第209話:同じ道
城の朝は、港より冷える。
石の廊下に霜が下りていた。荷を担いだ者が滑って尻をつき、転がった俵が私の足に当たって止まった。
拾うと軽い。乾かした豆である。
「ライアン殿。それは残る者のために回すものです。そちらの、南用の山へ積んでいただけますか」
ペドロ殿の声が聞こえた。
手元の紙に印をつけながら喋っておられる。荷はもう三つの山に分けてあった。帰る者の山、残る者の山、そして南へ行く者の山である。
私は俵を南の山へ置いた。
置いてから、自分の荷をまだ一つも積んでいなかったことに気がついた。
*
広間に戻って皆と今後のことを話をしていると、ノックの音がした。
「陛下」
ムフタル殿が広間へ入ってこられた。紙を持っている。歩きが速い。
アフメド王は卓に肘をついておられた。顔をお上げになる。
「声に出して読んで構わん」
「ロルオーより、返しが参りました。講和、成りましてございます!」
窓の外で、荷車の輪が石を踏む音がしていた。
「もう一つ、ございます」
ムフタル殿は紙を持ち替えた。
「ロルオーが、レーヌの連合に加わると申してまいりました」
ファティマ様が立ち上がられた。
「……連合に、ですか」
「はい。間違いありません」
「随分と決断が早いな」
ヴォルフ殿であった。壁際に立ったまま、腕を組んでいる。
「早うございます。もちろん要望がありますが、これは飲むべきと考えました。海運と領海の権。分ける線を、向こうの希望を考慮して線引します」
「オレの名で飲むんだな」
「陛下の名で飲みます」
アフメド王はしばらく黙っておられた。それから、卓の紙を一枚めくって、また戻された。
「進めろ。船や港が焼けないほうがいいに決まっている」
「はい」
ムフタル殿は、そこで少し声を落とされた。
「返しの文に、こう書いてございました。焼き合って取るより、卓の上で分けたほうが多く残る、と」
「……それは、こちらが書くはずのことでは」
ファティマ様である。
「左様でございます。ですが、向こうが先に書いてまいりました」
セヴィが眼鏡の縁に指をかけた。
何か言うかと思ったけれども、何も言わなかった。
*
アフメド王が卓を回ってこられて、エリアス陛下の前に立たれた。
陛下は椅子の上で足をぶらぶらさせておられたが、王が来られると降りて、まっすぐお立ちになった。
「終わったぞ」
「はい」
「お前のおかげだ」
陛下は少し首をかしげられた。
「私は、何もしていません」
「したんだよ」
王はそれだけ仰って、手を挙げて人を呼ばれた。
「食事にするぞ。豆を炊かせてある。全部食え。残すな」
「はい」
エリアス陛下が笑われた。
ディエゴが横で「また豆かよ」と言ったが、いちばん先に卓へついたのはディエゴであった。
*
卓が下げられてから、ムフタル殿が地図を広げられた。
ヌオモの南に、山の印が並んでいる。印は輪になっていて、その内側にも印があった。
「ウーケンでございます。四方を山に囲まれております」
「入る口は」
ファティマ様が問われた。
「限られております。道は細うございますが、荒れてはおりません。鉄が出ますので」
「鉄」
「鉄と、そのほかの鉱石も。ゆえに商人の往来だけは絶えたことがございません。ヌオモの荷にも、あちらの鉄が混じっております」
ムフタル殿は指で輪の外をなぞられた。
「国交を切っているわけではございません。文を出せば、返しは参ります。ただ、周りの国が何をしているかに、興味をお持ちにならない」
「戦は」
「好みませぬ。ただし」
そこでムフタル殿は指を止められた。
「外から来た人間に寛容とは、申しかねます」
「商人は通す。人は通さない、ということですね」
ファティマ様がおっしゃった。
「そのように聞いております」
ファティマ様は地図の輪をしばらく見ておられた。
「じゃあ、鉄を見に行く顔で行けばいいよ」
セヴィが言った。
「王様がいる以上、こないだのロルオーの時みたいに少人数で潜入するわけにはいかない。戦うと決まったわけじゃないし」
何やら書き留めながら喋り続けた。
「ウーケンには先触れで手紙を出して、訪問と鉄の買付の連絡だけしておく。荷馬車を少し多めに編成して兵を付ける。他の兵士は複数に分けつつ山の途中で待機、って感じかな」
「買い付けるって、銀はどうするんだ」
私は問い掛けた。
「アフメド王に借りるよ。いいでしょ?」
「あっはっは。買え買え。溶かして鍋にでもしろ」
*
中庭に馬が並んでいた。
教会騎士の方々が鞍の下を締めておられる。ベルナール司祭様は、ご自分の荷を柱の脇でお括りになっていた。荷は小さかった。来られたときと同じ大きさに見えた。
「ベルナール司祭様」
「ライアン殿」
ベルナール司祭様が手を止めて、こちらを向かれた。
「お発ちになるのは、明日と伺っておりましたが」
「早めました。院に、届けねばならぬものがございます」
それ以上は仰らなかった。私も、それ以上は伺わなかった。
ベルナール司祭様は縄を結び終えてから、庭の端へ声をかけられた。
「ペドロ」
「はい」
ペドロ殿が荷の紙を抱えたまま来られた。
「お前は、残りなさい」
ペドロ殿は紙を胸に抱えたまま、しばらくベルナール司祭様を見ておられた。
「院へは、私も」
「残りなさい」
ベルナール司祭様は同じ言い方をなさった。声の高さも同じであった。
「エリアス陛下をお守りするように」
