第200話:ニオイ
*ハムザのイメージイラストを後書きに追加しました。
朝から怒鳴りっぱなしで、喉が痛む。
「バカヤロウ!手を動かせ!手を!」
縄の束を一つ上げるのに、若いのが三人がかりで取り付いていた。三人でやる仕事じゃない。
オレは舷から身を乗り出して、下の艀へ指を突き出した。
「テメエら、順番が逆だ!水が先だ。綱はあとでも積めるが、水はあとで湧かねえ」
港には入りきらねえから、沖に錨を降ろさせている。艀が行って、戻って、また行く。
ティンニーンの舷から見ると、帆柱ばかりが並んでいて、どれがどれだか分からん。分かる必要もねえが。
旗を上げれば、みんな同じほうを向く。
向くはずだ。
*
城からの使いは、昼前に来た。
甲板に上がるなり膝を折ろうとしたので、腕を掴んで立たせた。
「そういうのはいい。何て言ってた」
「そのまま申し上げます、とのことでございました」
「なら、そのまま言え」
使いが息を吸った。
「『ハムザ。海はお前のもんだ。好きにやれ』」
「……それだけか」
「それだけでございます」
オレは縄の帯に指を引っ掛けた。
「あのな」
「はい」
使いは、まだ舷につかまっていた。
「オレはナンバーツーなんだよ。ずっとそうだった。オヤジが決めて、オレが怒鳴る。それで回ってたんだ」
「はい」
「その決めるほうが、王様になっちまった」
使いは黙っていた。黙るしかねえだろう。
「オレが苦労してる原因の大半は、オヤジなんだかなぁ……」
承知した、とだけ伝えろと言って、艀へ降ろしてやった。
*
日が傾く前に、錨を上げさせた。
風は西寄りで、弱い。帆が鳴らねえ日は、水の音ばかりが耳につく。
舵の男が聞いてきた。
「ハムザ総督。どっちへ出しますか」
「待て」
東と西から一つに集まっている、と城から来ていた。集まるなら、集まった先へ行けばいい。誰でもそう言う。
オレは舷に肘をついて、風を嗅いだ。
潮と、綱と、人の汗。それだけだ。
「総督」
「まだだ」
若いのが、こっちを見ていた。見張りに上がる前に、必ず一度こっちを見る。オレが何か言うと思っていやがる。
言うことなんかねえ。
向こうは、こっちの倍はいやがるらしい。数えたやつがそう言った。数えたやつがそう言うなら、そうなんだろう。
*
見張りが、上から声を落としてきた。
「旗、見えます!」
水平線の上に、布が一つ出ていた。
黒。
「レイスじゃありません」
舵の男が言った。息を吐いたやつが何人かいた。吐いていいと思ったんだろう。
オレは吐かなかった。
舵の男に顎をしゃくった。
「左に半分」
舵輪に体重がかかった。
「帆桁を返せ。……もっとだ。ガタガタぬかすやつは海へ叩き落とすぞ!」
風は弱いままだ。弱いなりに、水の下が動いていた。舳の持ち上がる間合いが、さっきと変わっている。
「帆を落とせ、いまだ」
なぜ、とは聞かれない。聞かれたって、答えようがねえからだ。
ティンニーンが前へ出た。
艫のほうで、誰かが声を上げた。
「総督。後ろが、離れます」
二隻、遅れていた。オレは振り返らなかった。
「オヤジなら全部を揃える。オレは揃えねえぞ」
鼻の奥が、変だった。潮でも、綱でも、汗でもない。
「総督。あれは」
「イヤなニオイがしやがる」




