第204話:合図
朝から、ずっと同じ場所にいた。
前のほうで何が起きているかは、音でわかる。木の裂ける音と、人の怒鳴り声が、水の上を滑って届く。
近づきもせず、離れもせず、オレたちの船はその音の外側を回っていた。
舷に凭れて、矢に布を巻いていた。巻いて、壺の油に頭を漬けて、束にして足元へ並べる。朝からそればかりやっている。
指の腹が滑るようになって、油の匂いが鼻から抜けなくなった。
「おい、パコ。あと何本ある」
「足りる。座ってろ」
隣で寝転がっている男は、昼前からずっとそれを聞いてくる。数えていないと言うと怒るので、足りると言うことにしていた。
「陸のやつらは楽でいいよな。立ってるだけで飯が出る」
「弟が境の関で番をしてるが、楽じゃないと言ってたぞ」
「お前、弟がいるのか」
「いる」
それだけ言って、また布を巻いた。
この船に乗ってから、焼いたのはヌオモの船とヌオモの港だけだ。
ロルオーには手を出さなかった。手を出さない理由を、オレは聞いたことがない。
このあいだ、その弟から便りが来た。
境の話はなんでも持ってこいと言われていたから、船長のところへ持っていった。船長は読んで、何も言わなかった。覚えているのはそれだけだ。
それからしばらくして、ロルオーを討つ、と伝えられた。
理由は言われなかった。誰も聞かなかった。
*
前では、ロルオーの塊が動きはじめていた。
日は、もう傾いていた。舳を揃えて、間を詰めて、一本の太い棒みたいになって、向こうの並びへ突っ込んでいく。
向こうの並びが割れて、そこへロルオーの棒が入っていった。遠くて、旗の形しか見えない。それでも抜けたのはわかった。
「抜けたぞ」
誰かが言った。隣の男が、こっちを見る。
「まだか」
「まだだ」
オレは布を巻いていた。
誰も座らなくなった。矢を束のまま担いで、弓のところへ運ぶ者がいた。オレも運んだ。
運びながら、寝転がっていた男が横に来て、小声で言った。
「なあ、なんでロルオーなんだ」
「知るか」
「お前、船長のところへ何か持っていってたろ」
「持っていっただけだ」
男は、返事をしなかった。
船長の船は、オレたちの列の内側にいた。
船長が甲板に出ているのは見えたが、遠すぎて、こっちを見ているのかどうかもわからない。
船長は滅多に声を出さない。出さなくても、旗が上がる。
*
旗が上がった。
舳のほうで、それを見た者が叫んだ。
「帆を返せ!」
叫ばれる前から、手は綱にかかっていた。綱が鳴って、帆桁が回って、風が反対の頬に当たった。
左右に広がっていた味方の船が、いっせいに内へ寄ってきていた。
前には、さっきまでオレたちが後ろについていた船団がいた。ロルオーの船だ。旗も見える。帆の色も見える。
抜けていった連中に置いていかれて、こっちに尻を向けたまま、まだ前だけを見ている。
「弓!」
オレは束を渡した。火が入って、矢が上がって、水の上を渡っていった。
*
燃えた。
帆に火が乗ると、早い。一枚上がると、風下の帆も上がる。上がった帆が水に落ちて、水の上でまだ燃えている。
向こうの甲板で人が走っていた。こっちへ向かって何か怒鳴っている者もいた。何を言っているかは、聞き取れなかった。
船長がロルオーの船を焼くのを、オレは初めて見た。
オレの生まれた国の旗だ。それだけは、見れば分かる。
乗り移る音が、右のほうから聞こえてきた。綱が舷に当たる音と、板を蹴る音。あっちが先に取り付いたらしい。
「パコ! 次だ!」
オレは壺に手を突っ込んで、次の布を巻いた。