ペドロ殿の目が、私のほうへ一度動いた。それから司祭様へ戻った。
「承知いたしました」
「山は寒うございます。あの方は、寒いと仰らない方です」
「はい」
ベルナール司祭様は馬の腹帯を確かめて、鐙に足をかけられた。教会騎士の方々が門のほうへ列を作りはじめている。
私は、ベルナール司祭様が院へ何を届けに行かれるのかを知らない。
伺えば、たぶん教えてくださる。
ただ教えてくださったものが本当かどうかを、私は確かめる手立てを持っていない。
*
父上の荷は、廊下の隅にまとめてあった。
剣と、椀と、布に巻いた薬の箱が一つ。それだけである。半年前に出てこられたときも、この三つであった。
「父上」
「うむ」
父上は腰を下ろして、布の結びを解いておられた。腿に手をつくときの動きが、去年よりも硬い。
「セフォーには、いつまで」
「分からん」
「エリアス陛下がお呼びになれば」
「馳せ参じる」
結び直した布を、父上は膝の上に置かれた。
「ゴンサロの部隊が着く。俺の連中は、あれと入れ替えだ。長く出すぎている」
「はい」
「ライアン、お前は残るのだったな」
「はい」
父上は頷かれた。それきり、何も仰らなかった。
私は、廊下の窓から南の空を見た。雲が低い。山は見えない。
*
昼を回って、東の道から列が来た。
旗が二つある。前がセフォーの旗で、後ろがヴィタリスの旗であった。
先頭の馬から降りた男が、外套の裾を払って、まっすぐ廊下のほうへ歩いてきた。
「エイブラム」
ゴンサロ将軍であった。
父上が立って、振り向かれた。
「うむ」
「お役目ご苦労だった。後は任せてくれ」
「頼む」
それだけで、ゴンサロ将軍は荷の山のほうへ顎を向けた。
「連れてきた者は八十だ。残りは港に置いた。そちらの数と合わせておけ」
二人は同じくらいの背丈で、同じ向きに立っていた。
私はそれを少し離れたところから見ていた。
*
「おい」
ディエゴの声が中庭に響いた。
「なんでお前がいるんだよ」
「呼ばれた」
列の後ろから出てきたのはヌーノだった。肩に俵を二つ乗せている。
「呼ばれたって、誰に」
「将軍に」
「またお前の辛気臭い顔を見て過ごすのかよ」
「どこへ置けばいい」
「南の山だ。そっちの、いちばんでかいやつ」
ヌーノは俵を置いて、そのまま列へ戻っていった。
ディエゴは何か言いかけて、やめて、俵の位置を少し直した。
その仕草がなんだか嬉しそうに見えて、自然と笑みが浮かんだ。
*
ヴィタリスの旗のほうから、私の名を呼ぶ声がした。
「ライアン殿」
ヴィタリスのロラン殿であった。
「交代で、今後はお供をさせていただきます」
「そうですか。エリアス陛下もお喜びになると思います」
「隊は百二十でございます。セフォーを出る際、カルロス陛下からは、山へ入る隊であると伺いました」
「はい」
ロラン殿は少し黙ってから、地面のほうを見て言われた。
「十一月の山は冷えますでしょうな」
そのとき、後ろから足音がした。
「ロランさん」
エリアス陛下であった。
ロラン殿はゆっくりと膝をつかれた。陛下は、その肩のあたりに手を伸ばして、少しお考えになった。
「山は寒いですか」
「支度をせねば、エリアス様が凍えてしまいます」
「では、薪を多く積みましょう」
陛下はそう仰って、ロラン殿と共にペドロ殿のほうへ行かれた。
*
ヴォルフ殿は厩の裏で、ご自分の隊を分けておられた。
右に立つ者と、左に立つ者がいる。左のほうがずっと少ない。
「古いのは残す」
私が近づくと、聞く前にそう言われた。
「新しいのを帰す。あれは家がある」
「古い方々は」
「慣れてる」
ヴォルフ殿は左の列へ顎を向けられた。左の者たちは、誰も足踏みをしていなかった。
寒い日に、人が立っているときの動きが、そこには無い。
「薬は」
「積んだ。あんたのところの箱と一緒にしてある」
それから、ヴォルフ殿は少し声を落とされた。
「山だそうだな」
「はい」
「うちの連中は疲れん。荷を持たせろ」
*
翌朝、門が開くより先に、港から人が上がってきた。
ハムザ総督であった。荷車に樽を積んでいる。
「塩漬けだ。持ってけ」
「これは、頂戴いたします」
「山の連中は魚を食わねえらしいぞ。売れるかもしれん。売った銀はオレのだ」
「あっはっは。売るな。食え!」
アフメド王が門の内側から声をかけられた。
ハムザ総督は樽を降ろして、掌で叩いて、それだけで港へ戻っていった。
*
門の前に、列が二つ並んだ。
東へ帰る列と、南へ行く列である。だが門を出てからしばらくは、道が一本しかない。
分かれるのはドラントに入ってから、とムフタル殿が仰っていた。
私は自分の馬の腹帯を締め直した。
「ライアン」
父上が馬を寄せてこられた。
「はい」
「道が細いところでは、荷を先にやれ。人が先に入ると、荷が詰まったときに戻れん」
「はい」
父上は手綱を持ち替えて、東の列のほうへ首を向けられた。
「それだけだ」
私は頭を下げた。父上は下げ返されなかった。そういう方である。
エリアス陛下が、荷車の上でファティマ様の手を握っておられる。
ディエゴが最後の俵を蹴って位置を直した。セヴィは外套の襟を立てて、もう寒そうにしている。
ペドロ殿が紙を丸めて懐に入れた。
ヴォルフ殿が手を上げた。
先頭が動いた。乾いた土に蹄の音が立って、それが後ろへ順に伝わってくる。
私の馬も、押し出されるように歩きだした。




