓地の六人のときも触れた。額に指を当てて、起きてほしいと思った。それは今でもできる。たぶんできる。試していないが、あれは何度もやったことだ。
できないのは、触れずにやることだけだ。
あの日の一度きり、私はそれをした。そして二度とできない。
なぜだろう、と考えて、答えが出なかった。
目を閉じて、私はもう一度だけ念じてみた。
何も起きなかった。
*
次の朝、私はヴァレリーさんに謝った。
「昨日は、役に立てなくてすみませんでした」
ヴァレリーさんは書類から顔を上げた。
「陛下が謝られることではございません」
「でも、千二百人は」
「また別の道を探します」
ヴァレリーさんは言った。
その顔は、いつもと同じだった。髪はきれいに撫でつけられていて、上着に皺は一つもなかった。
「陛下」
「はい」
「昨日のことは、お忘れください」
「忘れる」
「はい。陛下のお心を騒がせただけでございました」
ヴァレリーさんは、いつもの調子で私を褒めた。
一日かけて試してくださったこと、膝が擦り剥けるまで諦めなかったこと。
私は落ち着かなくなって、書類に手を伸ばした。
その日の分は、二十九件だった。
橋が二つ、井戸が四つ、街道の付け替えが一つ。どれも十年以上待たされた案件だった。
私は全部に印を押した。
押しながら、昨日のことを考えないようにした。ヴァレリーさんが忘れてくださいと言ったのだから、忘れたほうがいいのだろう。
それでも、中庭の土のにおいだけが、指に残っている気がした。




