第205話:迎えの支度
伝令は、朝のうちに来た。
廊下を走ってきて、扉の前で足を揃えた。息が上がっている。走らなくてもいい距離を走ってきた顔だ。
「アフメド陛下。総督より、言伝にございます」
「言え」
伝令は口を開いて、閉じた。
「……そのまま申し上げて、よろしいでしょうか」
「そのまま言え」
「『ロルオー、壊滅。オレは無事だ。バカヤロウども、迎えの支度をしとけ』と」
言い終えて、伝令は目を伏せた。
「あっはっは。よし、そのまま伝えて偉いぞ」
伝令が下がってから、俺は下の階へ降りた。
サフラは、廊下の隅に立っていた。皿を運ぶ途中だったらしく、両手が塞がっている。
妻に、受け取ってやってくれと言った。
それから、子の手を取った。
子は俺を見上げた。何も訊かなかった。
*
港に着いたのは、日が高くなってからだった。人が出ていた。
触れを出したわけではない。船が入る日は、勝手に集まる。
石の上に樽と縄が寄せてあった。荷を揚げる場所を空けてある。
ムフタルとファティマ王女は俺の少し後ろで紙を抱えていた。運ばれてくる者の数を書くつもりでいる。
ヴォルフとエイブラムは、少し離れて立って、動かない。
ディエゴの若造と、あとの二人は、石段に腰を下ろしていた。一人が眼鏡を拭き、一人が海のほうを指さして、残りの一人が何か言い返している。
坊主は、いちばん後ろにいた。人の背に隠れて、こちらからは頭しか見えない。前へ出てこようとしない。
子は、俺の横に立っていた。手は握ったままだ。
水平線に黒い点が出たとき、港の端の者が先に気づいて声を上げた。
「見えるか」
「みえます、おうさま」
背は俺の腰までしかない。それでも見えると言うので、そうかと言った。
帆が増えた。数えた。癖だ。
自分の帆で入ってきた船は、どれも舷が黒い。穴の開いた帆が何枚もある。
先頭がティンニーンだった。帆柱が一本、途中で切ってある。向こうにやられたのではない。折れかけを、こっちの斧で落として走ったのだ。
その横に、もう一つ並んでいた。
赤い旗だ。
港が静かになった。前の列の者が下がろうとして、後ろの者が動かないので下がれずにいる。
追われているのではない。追っているのでもない。
同じ速さで、同じ間を空けて、並んで入ってくる。
*
ティンニーンが着けて、板が渡された。
いちばんに降りてきたのがハムザだった。刈った頭に灰がかぶっている。腰の縄がほどけて垂れたままだ。
大股で来て、そのまま俺にぶつかってきた。
「オヤジ」
「無事か」
「無事です。無事ですけどねえ」
背中を叩いた。灰が舞った。
「だから言ったんだ。オレは総督なんて柄じゃねえ」
「言ってたな」
「言いました。ずっと言ってました。聞かなかったのはオヤジです」
「あっはっは。次も聞かん」
「このクソオヤジ!」
ハムザは、俺の横の子を見た。それだけだった。
「あれは」
俺は顎で、赤い旗のほうを指した。
ハムザは振り返らずに言った。
「あっちが先に、ロルオーの後ろを潰しました」
「こっちの旗を撃たずにか」
「矢の一本も、こっちには来てません」
腰の縄の端を、指に巻きつけては解いている。
「それで」
「終わったら、ついてきました。オレは何も言ってねえ。あっちも何も言ってねえ」
「ニオイは」
ハムザは、そこで初めて振り返った。
「もう、しません」
*
赤い旗の船が、こちらの列の外側に着けた。板は渡さない。
舷の上に、赤が立った。
衣も帯も靴も赤で、首まで閉まっている。左の袖は、肘から先が折り返して留めてある。
銀の髪が、風で片側へ流れた。
この男の顔は、海の上で見ている。矢の届く距離まで寄ったこともある。
男は、何も言わなかった。




