第20話:もう一度
使者は、五日で戻ってきた。
東へ送った三人のうち、帰ってきたのは一人だけだった。あとの二人は国境で止められ、そのまま消息が絶えたという。
「殺されたんですか」
私が聞くと、ヴァレリーさんは首を振った。
「分かりません。焼かれたのかもしれません」
「焼かれた?」
「東の兵は、こちらから来た者を焼く決まりのようです。近ごろ始まったことだと、戻った者が申しております」
私はその意味が分からなかった。
病が流行っている土地から人が来たとき、村ではその人を離れに寝かせる。触らないようにする。そういうことは知っている。けれど焼くというのは、聞いたことがない。
村でも、一度だけ人が焼かれた。
アガットさんとベルトさんだ。あの二人は焼かれて、二度と起きなかった。ほかの人は槍で刺されても斬られても起きたのに、あの二人だけが戻ってこなかった。
私はその話を、誰にもしていない。
思い出すたびに、胸のあたりが重くなる。だから考えないようにしていた。
「なぜ焼くんでしょう」
「向こうにも、向こうの事情がございましょう」
ヴァレリーさんはそう答えた。
*
五つの村の話は、進まなかった。
使者は国境を越えられなかったので、村の人たちが戻りたいのかどうかも分からなかった。手紙も届かない。こちらの言い分を伝える方法がない。
「困りましたね」
「はい」
「もう一度、人を送りますか」
「送れば、また焼かれます」
ヴァレリーさんは書類を卓に置いた。
「陛下。別の道がございます」
*
「あの五つの村には、千二百人が住んでおります」
ヴァレリーさんは言った。
「十二年前まで、ヴィタリスの民でした。いまは東の民として税を納め、東の兵として息子を取られております。去年は徴兵で八十人が出て、四十人が帰りませんでした」
「四十人」
「はい」
私は椅子の上で身体を起こした。
「その人たちは、助けが要りますね」
「要ります」
「使者が行けないなら、私が行きましょうか」
「そこまでは及びません」
ヴァレリーさんは一歩、卓に近づいた。
「陛下がここでなさればよいのです」
「ここで」
「はい」
私は何を言われているのか分からなかった。
「あの、私にできるのは、触ると起きる、というだけで」
「村では、触れずになさいました」
*
部屋が静かになった。
言われて、私は思い出した。
あの日、私は地面に手をついた。ジャンさんの血で濡れた土に指を埋めて、みんな起きてと願った。それだけだ。誰にも触れていない。
そして音が消えて、何かが広がっていった。
「よくご存じですね」
「城で聞きました」
ヴァレリーさんは言った。
「あの日、王都でも同じことが起きました。私はこの部屋の隣におりました」
「そうだったんですか」
「はい」
私は少し嬉しくなった。
あのとき王都で何が起きていたのかを、私は誰からも聞いていない。みんな、その話をしない。聞いても、変わりありませんでした、としか返ってこない。
「どんなふうでしたか」
ヴァレリーさんは答えなかった。
口を開けて、閉じた。それから、書類の角を揃えた。
「陛下」
「はい」
「あの日と同じことを、もう一度なさっていただけませんか」
*
私は立ち上がった。
「どうやって」
「私には分かりかねます」
「私にも分かりません」
「では、試していただけますか」
断る理由が思いつかなかった。
千二百人が困っている。使者は焼かれる。手紙も届かない。ほかに道がないなら、試してみるのは当たり前のことだった。
私は床に膝をついた。
あの日と同じ姿勢を取った。両手を石の床につけて、指を広げた。土ではないので、指は埋まらなかった。
目を閉じた。
みんな、起きて。
*
何も起きなかった。
音は消えなかった。窓の外で荷車が動いていた。廊下で誰かが歩く音がした。何も、私の身体から抜けていかなかった。
もう一度やった。
同じだった。
「うまくいきません」
「もう一度」
私は何度もやった。
目を閉じて、念じた。声に出しても言ってみた。みんな起きて、と部屋の中で言った。誰も起きていないので、起きるも何もなかった。
立ってやってみた。膝をついてやってみた。窓を開けてやってみた。東のほうを向いてやってみた。
ヴァレリーさんは黙って見ていた。書類を胸に抱えたまま、一度も座らなかった。
途中で、私は中庭に出た。石の床より土のほうがいいかもしれないと思ったからだ。中庭の隅で膝をついて、両手を土に埋めた。
みんな、起きて。
鳥も飛ばなかった。もともとこの街には鳥がいない。
目を開けたまま念じてみた。閉じてやってみた。息を止めてやってみた。
あの日、私は泣いていただろうか。思い出せない。泣いてみようとしたが、涙は出なかった。
あの日は夏の昼で、村が燃えていて、煙が目に染みていた。中庭は静かで、風が薔薇の葉を鳴らしていた。
どこも似ていなかった。
「陛下」
「はい」
「何か、足りぬものがございますか」
「分かりません」
私は正直に言った。
「あのときは、何かをしようとして、していたのではありません。気がついたら終わっていました」
ヴァレリーさんは、それきり黙った。
私は続けた。手のひらを土につけ、指を広げ、あの日と同じ形をつくった。爪の間に土が入った。あの日は血が混じっていたことを思い出して、私は少しのあいだ動けなくなった。
思い出しても、何も起きなかった。




