第210話(幕間):買わない
塩の粒を、指の腹で潰した。
崩れるのが速い。角がすぐに丸くなって、指に何も残らない。
私は手を払って、隣の袋へ移った。
「こちらは?」
「南の潟のだ。三日前に上がったばかりだよ」
塩の商人が袋の口を広げた。私は同じように潰した。
「値は」
商人が値を言った。私はそれを覚えて、袋から離れた。
「買わないのかね」
「今日は」
案内の者が半歩下がったまま付いてきている。ヌオモの役所から出た者で、朝からずっとそうしていた。
「セシル殿。まだ回られますか」
「回ります」
次は山のほうから来た塩だった。
硬い。指で潰れず、爪を立てると欠けた。欠けた粒の大きさが揃っていない。
油の店では、壺の口から少し取って、指の腹に伸ばした。伸びない。途中で切れて、玉になって残った。
私は布で拭いた。
「どれだけ要るんだ」
油の商人が言った。値を聞くばかりで何も買わない女を、朝からずっと見ていたのだろう。
「市の蔵にあるだけでは、足りません」
「そりゃあ、市の話じゃないな」
「そうです」
*
宿は港へ下りる坂の途中にあった。
卓に紙を並べて、その日に見たものを書いた。塩、南の潟、崩れが速い。塩、山、粒が揃わない。油、伸びずに切れる。
値も横に書いた。値のほうが長い列になった。
指の腹が薄くなっているので、粒の細かさは去年よりよく分かる。これも書き留めておく。
役に立つことはないかもしれないが、書いておかないと、後で分からなくなる。
宿の者が灯りを足しに来て、それから寝た。
私は書いていた。
朝から夕まで市を歩いた。足に疲れは残っていない。
*
三日おいて、城から呼びがあった。
ヌオモの宰相は、廊下を歩いてくるあいだも紙を離さなかった。ムフタル殿という。
私が最初にこの城で会ったときも、同じ抱え方をしていた。
「セシル殿。お待たせいたしました」
「講和、良い結果になったとお見受けしました」
「成りましてございます。船が動きます」
「では、港から入れられますか?」
ムフタル殿は紙を卓に置いた。
「陸で参りますと、関が挟まります。関には人が出ております。近ごろは特に、でございます」
「幾つ挟まりますか」
「道によりますが、少なくはございません。そのたびに、荷は軽くなりませんのに値だけが上がります」
「港からなら、挟まりません」
「そうです、挟まりません。積んで、内へ回すだけでございます」
抱えた紙の束を置き、ムフタル殿は質問なさった。
「それで、どれほどご入用でございましょう」
「二十万人に、三月に一度です」
ムフタル殿は紙を見たまま、しばらく何も言わなかった。
「なるほど。……なるほど」
「一度きりなら、市で買えます。市で買えるうちは、始まっていないのと同じです」
「左様でございますな」
ムフタル殿は指を折りかけて、途中でやめた。
「船の枠を分けます。塩と油で別に立てましょう。同じ船に載せますと、片方が遅れたときに両方が止まります」
「お願いします」
「産地は、そちらでお決めになりますか」
「決めます。私が見て決めます」
ムフタル殿は顔を上げた。
「見て、と申しますと」
「触れば分かります」
ムフタル殿は、私の手のあたりをしばらく見ていた。
「一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「なぜ、塩なのでございますか」
「塩は、乾かすものです」
「……はぁ」
「乾きを止めるのに、乾かすものを使っております。効いております。なぜ効くのかは、まだ分かりません」
私は微笑んだ。
「面白いでしょう」
ムフタル殿は笑わなかった。紙を一枚めくって、そこに何か書き足した。
「エリアス陛下は、南へお発ちになったそうでございます」
「旅のご無事をお祈りするばかりです」
城を出て、坂を下りた。
*
薬房に戻って、目録を書いた。
塩は南の潟のものと、東の岸のものを別に立てた。片方が悪くなったときに、両方が止まらないようにする。
油は一つで立てた。まだ、見た中に二つ目がない。
樽の数を書き、船の名の欄を空けておいた。名はまだ決まっていない。
最初の荷は、三月ぶんには足りない。
目録の最後に、油、と書いた。
紙は明日、港へ回る。
墨が乾くのを待った。




