第199話:朝の椀
朝の卓に、椀が一つ増えた。
妻は何も訊かずに出す。増えた皿の数だけ椀を出す家だ。
子は卓の端に座った。
髪の色が印象的な子だ。
坊主が、その手を握った。
「エリアスといいます」
「……サフラ、です」
子は握られたまま、少し首を傾けていた。
頭を下げようとしたが、そのときにはもう坊主は手を離して、椀を持ち上げていた。
下の娘が身を乗り出す。
「豆、食べる?」
「たべます」
娘は自分の皿から豆を移した。移してから、こちらを見た。
妻は止めなかった。
俺は茶を飲んだ。
この子の父の名は、知っている。
*
城の部屋には、まだ箱が積んであるままだ。
セヴィリーナが床に座って、指を三本立てていた。
「三つ。船で行くか、人を行かせるか、向こうの口を使うか」
「船は焼かれる」
俺が言うと、指が一本折れた。
「商いの船も止めております」
ムフタルが言った。
「陸のほうは、関がございます」
もう一本折れた。
「向こうの口は」
セヴィリーナは残った一本を見ていた。
「僕らが行く前に、丁寧に切ってあった。今も切れてる」
三本とも、なくなった。
「教区の伝手は、境の手前で止まります」
ベルナールが言った。
「詰所の者に銀を積みましても、あの旗のことは出てまいりません」
ペドロが続けた。
「それに、届けようにも、赤い人がどこにいるかが分かんない」
セヴィリーナが言った。
「海の上だよ。旗の下にいるときしか、居場所は分からない」
「根城はあるだろ」
ディエゴの若造が言った。海賊には帰る島がある。あの男にもある。
「行けば殺されるよ。話をする前に」
そのとおりだ。あの島に近づいたヌオモの船で、戻ってきたものは無い。
*
「一つ、言っておきたいことがあるんだ」
セヴィリーナが、床から俺を見上げた。
「あの子の首の飾り。開くようになってて、中に字がある。バルカ、って」
俺は、椀に手を伸ばしかけて、やめた。
「それで確かめた。あの場では、僕しか読めなかったけど」
「バルカ」
ムフタルが繰り返した。繰り返しただけで、あとは黙った。
知っている名だ。
あの男が海に出てから、調べさせた。
七年前に縛り首になった家の名で、レイスが捨てた名だ。
ファティマ王女が、帳面を繰った。
「アフメド王。名の分かっている者を並べました。ですがこの中に、レイスに会ったことのある者はいないように見受けられます」
伯爵の息子が、筆を止めていた。
「あの男に届く道が、一つも残っていない、ということでしょうか」
誰も答えなかった。
「手が無ぇってことだろ」
ディエゴの若造が言った。言ってから、自分で舌打ちをした。
ムフタルが首を振る。
その時、坊主が顔を上げた。
「あの子のお父さんは、あの子が生きていることを、知らないんですか」
部屋が静かになった。
ファティマ王女が帳面を閉じた。閉じる音がした。
*
答えは出なかった。
出ないまま日が暮れて、灯を入れる頃になった。
「終いだ。食事にする」
「陛下」
「明日また出す。出るまで出す」
セヴィリーナは指を開いたまま、床を見ていた。
俺は先に出た。
*
次の朝も、椀は一つ多かった。
その次の朝も、多かった。
子は妻より早く起きている。起きて、土間に立っている。
妻が竈に火を入れるまで、そこに立っている。
「座っていい」
「はい」
座らせると、しばらくして、また立っていた。
坊主が来て、その手を握る。
「サフラさん、おはようございます」
「エリアスさま」
それだけ言って、子は土間を見た。
下の娘はこの子を気に入ったようだ。姉になった気分なのだろう。
手を引いて外へ出す。出されるほうは、断らない。
妻に言わせると、この子は皿を洗いたがるそうだ。
洗わせてやれ、と言った。
*
伝令は、卓の片付かないうちに来た。
「陛下」
「何事だ」
「海賊の船が、東と西から、一つに集まっております」
伝令は続けた。
「ロルオーと思われる船も、一緒でございます。これまでとは数の規模が違います」
椀を置いた。
外で、下の娘が子を呼んでいる声がした。
「ロルオーが、動きます」




